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専門コラム「指揮官の決断」

第227回 

悪の陳腐さについての報告の現代的意味

カテゴリ:危機管理

アンナ・アーレントの悪の陳腐さ

第2次世界大戦中のドイツにアドルフ・アイヒマンという親衛隊中佐がいました。

ゲシュタポのユダヤ人移送計画の推進者で600万人を強制収容所に送り、戦後アルゼンチンで逃亡生活を送りましたが、1960年にイスラエルの情報組織モサドによりイスラエルに連行され戦争犯罪人として処刑されました。

この裁判を傍聴した哲学者アンナ・アーレントによって著された本が『イスラエルのアイヒマン』であり、その副題が「悪の陳腐さについての報告」でした。

アンナ・アーレントは被告に冷徹で屈強なゲルマン戦士をイメージしていたところ、小柄で気弱なごく普通の男が現れてショックを受けて、この書物を著したようです。

つまり善と悪は正規分布の最大値と最小値のように対極に現れるのではなく、最頻値に現れるようなものなのかもしれないと彼女は考えたのです。だから「陳腐」という言葉を使ったのでしょう。

アーレントによれば、悪の本質は「受動的」であることです。システムを無批判に受け入れることが悪であり、この悪は我々の誰もが犯してもおかしくないというのです。

つまり、悪は主体的・能動的に行われるのではなく、無意識的・受動的になされることに本質があるかもしれないという指摘です。

この指摘を今の日本について考えてみます。

野党代表

1月20日の衆議院における代表質問を見ていて呆れかえっていました。

立憲民主党の枝野代表は代表質問で「ウィズ・コロナではなく、ゼロ・コロナに転換せよ。」と主張し、「感染を徹底的に封じ込めに取り組み、その間は十分な補償と給付で支える、感染を封じ込めた後に旅行でも会食でもイベントでも制約なく安心して再開する。結果的に経済をもっとも早く立ち直らせることにつながる。」と議論を展開しました。

人類が地球上から撲滅できた最初の、そして現在のところ唯一の感染症は天然痘であるということは世間の常識だと考えます。日本における最後の天然痘の患者の発生は1974年、世界では1977年です。WHOは1980年に天然痘根絶宣言をしました。

天然痘は毒性が強いため、他に感染させる前に死亡することが多いために感染力は大きくなく、また、感染すると外観にすぐ症状が現れるため感染者を特定しやすいという特徴があります。また、ヒトからヒトへの感染しかしないため、抑え込んでも再び動物から感染するということがありません。だから撲滅できたのであり、極めて例外的なウイルスです。

この程度のことを知らない代表者が最大野党を率いているのです。国会の論戦に何も期待できないわけです。

医師会会長

日本医師会の中川会長は、冬になればコロナが暴れだすと夏の間から散々に言われてきたにもかかわらず何の準備もなさず、病床の70%が埋まると「医療崩壊」を叫び、何の根拠もないのにGoToトラベル事業が事態を悪化させていることは間違いないとして、とうとうその運用中止に追い込み、緊急事態宣言の再度の発令という事態を導き出しました。言うに事欠いて、国民が自粛しなければトリアージをしなければなくなるという超上から目線で脅しをかけたのです。

政治家の頭の程度も呆れたものですが、医師会という組織も何を言っているのか理解できません。これは私の頭が極端に理解力が不足しているからなのかもしれませんが、コロナ専用病床の70%で医療崩壊だというのが私には理解できません。

私は商社の営業部長を経験したことがありますが、売り上げ目標の70%しか達成しなかったら大変なことになります。赤字を意味するからです。

旅客機だって座席の70%で飛ばしたいと思う運行管理者はいないでしょう。

ところがコロナ病床に関しては50%で逼迫といい、70%では崩壊と言われるのです。説明してもらうと、病床数と受け入れられる患者数というのは別で、患者を受け入れるためには医師と看護師が配員されていなければならないのだそうです。

これを聞いて、医師会には馬鹿しかいないのかと素朴に思いました。

この連中はコロナ専用病床数をコロナ用に調達したベッドの数で理解しているのです。

差別用語であることを承知で申し上げますが、その馬鹿が集まって作った集団の飛び切りの馬鹿が会長なのでしょう。これではコロナ専用病床の準備が十分なのか足りないのか誰にも分かりません。自分たちすら理解できず、実際に50%埋まってみたら大騒ぎになったのです。

