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専門コラム「指揮官の決断」

第238回 

日本がグローバル化できない理由

カテゴリ:プロトコール

プロトコールは危機管理の重要事項

弊社のコンサルティングは三本の柱を中心に展開しています。

第一は「意思決定」です。危機管理上の事態においては、次々に的確な意思決定をしていかなければなりません。ちょっとでも過ちを犯すと、急速に進展していく事態に対応しながらその過ちを修正していくことが必要となり、スパイラルに状況が悪化していきます。つまり、ろくに情報もなく、刻々と変化していく情勢に的確に対応していくためには、瞬時に下していく決断が正しくなければなりません。

第二は「リーダーシップ」です。危機管理上の事態において、経営トップを中心に組織一丸となって対応できることが重要であり、そのためにはしっかりとしたリーダーシップが発揮されなければなりません。

第三は「プロトコール」です。これはちょっと難しいので若干解説が必要かと考えます。

プロトコールという言葉は使われる業界によって意味が異なりますが、多くは標準的な手順を示したり、あるいはフォーマットを指したりします。しかし元来は「外交儀礼、儀典書」などを示す言葉でした。

古代ギリシャでパピルスで編集された書物の最初のページがプロトコロン(protokollon)と呼ばれ、目次の役割を果たしていたと言われています。その後、議事録という意味で使われ、議定書、外交儀礼という意味へ変化してきました。

弊社ではこの「儀礼」という意味でこの言葉を使っています。具体的には組織が組織の外部との接点を持つ際のあらゆるマネジメントを指しています。

たとえば、お客様が来られた際のお茶の出し方、株主総会の開催要領、国際会議のマネジメント、テレビコマーシャルの打ち方などです。

これは何を言いたいのかというと、組織が外部からどう見えるのかということを問題としているということです。つまり、この組織はしっかりした組織なのかどうかを判断する際に、企業なら財務諸表を読んだりいろいろな角度から分析をしますが、その一つとして、その組織のプロトコールを見ることが極めて有効な場合があります。

たとえば、しっかりとしたおもてなしのできない旅館、料亭、ホテルなどはそもそも失格ですし、受付がろくに対応できない会社は財務諸表など取り寄せる必要もないでしょうし、正門で衛兵がダラダラしているような軍隊は戦わずともその実力は透けて見えます。

このプロトコールを弊社が重視しているのは深い理由があるのですが、簡単に申し上げると、脇が甘く隙だらけの組織は危機に陥りやすく、脇が固く隙の無い組織は危機に陥りにくいということです。

このプロトコールを危機管理の大きな要素として取り上げているコンサルティングファームは私の知る限り弊社だけです。

そこで私が危機管理の話をする際にはこのプロトコールの話も当然話題にすることになります。

国旗・国歌への対応を知らない若者たち

昨年の秋から私は母校上智大学で危機管理の入門的講義を行ってきました。

後期全14回の講義でしたが、その中でプロトコールについても触れました。そして、その中で国旗の扱い方などを誤ると大変なことになったり、誤ったメッセージを送ることになるというような内容に言及し、ついでに国旗や国歌に対する正しい接し方などを余談として語っておきました。

びっくりしたのは学生の反応でした。

毎回講義のたびに学生はリアクションペーパーを送ってくるのですが、多くの学生が、国旗や国歌への対応について初めて知った、これを知らないまま国際的な仕事に就いていたら大変なことになった、海外で恥をかくところだったと書いてきたのです。

上智大学の学生はことあるごとにグローバルな世界でリーダーたれと発破をかけられていますのでこのような反応になったのだと思われます。

私はこれらのリアクションペーパーを読んでいて腹が立ってきました。

国旗や国歌へどう対応すべきかなどということは、米国の公立の小学校であれば1年生でもしっかりと知っています。

I pledge allegiance to the Flag of the United States of America, and to the Republic for which it stands, one Nation under God, indivisible, with liberty and justice for all.

これは公立の小学校やハイスクールの生徒が毎日のように唱える「忠誠の誓い」と言われる宣言です。

「私はアメリカ合衆国国旗と、それが象徴する、万民のための自由と正義を備えた、神の下の分割すべからざる一国家である共和国に、忠誠を誓います」というもので、星条旗に向かい、右手を左胸に置き、起立して暗唱しなければならないと国旗規則に定められています。

読むのではなく暗唱しなければならないので、覚えておく必要があるということです。

だから、米国の小学生は皆国旗が目の前にあったらどうすべきかを知っています。私の息子は連絡官としてペンシルバニアの海軍基地に赴任した私と一緒にその海軍基地の中の官舎に住み、基地内のチャイルドケアセンターで日中を過ごしていましたが、3歳でこの誓いを暗唱できるようになっていました。

