専門コラム「指揮官の決断」
第272回磨き上げた靴が命を救う
危機管理における重要ポイント
当コラムでは危機管理における重要なポイントが三つあるとたびたび申し上げてきています。
意思決定、リーダーシップ、そしてプロトコールです。
最後のプロトコールは、組織と外部との接点において、いかに組織が外部から評価されるかを主なテーマとしており、来客時の接遇や宣伝広告のあり方などを問題としますが、それだけでなく、老舗料亭の女将の立ち振る舞いなどは危機管理の基本になるとたびたびご紹介してきました。
つまり、外部から見て隙のないマネジメントが淡々と行われている組織は危機管理に強いということです。
老舗料亭の女将は、いかなるゴミやチリ、掛け軸の傾きなども見逃すことなく、ご自分の足袋の汚れなどは論外ですし、およそどんなお客も気が付きそうにない細部にまで気を配ります。
それが危機の兆候を見逃さないという能力に直結しています。
磨き上げた靴?
今回の表題の「磨き上げた靴が命を救う。」という言葉は、まさにここに述べていることそのものを端的に表現した言葉です。
この言葉は、1990年にイラクのクウェート侵攻に対応するために組織された多国籍軍を指揮した故ノーマン・シュワルツコフ米陸軍大将の言葉です。
軍靴を磨き上げ、ピカピカにしておくことの重要性を説いた言葉です。
戦場では戦闘服も長靴もドロドロになります。しかし、一度戻ってきたら、その軍靴をピカピカに磨き上げ直すということができない軍隊は戦いに勝つことができないという意味です。
意外に思われるかもしれませんが、そういう意味で軍人は怖ろしく几帳面でなければなりません。
筆者が海上自衛隊に在籍していた頃にも、司令部幕僚として部隊の点検に何度も立ち会い、あるいは指揮官として点検行事を何度も執行してきました。
まず見るのは隊員たちの履いている靴です。整列している隊員たちの靴が、顔が映るくらいに磨き上げられていない部隊は、その他の何を点検しても、まず不合格です。
逆にそれが完璧に行われている部隊は、重箱の隅をつつくような点検をしても完璧です。
これは見事なまでに事実であり、したがって点検の成績はほぼ最初の数秒で予測できました。
海上幕僚監部の監査官として全国の部隊を監査して回っている時も、当直士官の出迎えを受け、指揮官との面談の部屋に通される間に、ほとんど監査結果を予測できました。
それほど軍隊においては靴にいろいろなことが表れてきます。
小さな何気ないことに気を配ることができるか
自衛隊を退官後、精密部品を扱う専門技術商社の営業部長となっていろいろな製造業の会社を訪問しましたが、そこでも何気ない小さなことからその会社の能力や実態を察知することができました。
ある地方の小さな会社では、予備知識なしに訪問したのですが、小さな応接室に通され、社長、専務、工場長の三人に対応していただきました。
最初に若い女性の職員がお茶を出してくれたのですが、私たち四人に彼女が何気なく置いて行った湯飲み茶わんの模様のついている面がすべて私に向けられて置かれたのに気づいて「オッ」と思いました。
その後見学させていただいた工場は、さすがに海幕監査官を勤めた経験のある筆者でも注文の付けようのないもので、さらに話を聞くと技能オリンピックに何人も出場させてきた実績があるそうでした。技能オリンピックは一職種一名または一組しか出場できませんから、それまで日本一の座を何度も取っているということになります。
逆に専務は筆者がその茶わんの置き方に注目したことに気付いており、いろいろな内情について初対面とは思えない深さで語ってくれました。
まだ取引を始めるかどうかわからない相手の筆者を相手にそこまで話をされて大丈夫なのですかと問うと、彼は「弊社の価値をしっかりと認めて頂いていると思っております。」ということです。
その会社とは結局取引を始めることになり、その後米国企業のCEOとして赴任した先からも引き合いを出したことがありますが、いつも完璧にこちらのオーダーに応えてくれました。
たかが茶わん、されど茶碗
会社での湯飲み茶わんの置き方や軍隊での靴の磨き方など、それらの組織の本来の目的からはどうでもいいことのように思われるかもしれませんが、しかし、裏を返すと、そのどうでもいいことすらまともにできない組織にはまともに成果を上げられないということでもあるかもしれません。
経営者の皆様、たかがお茶とか靴などとお考えであれば、基本的に考え直す必要があることをご自覚ください。
それがマネジメントの基本なのです。