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専門コラム「指揮官の決断」

第275回 

危機管理とは何をするマネジメントなのか

カテゴリ:危機管理

明けましておめでとうございます

新しい年の第1回目の専門コラムです。

今回から初心に帰って「危機管理」とは何かというところから掘り起こしていきたいと考えています。

このテーマについては当コラムですでに何度も触れてきていますが、最初からお読みなっている方々ばかりではありませんし、それぞれに微妙に説明の足らないところなどもあります。

また、危機管理という言葉をこのコロナ禍で初めて意識された方々も多いかと存じます。そのような方々には、この社会にはびこる誤った危機管理の概念に毒されてしまう前に、正しく危機管理の概念を理解して頂く必要があると考えています。

何が危機管理ではないのか

まず最初に、世間一般にある大きな誤解を解いておきます。

筆者が講演などで紹介されるとき、「リスクマネジメントの専門家の・・・」と紹介されることがあります。

これが誤解です。

当コラムではうんざりするほど繰り返してきていますが、リスクマネジメントと危機管理は別物です。

危機管理とはクライシスマネジメントの日本語訳であり、クライシスとリスクは意味が異なります。

「リスク ”risk”」とは「危険性」を意味します。辞書を引いてみると分かりますが、riskに「危機」という意味はありません。

危険性と危機がどう違うのかをクドクドと説明せずとも、別物であることは皆さまも直感的にご理解されているかと拝察いたします。

多分、「危険性」というものはある程度覚悟すべきものではあるが、「クライシス=危機」というものは何とかして避けるべきものと漠然とお考えかと思います。

よく、ハイリスク・ハイリターンとかノーリスク・ノーリターンなどと言う言葉をお聞きになるかと思いますが、リスクというのはある程度覚悟しないと何も得られないという性格のものです。

株式投資にはリスクがつきものです。相場を読み違えると大損をしますが、しっかりと読み、あるいは運が良ければ大きな利益を上げることが出来ます。

つまり、ここではリスクのコントロールが大きな運命の分かれ目となります。

一方で、危機は思いもよらぬところ、思いもよらぬ場所で襲われてしまい、ただうろたえてしまうことがあります。

例えば、2019年の12月頃、向こう2年以上に渡って世界が新型の感染症で苦しめられるなどと予想していた人がいるでしょうか。

年末に起きた大阪の雑居ビルでの放火事件で多くの心療内科の患者さんの命が奪われました。これも誰も予想していませんでした。

これが危機です。

そうやって見ていくと、危機と危険性はまったく別物であることが分かります。

にもかかわらず、世間の多くの方はリスクマネジメントとクライシスマネジメントの違いを理解しません。というよりも、クライシスマネジメントという言葉をご存じない方が圧倒的多数です。

危機管理の概念が混乱している国は・・・

筆者は英語圏、ドイツ語圏、フランス語圏、スペイン語圏の軍人たちにそれぞれの母国語でリスクマネジメントとクライシスマネジメントの意味に混同があるかどうかを尋ねたことがあります。いずれも「お前は何をバカな質問をしているんだ?」という顔をされました。

一昨年は大学の非常勤講師をしていたので、中国からの留学生に尋ねてみましたが、明らかに別物であるとの答えでした。

また、昨年は韓国政府の役人にも尋ねましたが、やはり明らかに異なる概念であるとの回答でした。

つまり、リスクマネジメントを危機管理だと思い込んでいるという誤解は、筆者の知る限り日本に於いてのみ生じている現象です。

筆者は元々経営組織論を専攻していましたが、海上自衛隊に入隊後、その専門をより狭くして、組織論の中のリーダーシップ論と意思決定論に絞って学んできました。

途中、リーダーシップ論が社会科学の議論としてきわめて中途半端な議論しかなされていないのに幻滅して、それ以降は意思決定論を中心に研究を続けてきたのですが、ある時、危機管理の概念がこの国では正しく理解されていないことに気付き、その原因を探求したことがあります。

意思決定論の研究者が危機管理論を学ぶということは珍しいことではありません。外交政策の意思決定などを研究していると、どうしても危機管理論に行きついてしますからです。

筆者の危機管理論の研究もそのあたりから始まりました。

したがいまして、当コラムで展開される危機管理の議論は組織論、意思決定論に立脚した議論が多くなっていますし、これからもそのように展開していくものと考えています。

さて、問題のリスクマネジメントと危機管理の概念の混乱ですが、それぞれの概念と、何故そのような混乱が生じたのかという問題については徐々に解説をしてまいります。

今回のコラムでは、まず、リスクマネジメントは危機管理ではないということをご理解頂ければいいかと考えています。

リスクマネジメントと危機管理は別物

当コラムでは危機管理の専門コラムですから、危機管理についての話題を取り上げることは多いのですが、リスクマネジメントの話題を取り上げることはあまりありません。

誤解して頂きたくないのですが、当コラムがクライシスマネジメントは重要であるが、リスクマネジメントは重要ではないと言っているわけでもありません。

クライシスマネジメントとリスクマネジメントは別のマネジメントであり、筆者がリスクマネジメントを専門としていないので踏み込んでいかないだけのことです。

実はリスクマネジメントというマネジメントは、極めて広範囲な対象を扱うのですが、しかし、その各部門は極めて専門性が強いので、すべてを一人で網羅することができません。