ところが日本では大学生でも国旗や国歌にどう対応していいのかを知らないというのです。

つまり小学校はおろか中学・高校でもまったくそのような教育がなされていないということです。

ここで一つ想い出したことがあります。

海上自衛官であった頃、舞鶴にある新入隊員を教育する教育部隊の指揮官として勤務していたことがあります。

ある日、某自治体の高校水泳連盟の理事という方が面会を申し込んできて、夏の合宿をその部隊でさせて欲しいというのです。

海上自衛隊は広報のために体験航海や基地開放など様々なイベントを行っています。栄養士さんたちの教育を行う短大のために集団給食を行う施設で実習をさせることもあります。隊の業務に支障のない限り協力することはやぶさかではありません。

ただ、これらの教育も何でもやっていいということにはなりません。たとえ、教育や博愛のためであっても国の施設や物品を目的外に使用させることは法律により規制されています。

高校教育のためとはいえ、防衛省の施設を使用させることは法律違反なのです。

一般企業の体験入隊などを受け入れているのは、自衛隊への理解を深めてもらうという広報目的があるからいいのですが、単に高校の水泳の選手を養成するための協力はできません。

しかし、私はこの理事と話をしていて、何とか協力できないかと考えていました。

その連盟の本音はだいたい見当がつきました。合宿で民間の旅館などに泊まると5千円とかの費用が掛かります。1週間の合宿だとその負担も軽くはありません。一方、自衛隊であれば一日の食事代は有料ですが1000円ちょっとです。部屋代などは徴収しません。

しかも海上自衛隊はほとんどの基地で屋内に50mプールを持っています。そのような施設はそうあるものではありません。

彼らの本音がそこにあるのは分かっていましたが、私は何とかして協力しようと考えていました。

何故なら、新入隊員の水泳能力にびっくりしていたからです。海上自衛隊に入隊するのにまったく泳げない者が少なくないのです。この連中を4か月で艦隊に送らなければならず、教えるのは泳ぎだけではないのですから、水泳の教官の苦労は大変なものです。

私はこの連盟の合宿に協力し、高校の水泳の選手に海上自衛隊を少しでも知ってもらい、その中から志願者が現れることに期待したのです。

そこで、「単なる合宿は制度上受けられないが、体験入隊の形を取るのであれば何とかしましょう。」と約束し、総監部と調整を行いました。

海上自衛隊の生活を見学し、昼間は水泳の練習をするものの、夕食後などに防衛の現状などに関する講話を聴くという条件でなら受け入れ差支えなしという総監部の判断で受け入れが決まりました。

その初日、30人くらいの選手とともに10人の先生方が現れ、挨拶に来ました。世界を舞台に戦える選手を養成したいというやる気満々の先生方でした。

そして初日からかなりハードな練習が始まったのです。

翌朝、午前7時45分、彼らは指導のために私が指定した幹部1名海曹1名のインストラクターとともにグランドに集まっていました。午前8時の国旗掲揚前後の自衛隊の儀式を見学するためです。

彼らはグランドに体育座りで座って見学していました。ちょっと離れたところで先生方も体育座りで集まっていました。

私は隊司令でしたので当直士官が国旗掲揚5分前です、と報告に来ると執務室から出てグランドに向かい、朝礼台に上がります。先に集合している副長以下の総員が元気よく「おはようございます。」と敬礼してくるのに答礼し、台を降りて国旗掲揚塔の近くへ進み、8時になるまで休めの姿勢で待機します。

午前8時、号令とともに国歌が吹奏され、日章旗がポールの先端まで掲げられていきます。それを全員が敬礼で見守るのです。

そして国歌が終わると私は回れ右をして庁舎に戻ります。私が戻ったのを確認すると、当直士官が「課業にかかれ!」と令し、今度は行進曲が鳴り響き、各分隊ごとに行進しながら教室に向かいます。

ところが、私がびっくりしたのは、高校生たちが国旗掲揚の間も体育座りのままだったことです。気が付くと、そばにいる先生方もそのままなのです。

私以下の全隊員が気を付けの姿勢を取り、国歌が吹奏される間中敬礼をしているのに体育座りのままなのです。

私はいつものとおり庁舎に戻るのではなく、そのままグランドを歩いて突っ切り、高校生のグループに近づきました。全隊員が何が起こるのかを見ています。

指導に付けていた幹部及び海曹はさすがに立っており、私が近づいてくるのを挙手の礼で迎えましたが、私は答礼もせず「お前たちはなにをしておるのか!なぜ、国旗掲揚にこの生徒たちを座らせたままにしておくのか!」と怒鳴りつけ、そのまま先生方のグループに向かい、「あなた方のその態度は何ですか。国旗が掲揚されている時に体育座りのまま、そんなことで教育ができるんですか、昨日、世界を舞台に活躍できる選手を養成したいと言ってたでしょう。そんなことで世界を舞台にできると思っているんですか。」と思い切りぶつけました。

