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専門コラム「指揮官の決断」

第244回 

風評被害はどうやって生まれるか 

カテゴリ:危機管理

福島原発処理水の問題

今年の4月、政府は東電福島第一原子力発電所に保管され増え続けている放射性物質トリチウムを含む処理水を海洋放出する方針を固めました。政府の説明によれば処理水を海水で100倍以上に希釈し、原子力規制委員会が定める環境放出の規制基準の40分の1の濃度とするそうです。

規制基準は1リットルあたり6万ベクレルであり、その基準値の水を毎日2リットルずつ飲み続けた場合、一年間で1ミリシーベルトの被ばくとなる量だそうです。これがどういう数字なのかを私たち素人が直感で理解するのは難しいのですが、一般的に私たち日本人が1年間に被ばくする線量は5.98ミリシーベルトであると言われています。このうち、自然放射線からの被ばく量は2.1ミリシーベルトと計算されています。

つまり、環境放出の規制基準自体が自然に放射される量の2分の1以下で、その基準値の40分の1に希釈するのですから政府が海洋放出を決断した処理水の放射線量は、日本人が自然に被ばくしている量の80分の1以下ということになります。これは処理水を直接飲み続けた場合です。

国が放出を決めた処理水は毎日2リットル飲み続けて被ばくする量が0.025ミリシーベルトなのですが、東京とニューヨークを旅客機で一往復すると0.19ミリシーベルト、胸部レントゲンで0.06ミリシーベルトですから、これらの旅行や受診の方が被ばく量が多いことになります。C.Tスキャンに至っては3~13ミリシーベルトを浴びることになりますので、この処理水を毎日240リットル~1040リットルを飲み続けないと追い付かない放射線量を1回で浴びることになります。

しかし、処理は水道水用のダムに送られるのではなく、海洋に放出されるのでさらに希釈されていきます。その希釈された処理水が混ざっている海で漁獲される魚をいくら食べても年間に吸収される放射線量は計算できないくらい小さいものとなることが分かります。

ちなみに、この処理水の海洋放出は世界中の原子力発電所で普通に行われていることに過ぎません。単に風評被害を怖れて貯蔵していただけなのです。フランスの処理施設から放出されるトリチウムの放出量は、福島が予定している量を毎年10倍上回っています。

この方針については賛否両論があり、凄まじい議論が行われています。これが科学的な根拠に基づいた議論であれば傾聴するに値するのですが、必ずしもそうではありません。

学者にあるまじき発言

目加田設子という中央大学の教授がいます。

この人が日曜日の朝に全国放送される番組で述べたコメントは唖然とさせられるものでした。

彼女は「トリチウムの半減期は短いので、健康には大きな被害はないんだと言われてますが、分からないこともたくさんあるし、そうではないという研究者もいる」と述べたうえで、「海洋放出以外にオプションはなかったのか。何を検討して、それぞれにどれだけのコストがかかるのか。最終的に海洋放出に至ったという経緯の説明もほとんどないというのはあまりにも乱暴である」とコメントしていました。さらにびっくりするのは、「海洋放出をスルーしてしまえば、膨大な放射性廃棄物の処理も今後『いいんじゃないか、捨てちゃえ』っていう話になりかねない。」とのコメントも付加しました。

私は彼女がジャーナリストなら問題視しません。ジャーナリズムは死に絶えていますから、死人が何を言おうとかまわないのですが、彼女は学者であり教育者です。多くの学生を教える立場にいる人であり、社会的影響が大きすぎるのです。こんな教師に教えられてろくな学生が育つはずはありません。

さすがにこの問題に取り組んできた衆議院議員の細野豪志氏はツイッターで思い切り反撃したようです。

彼女が知らなかった事実

この処理水をどうすべきか、国は2013年から6年間をかけて検討をしてきています。特に、海洋放出や水蒸気放出などが現実的であるとの見方が有力になった2016年以降、17回の検討委員会を開催し、昨年2月にはこの検討を報告書にまとめIAEAから科学的根拠に基づいていると評価を受けています。さらにその後、この報告書をベースに、農林水産業者はもとより地方自治体、流通・小売業者に対し、延べ数百回に及ぶ意見交換を行っています。その模様はYouTubeでも配信されています。さらには昨年4月書面での意見を募集する旨を公表し、117日間にわたって広く一般からの意見を書面で集めました。

