専門コラム「指揮官の決断」
第262回専門コラム チェリー・ピッキング
サクランボ狩り?
今回は妙な表題が付いています。コロナ禍にうんざりして季節外れのサクランボ狩りに出かけようなどと考えているわけではあません。もしそのような話であるなら当コラムで取り上げずにメールマガジンの方で取り上げます。
コロナ禍の話題について書いているとうんざりすることばかりなので、当コラムの本来の任務である危機管理についての有益な情報を提供するという本旨に立ち返り、危機管理において重要なティップスについての話です。
危機管理上の意思決定の特徴
当コラムで何度も指摘したことではありますが、危機管理上の事態における意思決定には他にはない特徴があります。
危機管理上の事態においては十分な情報を得ることが出来ないのが普通です。得られる情報は断片的で、前後の脈絡もなく、またバイアスのかかった情報であることが常態です。意思決定者は、それらの前後の脈絡のない断片的な情報から現場で何が起きているかを把握し、バイアスを考慮したうえで対応策を立てなければなりません。
しかもその意思決定は時間をかけることが出来ず、即断即決であり、変化する事態の先を読んで連続的に行わなければならず、かつ、判断を誤ってはなりません。間違ってもいい意思決定などはないのですが、危機管理上の意思決定は誤っても修正する余裕がないのです。誤りを修正しているうちに事態が変化していき、判断が後手後手になってしまうのです。
つまり、危機管理が成功するかどうかはこの意思決定をどこまで誤りなく、速やかに、かつ連続的に行えるかにかかっていると言えます。
危機管理における情報の性質
危機管理において重要なことは、しっかりと情報を集めることであるとおっしゃる方が多いのですが、多分、危機管理の現場経験がないのだと思われます。十分な情報があれば苦労しないのです。
逆に、危機管理上の事態を乗り切ろうとするトップは十分な情報がないことに耐えなければなりません。わずかな情報から現状を理解し、適切な意思決定をしていかなければならないのです。
東日本大震災において、福島原発が事故を起こした際、時の首相は現場からの情報が錯綜したことに腹を立てて自らヘリコプターで乗り込んでいきました。
首相が原子力の専門家であったのならともかく、この首相は原子力については素人でした。現場にとってはこれが適切な意思決定を妨げる最大の障害になったはずです。
危機管理上の事態においては、トップは的確な情報を得られないことに耐えていかなければならないのですが、気を付けなければならないのは、せっかく得られた僅かな情報を無駄にしてしまうことが多いことです。
情報にはバイアスがかかっていることが普通です。特に危機管理上の事態においては、情報の発信者も平常心ではないので発信された情報自体にバイアスがかかっていることが多く、さらに解釈時にバイアスがかかると実態とかけ離れた理解になってしまい、意思決定を誤ることになるので要注意です。
ダニエル・カーネマンらの研究によって大きな進歩を遂げてきた行動経済学は、この意思決定に関するバイアスの正体を次々に明らかにしてきています。認知心理学の成果を積極的に取り入れ、それまで経済学が前提としてきた「合理的経済人」仮説とは別の側面からのアプローチを試みる行動経済学ですが、危機管理を専門とする当コラムにおいても重大な関心をもってその発展を眺めています。
意思決定におけるバイアス
さて、今回の表題である「チェリー・ピッキング」ですが、これは私たちの意思決定においてしばしば経験する代表的なバイアスの一つを指しています。
これはひとことで表現するなら、「人は見たいものしか見ず、見せたいものしか見せない」傾向があるということです。
言い換えると、都合のいい特定の証拠にのみ着目し、不都合な証拠は無視してしまうということです。
状況の中には様々な情報があるにもかかわらず、その中で自分の判断を裏付けるのに都合のいい情報は取り上げるけれど、自分の判断を否定してしまうかもしれない情報についてはこれを無視するということを私たちはよく行います。
俗に「惚れてしまえばアバタもエクボ」と言われますが、それがこの認知上のバイアスです。
この場合は情報を無視しているのではなく、都合のいいように解釈しているということになります。
元々は、ボール一杯に盛られたサクランボから美味しそうな実だけを選んで食べることを言うのですが、現在では社会科学上の学術用語にもなっています。
チェリーピッキング事例
テレビのワイドショーなどでよく行われる政権批判などは、まさにこのバイアスの塊かもしれません。
当コラムでもよくコロナ禍を巡る様々な批判を展開していますので、このバイアスについてはかなり注意を払っています。
例えば、現政権のコロナ対策が失敗だったと評するコメンテーターは極めて多数いますが、一日100万回のワクチン接種をあっさりとやってのけた現政権の指導力・調整力を評価する人はほとんど見受けません。
立憲民主党の蓮舫議員は日本のワクチン接種の立ち遅れをよく指摘しています。曰く「『2回目接種が全国民の5割』との見出しに違和感」として、「64歳以下で見ると東京は33%、北海道20%、京都22%、大坂24%と2割から3割。菅総理もワクチン接種は進んでるとよく言われますが、未だ予約も取れない方々への接種をより進めるべきですとの見解です。そもそもワクチン接種開始が欧米に比べて極めて遅かったとの指摘もしています。
しかし、これはWHOのワクチン配分計画(COVAX)により、日本への配分枠は確保されたものの、接種優先順位の評価から日本への配分が遅くなったことによるものであり、現政権の責任ではありません。世界的なコロナ情勢から見れば、日本での感染状況などそれこそさざ波以下なので、より優先度の高い国に先に配分されるのは当然のことですし、接種開始が遅くなったにも関わらず、接種速度の速さは世界でもトップです。
蓮舫氏の批判は、概ね接種が終わっている65歳以上に触れず、64歳以下に言及しており、都合の悪い証拠は見せないという典型的なチェリー・ピッキングです。
両刃の刃
チェリー・ピッキングという心理的バイアスは両刃の剣として作用します。
蓮舫氏のように、ある一定の証拠のみに基づいて議論をするという場合によく用いられますが、テレビやネットで流れるコマーシャルなどもその例です。
コマーシャルで、「この製品はこういうところが素晴らしいです。一方、この点はダメです。」などと言っているのを見たことがありません。ユーザーの声も紹介されますが、称賛の嵐です。98%のお客様から乞う評価を得ていますなどと言うのは正直なCMでしょう。2%はボロクソに言っているんだということが分かりますからね。
ここで気を付けなければならないのは、両刃の劒だということです。これを常に意識しておかないとアバタがエクボに見えてしまうのです。
これはある意味では悪いことばかりではありません。自分の選択が正しかったと思いこむことにより、いつまでも後悔せずに前を向くことが出来るからです。
しかし、危機管理上の事態に対処するとき、このバイアスは排除してかかる必要があります。
認めたくない事態が起きている時、勇気をもってその事態を見つめることをチェリー・ピッキングは妨げてしまいます。
情報がもたらされた際、語られていない不都合な真実があるのではないかと疑ってみることが必要です。また、もたらされた情報の中に、自分があえて評価していない情報があるのではないかと振り返ってみることも必要です。
このチェリー・ピッキングという認知上のバイアスに囚われないようにするのは非常に難しいのですが、一つアドバイスを差し上げると、「コインには表と裏がある。」という当たり前のことを常に思い出すようにすることだと思っています。