私が大勢の前で部下を怒鳴ったのは多分自衛隊生活で最初で最後だと思います。

この騒ぎを聞きつけた連盟の会長がその日の夕方に駆け付けてきて、「本当に申し訳ございません。」と散々謝って帰っていきましたが、私はこの時に高校の教師のレベルを理解したように思います。

国旗国歌法の成立以後、卒業式等での国歌斉唱に反対をする教師がいることは知っていましたが、何らかの考え方があって反対をしているのだと考えていました。

しかし現実は違うようです。高校の教師は国歌や国旗に対してどう振舞うのかを自分たちも知らないのです。そんな教師に教育を受けたら、国際的なマナーなど分かるはずもありません。

相手国の国旗や国歌に敬意を表するのは国際儀礼の基本中の基本です。その基本すら知らない教師たちに育てられた学生がグローバルな人材に育つはずはないのです。

駐在帰りの商社マンも国際性は欠如

かつて、東京のホテルで米国大使をお迎えして開かれたレセプションで日本の一流商社の駐在帰りの若手商社マンたちの大使に対する態度に驚いたことがあります。

制服を着用している私が大使の前で姿勢を正して”Yes,Mr.Anvassador”(はい、大使閣下)などと受け答えしているのに、私よりはるかに若い彼らがカクテルグラスを呷りながら”Yeh!”などを連発するのです。

通りかかったその商社の部長をつかまえて、「あいつらの口の利き方を直さないと、あんたの会社のレベルを疑われるぞ。」と注意したら、さすがにその部長は顔を蒼くしてすっ飛んでいきました。

私は一流商社で3年乃至5年の駐在勤務から帰ってきたばかりの駐在員たちがなぜ社交の場においてそのような礼儀をわきまえないのかが不思議でした。彼らは私たちと話をしている時には極めて礼儀正しく応対するのです。

海上自衛隊を退官後、専門技術商社に再就職し、そこから米国法人である関連会社のCEOを命じられてカリフォルニアに赴任してその理由が分かりました。

車用の精密部品を扱っていたため、その会社のクライアントの多くは日本の自動車会社に関連する会社の現地法人でした。

そこには日本からの駐在員が来ているのですが、彼らはほとんど単身赴任で、私が夫婦で着任したというと珍しがられました。

彼らは連日地元の日本料理を食べさせる店に駐在員同士で通って夕食を取り、週末は同じメンバーでゴルフに興じていました。

家族連れなら子供を通じて地元社会との交流も生まれますが、それがありません。米国には日本のような接待の習慣もありませんので、クライアントとの会食もほとんどありません。

つまり、米国駐在を何年経験しても、国内で単身赴任しているのと変わらないのです。

したがって、英語もそれほど上手くなりませんし、米国社会の習慣やマナーなどにも触れることがありません。たまに行く地元のバーのお姐さんたちとの交流が唯一の米国体験となります。

私自身はCEOでしたので取引先の社長などと昼食を取ることはありましたが、その他には地元との付き合いはほとんどありませんでした。海上自衛隊の連絡官としてペンシルベニアに駐在していた時は基地の中の官舎に住み、私たちはオフィサーズクラブ、オフィサーズワイブスクラブでの付き合いが頻繁にあり、ホームパーティなども招かれたり招いたりを毎週行っていました。しかし、それは軍人の社会の話で、ビジネスの社会ではそのようなことはないのでしょう。

小学生に英語を教えてもグローバルな人材にはならない

ハイスクールや大学で留学した者はまだましですが、それでも学生の英語を身につけてしまいます。米国人ならそのまま社会に出て社会人としての言葉使いを身に付けますが、帰国子女は英語の発達が止まってしまいます。

いい年をしたビジネスマンが国旗や国歌への対応の仕方を知らず、流ちょうではあっても若造のような喋り方しかできないとなれば、グローバルな分野でのリーダーとなるのは難しいでしょう。

緒方貞子さんのような人材がなかなか輩出されない理由がこのあたりにあるように思います。

語学は必要があれば身に付きます。日本人の多くが英語を話さないのは、それが国内では必要がないからです。多くの発展途上国の人々の方が英語を話すことができるのは生きていくために英語を話さなければならないからです。

しかし、国際的なマナーは躾けられなければ身に付きません。そして、それは文化や歴史への理解が必要です。

文科省は小学校での英語教育に踏み切っていますが、日本語ですら怪しい小学生に英語を教えるなどという愚にもつかない教育をするのではなく、文化や社会習慣、国際的なマナーなどを教える方が先のように思います。