航空自衛隊が戦闘機100機を調達してパイロットを50人しか養成しなかったらどうなると思うのか医師会会長に答えさせたいと思います。

航空幕僚長が日本医師会会長のような男なら、我々は戦いに勝てないから、国民には犠牲になっていただくと平気で言うんでしょう。

国の機関をできるだけ民営化するという行政改革により国立病院の多くが廃止され、この国の病院のほとんどは民間病院または地方自治体の経営になりました。

その結果、病院に対する国の統制ができなくなり、病床の準備などの調整は自治体の長と医師会会長の責任となりました。その医師会長が夏の間何もしなかったのです。

国立病院の整理統合に合わせて、自衛隊病院のオープン化が求められました。陸奥国立病院が廃止され、自衛隊大湊病院が自衛隊員だけではなく一般市民の診療も始めたのはかなり昔の話です。自衛隊病院としては、基本的に健康で頑強な者が多い自衛隊員だけを相手にしているよりも一般市民の診療を引き受けた方が医師の経験値を上げることができるので、それを了承しました。そのようなことは全国の過疎化が進んだ地域で起こりました。

しかし、一方で広島県呉においては、自衛隊呉病院をオープン化しようとすると地元医師会の強烈な反対で難航しました。患者を取られるからです。

医学部の増設がずっと認可されないのも医師会の反対によるものです。人口減少に際し、医師の数が増えると経営が苦しくなるからです。

つまり医師会は単なる医師の利益代表団体でしかないのです。その利益代表団体でしかない医師会が、もし自粛しないならトリアージをやるぞと国民を脅したのです。

自治体の首長

一方の自治体ですが、神奈川県知事は選挙で「未病」という概念を取り上げた人で、医療については関心が深い人だと私たち神奈川県民は信じていました。

ところが、コロナ専用病床の使用率が30%の時に彼は大騒ぎを始めました。病床数に対しては30%であるが、即応病床という観点から言えば70%で、現場は悲鳴を上げているというのです。私は70%ならまだ余裕だろうと思っていたのですが、その時に彼は神奈川県全体で病床が何床あるのかを問われ、必死にはぐらかそうとしたのですが問い詰められて知らなかったことが分かってしまいました。彼の現状把握とはその程度のものだったのです。コロナ病床として彼が把握していたベッドの30%が埋まると、即応病床の70%が使われていることになり、私に言わせればまだ70%なのですが、現場は対応できなくなっているという状況だというのです。即応病棟にすら看護師が配員されていなかったのかもしれません。

要するに、この国の医療体制はその程度の自治体の長と医師会に牛耳られていたのです。

正規分布の最頻値は誰だ?

立憲民主党の代表にせよ、自治体の長にせよ、医師会長にせよ、彼らは正規分布の最も端にいる存在でしょう。

問題は最頻値にいる私たちです。

私たちはテレビしか情報を得られないので、ワイドショーでPCR検査を拡充しなければならないと言われるとそうだと信じます。緊急事態宣言を早く出すべきだとコメンテーターが言うと、街頭インタビューで宣言が出されたことについての感想を聞かれて「もっと早く出すべきだった。」と答えます。

私は大げさに言っているのではありません。

このコラムを読んでいる皆様も、スーパーでマスクをして入店してくれと言われてマスクをつけ、入り口でアルコール消毒しているにもかかわらず、レジではマークがあるままにソーシャルディスタンスを取って並んでいるはずです。マスクは、もともと距離を取れずに密になりそうな場合に付けることが必要なのであって、逆に言えばマスクをしていれば距離を取る必要はありません。なのに、スーパーは何も考えず間隔を取って客をお行儀よく並ばせています。

また、ホテルのカフェに多いのですが、二人で入ると四人用のテーブルで対角線に座らされます。これは昨年5月頃に国立感染症研究所が出した報告で、7人で会食して、ウイルスを持っていた一人から他の4人が感染し、途中で退席した一人と対角線上にいた一人が感染しなかったという事例が取り上げられて以降、対角線上に座って距離を取ることが感染予防になると安直に信じたテレビ局が飲食店での座り方などと言って紹介したことに端を発します。私たちはそれが当然だとして店に案内されるままに座ります。