リスクにはいろいろなリスクがあります。ファイナンシャルリスクであったり、リーガルリスクであったりします。一つの問題を様々な角度からそれぞれの専門家が見ると異なる解決法になったりもします。

つまり、リスクマネジメントというのはそれら専門家の仕事なのです。

厳密に申し上げると、様々な専門家が、その専門的見地からリスクを予測し、その対応策を準備するところからリスクマネジメントは始まります。

一方のクライシスマネジメント(危機管理)には、そのような事前に対応策を準備する専門家は存在しません。結果として専門家の知見が必要になることがほとんどなのですが、事前に専門家が対策を準備しておくことはできません。

例えば、原子力発電所で予期せぬ事故が生じた場合、原子力の専門家の知見が必要になります。しかし、あらかじめそのような事故を想定して専門家の知見が動員されていれば、そのような事故にはなっていないはずです。

つまり、危機とはそれら専門家の行った想定を超えたところに生ずるものであり、あらかじめ検討していないところで起きるという致命的な性質を持っています。

また、ひとたび危機管理上の事態が生じた場合、対応は極めて多岐に渡るため、あらかじめそのような専門家をすべて待機させておくこともできません。

例えば、原子力発電所の事故を見てみると、もちろんその事故の原因を除去するために原子力の専門家の知見は必要ですが、放射線がバラまかれることが人体に与える影響については医学の専門家の知見が必要ですし、その危険範囲がどこまで及ぶのかについては気象の専門家に訊く必要があります。

原子力発電所の機能が失われたために不足する電力をどうするかはエネルギーの専門家の知見が必要でしょう。

さらに、発電所の除染水の処理に関しては水産や環境衛生の専門家の知見が必要になります。

このように危機というものは起きてみないと、どのような対応が必要になるのかがなかなか分からないのが普通です。

つまり、危機管理は専門家の仕事ではなく、トップの責任です。

経営トップは危機管理の責任から逃れてはならない

組織は様々な専門職域から編成されています。

営業や経理、情報システム、生産さらには人事や総務など多くの職域を機能的に組み合わせていくのが組織です。それぞれの分野にはその専門のスタッフが配員され、それらの部門の長たちはその専門部門を率いて組織目的の達成に貢献することになります。

大きな組織のトップは、すべての専門部門をそれぞれの専門的見地から監督することはできないので、それらの部門の長に指揮監督を委任することになります。

組織の多くの部門はそれでうまく業務が進んでいきます。それが「官僚制」組織です。

営業出身の社長は技術に関しては技術部長や工場長に任せなければならないこともあるでしょう。逆に技術出身の社長は経理や営業に関してはあまり口を出せないかもしれません。

それは仕方のないことであり、そのような場合は、それぞれの部門が組織の掲げた理念に反することをしていないかどうかを見ていれば、大きな過ちは起きません。

しかし、トップの経営者は「危機管理」の指揮は委任してはなりません。それだけは自分が取る覚悟が必要です。

大きな会社で「危機管理部」を作ることがあるかもしれません。しかし、危機管理上の事態において指揮を執るのは危機管理部長ではありません。社長です。

「危機管理部」は単なる社長を補佐するスタッフ組織に過ぎません。

逆に申し上げれば、危機管理上の事態における指揮以外のものは権限を委譲しても構いません。経営者に期待されるのは責任を取ることだけです。

しかし、危機管理上の事態を乗り切るための権限は何があっても移譲してはならず、自分が指揮権を掌握し、そして最後まで責任を取らなければなりません。

その覚悟が経営者に必要な最低限の条件です。

危機管理の概念を誤解すると・・・

かつてある経営者に話を伺っていた時のこと、その会社の危機管理体制について伺うと、その社長は胸を張って「うちは大丈夫。」とおっしゃいました。詳しく伺うと、その2年前に危機管理専門の部門を立ち上げ、その部長に警察署長を経験して退職した元警察官を採用したのだそうです。彼がいろいろとやってくれているから大丈夫なんだそうです。

警察官は犯罪捜査の専門家ですから防犯対策などは任せることが出来るでしょう。

しかし、機動隊やテロ対策などを長くやっていた警察官ならともかく、生活安全課、交通課、刑事課などを長くやってきた警察官が危機管理の専門家とはどうしても思えません。何をもってその社長は胸を張れるのか、今もって理解できません。

何が起きたのか承知しておりませんが、その会社が現在存続していないことは間違いありません。乗り越えることのできない何かが起きたのかもしれません。

コロナ禍と戦うには元警察官の知見が及ばなかったのかと危惧しているところです。

危機管理というマネジメントが何を目的とするマネジメントなのかをしっかり理解していない経営者はこの類の過ちをよくやってしまいます。

せっかく危機管理が重要だという認識になっているにもかかわらず、基本的な理解を誤っているために正しく対応できずに失敗してしまうというのはとても残念なことです。