今回の処分方針の決定はそれらの議論を踏まえています。

つまり、海洋放出以外の方法やコストも検討され、それらの検討の状況については逐一ウェブサイトに掲載されています。政府の方針に対する一般からの書面による意見も求められ、私たちは誰でも書面によって意見を開陳する機会が117日間ありました。

つまり、彼女が知らなかっただけです。知らなかったというよりも、これまで何の関心ももっておらず、何の基礎知識も持っていなかったという方が適当でしょう。関心が少しでもあれば、インターネットで「処理水」とキーワードを入れただけで、うんざりするほどの情報が溢れ、政府がどのような検討をしてきたかが一目で分かるはずです。

彼女が何の基礎知識も持たないというのは「処理水の放出を認めたら燃料デブリもやりかねない。」という発言からも明らかです。どれほど政府が狂ってもそんなことが起こるはずはなく、海洋放出の決断が燃料デブリの直接廃棄と同様の沙汰であるというのは科学的議論についての認識がひとかけらもないことを示しています。

知識人として知られている人が全国の知識を持たない人々に対して発するメッセージとしてはお粗末すぎるのですが、冒頭でも申し上げたとおり、私がこの発言を看過できないのは彼女が学者であり教師であることです。

筆者は学者ではありませんが組織論を大学院以来研究してきました。研究者としての方法論には拘ってきましたので、当コラムにおいても、取り上げるテーマについては、自分の専門の切り口のみから論じ、専門ではない議論については伝聞推定の形を取っています。

つまり、自分の専門領域ではない他の専門領域について言及する際には、一般的な議論に留めて、それを自分の見解とはしないということです。

例えば、コロナ禍について何度もコラムを掲載していますが、筆者は医師ではないので医学的な立場からのコメントはしていません。すべて数理社会学的な手法により導き出した結論のみです。

筆者は原子物理学についてはまったくの素人ですが、政府がどのような検討をしてきたかは政府の資料を読めば分かります。この問題には関心を持ってきましたので、逐次情報は集めてきました。

それが研究者としての必要最低限の態度でしょう。

それができない学者というのは、その論文を読まずともどの程度の研究者か見当がつきます。自然科学であろうと社会科学であろうと科学的議論には方法論があります。それを知らないのであれば、まともな研究が出来ているはずはありません。

ネットを5分くらい観るだけも分かることをろくにチェックもせず、つまり、それまで何の関心もなく、何の基礎知識もない事項について全国ネットのテレビ番組で堂々と思いついたままのコメントをする心臓にも恐れ入りますが、すくなくとも学者として態度ではありません。また、そのような教師から学ぶことがあるとも思えません。

筆者も母校の非常勤講師を務めたことがありますが、学生は愚かではありません。教師の準備不足はすぐに見抜きますし、講義にかける熱意は多分初回の講義で感じ取ります。

風評被害はいかにして起こされるか

危機管理の観点から考えると、この度のコロナ禍はテレビがまき散らす「コロナ怖いウイルス」に国民が感染し、ある種の「空気」が生まれ、その空気に政権が媚びを売っているだけなのですが、これが戦前に新聞が満州進出を煽り、国際連盟脱退に歓呼の声を送り、ついには対米開戦やむなしと言う国民的合意を作り上げたのと同じプロセスをテレビが演じていることに大きな危機感を持っています。

その「空気」を作るのに、いわゆる「風評」が大きな役割を果たしているのではないかと考えています。風評がどのように作り出され、どのような影響を与えているのかは社会学を専門とする研究者にお任せしたいと思っていますが、目加田教授のような人物が全国ネットで行うコメントが福島の風評被害を一挙に加速させるのではないかと考えています。