何も考えないと距離がファクターだと思いがちなのですが、ちょっと考えるとこの座り方は間違いです。

距離が開くことにより声が大きくなります。その結果飛び散る飛沫量は多くなります。そして、一つのテーブルの声が大きくなる結果、隣のテーブルも会話が聞こえにくくなって声が大きくなるという悪循環を引き起こし、店の中全体が騒がしくなり、飛沫だらけになるという結果を生じます。つまり、二人なら正面に座って静かに会話すべきなのです。

この度の特措法改正に際しても、修正されましたが当初の入院を拒否した感染者を懲役にするという案に際し、それをメディアや野党は人権上の問題と論断しましたが、いつ重篤化するか分からない患者を逮捕して懲役を科し、刑務所で作業をさせるということがどれほどバカバカしいことなのか誰も考えていないのです。人権問題の俎上に載せるような案件ではなく、官僚や政権が国民を愚弄しているとしか思えません。

自分の頭で考えよ

テレビでは相変わらずPCR検査をすべての人に行い、ウイルスの根絶を図るべきと騒ぐコメンテーターがいます。天然痘のように致死率の極めて高いウイルスは逆に根絶しやすいのですが、弱毒性のウイルスは感染力が強いので根絶は不可能です。私たちが毎年風邪やインフルエンザに襲われるのはそのためです。

しかし、私たちが毎年3000人が亡くなる結核に対して緊急事態宣言などで騒がないのは私たちのほとんどが結核菌に対して陽性であり、集団免疫を獲得しており、また治療法もある程度確立しているからです。つまり、新型コロナも集団免疫を獲得していけば怖れる必要はないのですが、PCR検査で陽性判定者を徹底的に囲い込むという方法はそれと逆行する方法です。それは実現不可能であるばかりではなく、病気でもない者を患者扱いすることにより医療を崩壊させ経済を締め付けるだけなのですが、それをしない政府の対策が誤りだと私たちは信じ込まされています。

結局、最頻値にいる私たちはメディアの情報やそこに登場するコメンテーターたちの価値観を何も考えずに受け入れて世間の空気を作り、政策を誤らせるのです。アーレントの言う「悪の陳腐さ」に気が付かず、この国の政治を誤らせてしまっています。

そして、私たちは自殺者が増えていることを他人事のように語ります。

実は自ら命を絶つ人々が多くなった責任は自分たちの無関心にあり、医師会会長の発言に呼応してGoToトラベル事業を中止させ経済を止めた自分たちの醸し出した空気のせいであることを意識もしていません。

この国は民主主義の国です。民主主義はお上から与えられたものではなく、血で血を争って獲得してきた歴史を持つものであることを理解しない私たちは、政治は自分たちが行うものだとは思っていません。思ってはいないのですが、批判はします。その批判がまた空気を作り、さらに政策を誤らせるのです。

新型コロナを感染症の2類から5類への変更ができない理由はそこにあります。今5類への変更など持ち出そうものなら、世論が何を言うかと考えただけでも官僚は手を出しません。自分たちの失敗を認めなければならないからです。誰かが責任を取ることになってしまいます。そんなことを官僚がするはずはないのです。

PCR検査のCt値をWHOですら35以上は意味が無いと言っているにも関わらず、45という値で続け、ウイルスの残骸まで拾って陽性判定している事態を修正しようとしないのもそのためです。

つまり、何も考えず、ただワイドショーを鵜呑みにする国民の作る空気と、責任などを絶対に取ろうとしない官僚の組み合わせでまともな施策などできるはずはないのです。

民主主義と衆愚政治は紙一重です。何が両者を分けるかと言えば、国民が自分の頭で考えるかどうかです。しっかりと自分の頭で考えようとする覚悟なしに民主主義は機能せず、ただの衆愚政治に堕してしまいます。

アンナ・アーレントの「陳腐な悪」は、テレビの言いなりになり、医師会会長の発言を無批判に聞き届けて政府に緊急事態宣言を再度発出させた私たち自身なのです。