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専門コラム「指揮官の決断」

第263回 

リンダ問題

カテゴリ:意思決定

上智大学の100名の学生にはお馴染みの問題です

前回、意思決定におけるバイアスの問題を取り上げ、チェリー・ピッキングというバイアスについて言及しました。

今回もまた意思決定におけるバイアスの問題を取り上げます。

今回取り上げるのは表題の「リンダ問題」です。これは社会学や心理学を学んだ方には耳慣れた問題ですが、それ以外の方にはほとんど知られていない問題かと思います。

まず最初に皆さまにお考えいただきます。

31歳で独身のリンダさんは、率直な物言いをする人で、非常に聡明な女性です。大学では哲学を専攻していました。学生時代には、差別や社会正義などの問題に深く関心を持ち、反核デモにも参加した経験があります。

さて、現在のリンダさんの状況を記述したものとして、以下の二つの選択肢のうち、どちらの可能性がより当てはまりそうでしょうか。より可能性の高いほうを選んでください。

1 リンダさんは銀行の窓口係である。

2 リンダさんは銀行の窓口係で、フェミニスト運動に参加している。

多くの方が2を選択されたのではないかと拝察します。学生時代のリンダさんの状況を考えると、2のフェミニスト運動に参加しているということは大いにありそうです。

しかし、可能性という確率を考えると、正解は1です。

筆者は昨年、母校上智大学で危機管理の入門的講義を行いました。何回目かの授業でこの問題を出して学生に考えてもらいましたが、やはり大多数の学生が2を選択したようでした。コロナ禍でオンデマンドの動画による講義だったので、その場で手を挙げてもらったのではありませんが、多くの学生がリアクションペーパーで言及したのはこのバイアスには気が付かなかったということでした。しかし、彼らはもうこの類の問題に惑わされることはありません。

この問題は行動経済学の先駆的業績を残しているダニエル・カーネマンがその著書で掲げた連言錯誤の代表例の一つです。連言とは「かつ」という意味です。

この問題は代表性ヒューリスティックの説明に用いられることが多いようです。

代表性ヒューリスティックとは、ある対象が特定の集団をどれくらい代表しているかに基づいて、その対象がその集団に属している確率を判断するヒューリスティックをいいます。

リンダ問題においては、銀行の窓口係であるということは1にも2にも共通する性質であり、冷静に考えると一つの条件だけ持つ選択肢があり、しかもその一つの条件が他の選択肢と共通であれば、その選択肢の方がリンダさんが持つ性質を表す確率が高いことが当然に分かるはずなのですが、多くの方はリンダさんがもつ特徴的な性格に過度に着目してしまいます。つまり、リンダさんの学生時代の差別や社会正義などの問題に深く関心を持ち、反核デモにも参加した経験を持つという性質が、フェミニストが持つと考えられる代表的な性質を満たしていると感じ、フェミニストであるという可能性を過大評価しているのです。

代表性ヒューリスティック

このような代表性ヒューリスティックは私たちの日常生活の随所に見受けられます。

例えば、筆者は海上自衛官として約30年間勤務していました。その経験をご存じの方は、筆者が「私は体が弱いんです。」とか言っても信じてくれません。

確かに幹部候補生学校ではかなり鍛えられましたので、当時はそれなりの訓練に耐える体力と気力を持っていたとは言えるのですが、その後の勤務で身体をこわしているかもしれません。癌などは本人の肉体的な能力とはあまり関係なく襲ってくる病気のように見えますし、長く艦隊勤務を続けた者は、運動不足による生活習慣病になりやすいので皆気を付けています。

そもそも筆者は出生時母親が病弱のため7か月でこの世に引っ張り出されたため未熟児でしたし、その後1歳になるかならないかの時に母親が持っていた結核に感染してすさまじい高熱を出して、それから65年経ってもレントゲンには石灰化した結核の痕が残っています。なので、基本的には体が弱いのです。

ただ、その程度のヒューリスティックであればあまり問題になることもないのですが、困るのは、脳みそまで筋肉で出来ていると信じられたり、あるいは思想的にかなり右翼的であると考えられたりすることも少なからずあることです。かつて、現役の時でしたが、ある地方都市に入港して、地元の歓迎会に招待いただき、地元の女性と話をしていたら、「自衛官の方でも冗談を言われたりするんですね。」と感心されたように言われてショックを受けたことがあります。

ここまで話をしてきたことだけでも、この代表性ヒューリスティックに囚われると判断を誤る恐れが大きいことをご理解いただけるかと思います。

直感と違いますね

もう一つ事例を挙げます。

サイコロを6つ持って順番に振るとします。

サイコロの目が全部「1」になる確率と2・5・3・1・4・6となる確率のどちらが高いかと訊かれると直感的には後者の方が高いように思ってしまいがちです。しかし、確率論から申し上げると、前者と後者の確立は同じです。

先ほどからヒューリスティックという言葉を使っていますが、これは人が判断や意思決定をする際、無意識に使っている手がかりや法則を意味しています。

このヒューリスティックのお陰で私たちは頭で考える前に無意識のうちに行動することが可能になり、意思決定に至る時間を短縮することができるようになります。

しかしヒューリスティックは個人の経験に基づくため、個人によって一定の偏りが生じるます。そして、その認識の偏りは「認知バイアス」と呼ばれ、このために正確性が担保されなくなるという面を持ちます。

バイアスに惑わされずに意思決定を行うためには

このヒューリスティックスが無意識の領域において意思決定するのを助けるのに対して、論理的なプロセスで問題解決に至る一連の手順をアルゴリズムと呼びます。

危機管理上の事態における意思決定は一刻を争うものが多いので、情報を得ると無意識のレベルで結論を出してしまいがちです。

しかし同時に、危機管理上の事態における意思決定は次々に変化する情勢に対応するために連続的に行わなければならないので、そのプロセスの中でボタンの掛け違いをすることが出来ません。これをやってしまうと、掛け違ったボタンを修正しながらの変化する情勢への対応となりますので、後手後手に回ってしまうからです。

つまり、無意識的・直感的な判断ではなく、論理的なプロセスを踏んで意思決定する習慣をつけることにより、この代表性ヒューリスティックの落とし穴に落ちることを防ぐということが必要です。