専門コラム「指揮官の決断」
第243回システムの欠陥?
システムの欠陥という意味
東京と大阪に設けられた大規模接種センターでの新型コロナウイルスのワクチン接種が5月24日に開始されました。この施設の管理運営は防衛省が担当しています。
当初、この大規模接種センターにおける接種の予約に関しトラブルが発生しました。
正しい接種券番号を入力したのに予約できないという問題が起き、電話での問い合わせが相次いだということです。
ただ、この報道には多分に印象操作がなされています。鵜の目鷹の目で何とか不具合を指摘していきたいメディアの魂胆が透けて見える報道です。
実態は、最初に生年月日を誤って入力すると、その後に接種券番号を正しく入力しても確認画面で生年月日の誤りに気付いて認証画面に戻るとその先に進めないというものです。自分の生年月日を正しく入力していれば問題は生じないのですが、そのようなヒューマンエラーの可能性を考えた作りになっていなかったということでしょう。つまり、いくら正しく入力しても予約できないのではなく、生年月日を誤って入力すると、それを訂正できないという問題です。それをあたかもいくら正しく入力してもシステムが受け付けないかのような報道です。
この予約システムは防衛省が発注して作ったものなので、そこに不備があるとメディアは小躍りして喜びたいのでしょう。
そのシステムが改善されるや次にメディアが何をやったかというと、東京大規模接種センターの予約サイトで接種券番号や誕生日を出鱈目に入力して予約に進めるかどうかを試すという上げ足取りを行い、予約システムに欠陥があると騒いだのです。何としても不備を見つけて吊るしあげたいのでしょう。
当コラムでは何回か指摘していますが、このコロナ禍を取材しているメディアの記者たちは多くが大学で自然科学を専攻した人たちではないらしく、統計学の初歩も理解していませんし、英語で自然科学の論文を読む能力もありません。このため、数字が絡む記事は出鱈目なものが多く呆れされられてきました。この人たちはシステム開発の経験などないのでしょう。システムの欠陥という意味を理解していないように見えます。
ちなみに、筆者も大学の専攻は自然科学でなく、いわゆる私立文系ですが、社会科学の方法論は学んできましたし、自分の専攻分野において必要な数理社会学や統計学の基礎的な訓練は受けてきましたので、その理解の及ぶ範囲で執筆に当たっています。自分の知識・経験の及ばない分野については断定を避けて憶測に留め、記述も伝聞推定の形を取っています。
筆者は30年間勤務した海上自衛隊で、コンピュータのシステム改修を2回担当しています。作戦指揮用のシステムではなく、射撃指揮装置のシステムのようなハードウェアに強く依存するようなシステムでもなく、業務用システムでした。海上自衛隊の艦艇や航空機を動かすために必要な70万品目に及ぶ補給品を扱うシステムの改修などを担当するチームのリーダーとしてシステム設計を行う業者の指導監督をしていました。
実際のプログラミングについても複数の言語でソフトを書いていたこともあります。
それらの経験から申し上げると、メディアのITに関する記事は「ド」が付く素人の議論です。
多分、取材した記者は知らないのでしょうが、このようなシステム上の問題をシステムの専門家は欠陥とは言いません。
徴兵対象者の名簿を作る作業
先の生年月日の入力ミスに気付いて訂正ができないというのは確かに一般の方、特に高齢者を相手にする予約システムとしては不親切ですが、出鱈目なデータを入れてもそのまま予約に進めてしまうのは欠陥ではありません。そのようなシステム設計になっているからです。
正確なデータを入力しないと予約できないシステムにするためには時間と手間がかかります。この度の大規模接種センター開設に関して防衛省に与えられた時間は潤沢なものではありませんでした。そのようなシステムの不備をあら捜しするような連中を対象に作ったシステムではないのです。
そのような連中の悪ふざけを排除するためには、個人を特定できるデータベースとの照合が必要になります。接種券番号は各自治体によっても異なり、またそれらが配布されている個人が誰なのかを特定するためにはマイナンバーのデータベースが必要になります。
この国はマイナンバー制度を作っておきながら住民票の台帳と紐づいていないというとんでもない常識のない国です。プライバシーの保護の観点なのだそうですが、それらのデータを自衛隊が独自の予約システムでデータベースとするなどということになったら、メディアが何と言って騒ぐか目に見えています。「徴兵台帳を作る気だ!!!」
防衛省はそんな批判を受けるつもりは全くないのでしょう。だから、あえて個人のデータを参照する予約システムにしていないのだと考えられます。
コロナワクチンの接種のような本来任務でもない作業に駆り出され、その挙句徴兵制を布こうとしているなどと言われたくはないはずです。
また、各地方自治体から住民に関するデータベースを集め、それをその都度参照しながら予約を進めていくシステムなど作っている暇があるならサッサと開設して接種を始めたいというのが本音だったはずです。
各地方自治体の住民に関するデータベースが統一されたフォーマットならともかく、バラバラなフォーマットなのでは、それらを参照するプログラムを作るだけでも手間がかかるのです。
