専門コラム「指揮官の決断」
第279回令和最大の危機
政治の話などしたくないのですが・・・
当コラムではしつこいくらいに執筆担当の筆者が政治を忌み嫌っていることに言及しております。
しかしながら、危機管理の専門コラムとしては経営トップの資質に触れなければならず、したがって政治家にも言及しなければならないことがあります。
文芸春秋の2月号に岸田首相の「新しい資本主義」という論文が掲載されました。
筆者は自民党総裁選の頃から、この「新しい資本主義」という概念が理解できず、「成長と分配の好循環」というけど、どうやってその好循環を作り出すのかを疑問に思ってきました。文芸春秋に論文が掲載されたと聞いてすぐに買ってきた次第です。
当コラムでは総裁の直後から、岸田首相には危機管理ができないと指摘しています。
それは彼が「危機管理の要諦は、最悪の事態を想定して備えることだ。」と主張してきたからです。それは危機管理ではないということは何度も申し上げてきたところです。
想定して備えるのはリスクマネジメントであり、クライシスマネジメントは想定外の出来事に対応するものだからです。想定しえなかったから危機になるのであって、想定が出来て、対応が計画されているのであれば危機にはなりません。事態を危機に発展させずに収めるのがリスクマネジメントです。
ただ、この政権は成立後、支持率を上昇させています。18歳以下への10万円相当の給付で全額現金の給付を容認したり、オミクロン株陽性判定者全員入院方針を見直したり、濃厚接触者とされた受験生らへの追試を各大学に要請するなどの対応が評価されているようです。
まん延防止等重点措置の適用を行わなければならないと判断したことをもって1月末の支持率が政権発足後初めて低下しましたが、60%前後の支持率を維持しています。
「新しい資本主義」とは・・・
さて、件の論文ですが、この論文が執筆された目的は、岸田首相が提唱する新しい資本主義について、何を目指しているのか明確にして欲しいという意見が多く、それにこたえるために新しい資本主義のグランドデザインについて話をするということにあるとなっています。
やっとご本人から「新しい資本主義」の概念が語られるので、期待して読んでいきました。
ところが、1ページ目の最初のパラグラフで目を疑うような記述に出くわしました。
「市場や競争に任せれば全てがうまくいくという考え方が新自由主義ですが・・・」と語られています。
通常の場合、筆者はこのような論文に出会うと、その後を読むことをしません。読んでも無駄だからです。
これまで多くの論文の査読を担当してきましたが、例えば意思決定論の論文で「意志決定」などと書いてあったり、「シュミレーション」などの記載があると後を読みません。意思と意志の違いがわかぬ者の意思決定論の論文など読むに値しませんし、シュミレーションなどという言葉を使う者はろくに教科書や論文を読んだことがないことが類推されるからです。筆者の経験上、その程度の誤りを平気でしている論文で内容が充実しているものに出会ったことがありません。
筆者はよく「遊びなら趣味レーションでいいけど、仕事ならシミュレーションを行え。」とコメントを付けてたたき返していました。
新自由主義という考え方は論者によって異なるため、これが新自由主義の考え方だと指摘することは一概にはできませんし、新自由主義の旗手と見做される論者も単一ではなく、ハイエク、フリードマン、ハーヴェイ、チョムスキーなどが著名ですが、それぞれの主張には大きな開きがあります。しかし、それらの誰一人として「市場や競争に任せれば全てがうまくいく」とは述べていません。
政治家もレーガン米大統領、サッチャー英首相、日本では中曽根首相、小泉首相、安倍首相などが有名であり、米国ではスペースウォーや600隻艦隊などが謳われ、日本では国鉄や電電公社の民営化、金融ビッグバン、聖域なき構造改革などが行われました。それらは市場原理重視の思想の下に行われましたが、しかし市場や競争に任せたのではなく政府主導で行われた改革でした。
逆に言うと、「市場や競争に任せれば全てがうまくいく」という考え方をした学者や政治家がいたのかどうかを伺いたいくらいです。
つまり、筆者に言わせれば、岸田首相は新自由主義が何であるのかを理解しないまま否定しているようです。
さらに驚くべきことに、次のような記述もあります。
「市場に依存しすぎたことで格差や貧困が拡大したこと、自然に負荷をかけ過ぎたことで気候変動問題が深刻化したことはその一例です。」としてその一例として「記憶に新しいところでも、昨年七月の熱海市の土石流災害をはじめ・・・」
熱海伊豆山で起きた土石流災害は確かに7月1日~3日の3日間に552.8mmの降水量を記録するという雨によって引き起こされましたが、この場合はむしろ違法な盛り土が原因と言われています。岸田首相のこの論文はあたかも熱海の災害は人災ではないと言わんばかりです。
新自由主義を否定したのではないの?
さらに読み続けていきます。
「日本企業の成長の制約を打破し、また分配面で今の子供世代、すなわち将来の現役世代に対する安定的な所得の確保に支障が生じることのないよう、人的資本への投資を抜本的に強化すべきです。政府としては手始めに、三年間で四千億円規模の施策パッケージを新たに創設し、非正規雇用の方を含め、能力開発支援、再就職支援、他社への移動によるステップアップ支援をおよそ百万人程度の方に講じることとします。」ということです。これは市場の雇用の流動化を促進することにより全体の経済性・生産性を高めるという施策ですが、前述の新自由主義的な政策を取った政権がいずれも行ってきたことです。つまり、岸田首相は自ら否定する新自由主義の忠実な継承者だということです。
「新しい」というものがないですね
ここに筆者が「新しい資本主義」の概念が理解できなかった理由があるようです。
筆者は何か「新しい」概念が提唱されているものと考えていたので、それが何であるのかを考え続けていたのですが、実は「新しい」ものなど何もないので、それを探しても見つかるはずがないのです。
その証拠を挙げましょう。
この論文には次のような記述があります。
「日本政府は、今後五年間の研究開発投資の目標を、政府全体で約三十兆円、官民合わせた総額は約百二十兆円と定めています。また、世界最高水準の研究能力がある大学を日本に形成するため、十兆円規模の大学ファンドを本年度内に実現し、運用を開始します。」
この政策は前内閣が計画し予算を準備したものであり、いわば既定路線です。
つまり、いかにも新機軸を打ち出し、「話を聞いて」スピード感を持って何かをやっている感を出してはいるものの、新機軸などどこにもなく、実は何もやっていないのが実態なのです。
全額現金での10万円給付を容認するというのは、そもそも半分をクーポンでという当初の発想がお粗末すぎて自治体の処理能力をまったく考慮しない方針であっただけであり、オミクロン株陽性判定者全員入院方針の見直しは、実態として全員を入院させられない事態を容認しただけのことです。昨年秋から冬にかけて、第6波が来ると言われていたにもかかわらず小康状態を得ていた時に2類を5類に変えなかったという怠慢のつけを払わされているだけです。
令和最大の危機のど真ん中
これが現在のコロナ禍への対応の指揮を執っている政権です。
2月8日現在、すでに統計学上のピークアウトは過ぎており、実態の数字も来週には下がり始めるはずなのですが、まん延防止等重点措置の延長を検討していると言われています。
そうでなくとも、飲食店の時短営業と陽性判定者数の増減には関係がないことが明らかなのに、事実上飲食店狙い撃ちの政策を取り続ける現政権の危機管理能力には絶望感しか覚えません。
私たちの社会は、令和最大の危機の中にいます。