今回の決定は地元との何回にもおよび調整を重ねたうえで行われており、地元漁民も受け入れた案であったはずです。ただ、決定の発表に際して彼らが極めて心配していたのは、処理水の放出に伴う「風評被害」でした。彼らが真剣に訴えたのは「風評被害」に対する処置をどうするかということでした。つまり、いろいろな議論が行われ、地元への説明も行われた末、地元としては了解せざるを得ないという諸般の事情を地元の漁民たちは苦渋の選択として理解していたのです。

そこに目加田教授のような発言があると、この6年間に行われてきたあらゆる努力がすべて無かったことになり、元に戻るだけでなく、マイナスからの再スタートを余儀なくされます。このことが処理水の処分についての結論を大きく遅らせ、この社会をさらに大きな危機に落として入れ行きます。

議論が尽くされていないという批判はよく聞くのですが、どれだけ議論すればいいのかというクライテリアを置かずに批判されても対応のしようがありません。地元民がすべて100%納得するまでの議論が必要だとすれば、問題の解決のためではなく政権を攻撃するためだけの議論が延々と行われるのは明白です。クレイマーを一人育てれば、その問題に関する検討をとん挫させることは容易です。

目加田教授は風評被害が心配などと発言していますが、風評被害を深刻化させている張本人が誰なのかをまったく理解していません。

なお、風評被害とは、その内容が真実であるかどうかを問わずに言い交されて、その結果、経済的社会的な損害を被ることで、その発信元は通常匿名で責任を取りません。

しかし、今後福島の風評被害が激化すれば、その責任の一端は目加田教授が負うべきでしょう。

筆者は当コラムにおいて、実名を挙げて非難をすることがありますが、当コラムの基本的立場では、対象の具体的な発言や行動をもとに、当コラムも実名で発言しています。憶測でものを言っているのでも匿名で批判しているのでもありません。

また、実名を挙げて批判するのは、社会的影響の大きな方に絞っており、例えば、バラエティ番組で知ったかぶりをするタレントの発言などは取り上げることはありません。むしろ、彼らは私たち世間一般のものの見方を代表しているようにも思えるからです。

著名な大学教授はお笑いタレントに比べれば、その社会的発言に対して責任を負わねばなりません。

コロナ禍そのものが風評被害

ただ、考えてみれば、そのような学者は目加田教授に留まりません。この1年間、感染症の専門家と呼ばれる人々がテレビに登場してはどう考えても根拠のない憶測を並べ立て、東京は2週間後にはニューヨークやミラノのようになるなどと発言し、見事にすべて外していますが、なぜ外したのかの説明はありません。また、変異株は感染力が強く、若年層にも重篤者が出ているなどと、どのデータを見ればそうなるのかまったく不明のコメントをして、とにかく社会の不安を煽ろうと熱弁をふるってきました。彼らも風評被害の張本人と言って差し支えないかもしれません。

問題は東電の緩み切った体質にあり

この問題について、筆者ももろ手を挙げて賛成と言う態度は取っていません。問題は東電にあります。

先に柏崎刈羽原子力発電所でにおいてテロリストなど外部からの不審者の侵入を検知するための設備の複数が故障したまま、十分な対策が講じられずに放置されていたことが報道されました。さらに原子力規制庁の検査を機に、2020年3月以降、16カ所で設備が故障していたことが判明し、そのうち10カ所では機能喪失をカバーする代替措置が不十分な状態が30日以上続いていたことも判明しました。また、他人のIDで中央制御室に出入りするなど信じがたいセキュリティ上の問題も発覚しています。

これらのことは東電の風土がたるみ切っていることを示しています。テロ対策に問題があっても平気で放置し、故障しても直さず、他人のIDの貸し借りが公然と行われているということは自浄作用を望めないということです。

海上自衛隊で海幕監査官として全国の部隊を監査していた筆者の経験から言えば、原子力規制庁の目も節穴です。

そのような原子力関連組織に処理水の放出が適正に行うことができるのかと言う疑問はもっともです。

そのような指摘を目加田教授がするなら理解できますし、同意もします。

しかし、彼女のコメントには学者としての見識を微塵も感ずることができません。風評被害はこうして起こされていくのではないかという仮説を持った次第です。