この件で、メディアの本性がはっきりと見えたと言ってもいいでしょう。つまり、彼らにとってはセンターが早く開設されてワクチン接種が円滑に始まることなどはどうでもよく、ただひたすらに粗探しをして防衛省をあざ笑って視聴率や購読者を獲得しようとしているにすぎないのです。
緊急事態において、彼らの批判がどれほど馬鹿げているかは電話の119番を考えるとよく分かります。
世の中には病院に行くタクシー代わりに救急車を呼ぶ人も大勢います。しかし、これらの緊急性が認められない通報ができないシステムにはなっていません。かなり疑わしい場合においても救急車は出動してきます。
これは本当に緊急性があるのかないのかを判断するルーティンを入れると緊急性が失われるからです。危機管理上の事態においては多くのものを切り捨てなければなりません。その結果、救急車をタクシー代わりに使って病院へ行くお年寄りも現れていますが、だからといってこの国の救急体制が欠陥とは言いません。東京消防庁ではやむなく救急搬送トリアージを試行中ですが、119番通報制度は性善説を前提に作られています。システムの欠陥の粗探しをする新聞記者などを前提に作られているのではありません。
防衛省は拙速であっても予約ができるシステムを早く構築して開設準備をしたかったのでしょう。そして個人情報のデータベースを参照するシステムなどを作ると「徴兵台帳を作るつもりだ」など非難されるのは間違いないと判断したはずです。本来任務ではない一般住民へのワクチン接種などという作業において、そのような非難を受けるつもりも彼らにはまったく無かったでしょう。私がこのシステムを担当しても同じことをしたはずどころか、もし、個人情報を参照しながら予約を受け付けるシステムになっていたらその機能を外したと思います。メディアが「徴兵制導入への下地作り」などと批判するのは明白だからです。
何故欠陥ではないのか
なぜシステムの欠陥ではないと言い切ったかというと、最終的にでたらめなナンバーを入力して予約しても、接種会場に接種券を持ってこなければ接種できないので予約通りに接種を受けることができないからです。このためにシステム上では予約を受けてしまっても実際に接種を受けることができないからです。
確かに、新聞記者よりはまともなハッカーによって数百万回の予約が行われるような事態が生起すれば予約が出来なくなりますが、システムの専門家ならそのような波状攻撃を回避する手段をいくつも持っています。つまり、システムの欠陥ではありません。
この件について架空情報により予約できるかどうかを試した報道機関に抗議した防衛省に対して立憲民主党はヒアリングを行い、報道の委縮を招くと防衛省を非難しましたが、これは報道の自由をめぐる問題ではなく、刑法の偽計業務妨害罪の話なのが理解できないものと見えます。
また、岸防衛大臣が毎日新聞と朝日新聞を「悪質」と抗議したことに、上智大学の中野晃一教授は「痛いところを突かれたための『逆ギレ』以外、何ものでもない。攻撃することで、失敗を覆い隠そうとするあさましさ。現役防衛大臣と前首相がジャーナリズムの萎縮を狙っているようにしか見えず、国際的にみても恥ずかしい」と指摘していますが、この政治学を専門とする学者もシステムについては全くの素人で、防衛省が痛いところを突かれたなどとまったく考えていないことを知りません。政治学専門の学者にシステムフローチャートを読めとは言いませんが、大学の教授にもなってまともなシステムを作ることがどういうことなのかくらいの認識もないというのは唖然とします。専門家なら専門外の領域について言及する際にはどういう態度でなければならないかを知っておくべきです。
システムを理解できないのは知的障害なのか?
危機管理において重要なことは、完ぺきを目指すことではありません。
後手に回って事態がスパイラルに悪化しないようにあらゆる手を打っていくことが重要です。その時点で最善と思われる方法を大胆に実行し、それがもし失敗であれば、しっかりと失敗したという事実から目をそらさず間髪を入れずに修正していくスピードが重要です。
その意味で大規模接種センターは要求された開設時期までに準備を終わり、スムーズな作業を開始しており、うまく機能していると評価されます。
予約システムも大胆に機能を絞って要求通りの開設に結び付いたのであり、システムの素人が批判するような欠陥ではないのです。
システムは業務を支援するために作られます。当然のことながら時間的制約や予算的制約のもとに作られるため、具備すべき機能と我慢せざるを得ない機能、最低限備えなければならない条件などが検討され、システムのスペックが作られていきます。それを運用要求と言います。
十分な時間があって無尽蔵の予算を使えるシステム開発ならあらゆる状況に対応できるシステム開発ができるかもしれませんが、限られた時間で開発しなければならないという制約のもとに行うシステム開発では多くの機能などをあきらめて必要最低限の機能で我慢しなければなりません。この度の大規模接種センターの予約システムは典型的にそのようなシステムです。そのようなシステムに対し、粗探しをしてシステムが仕様上あきらめた機能を発見してそれを「欠陥」と呼ぶのはITについての常識を持ち合わせないことを披瀝しているのに等しい行為でしょう。
これが欠陥と呼ぶべきではないのはシステム開発の基礎知識を持たない文系の記者がシステム開発の常識を知らないからと言ってその記者を知的障害者と呼ばないのと同じなのですが、どうもこれらの記者は自分たちが知的障害を持つと言ってもらいたがっているとしか思えません。