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専門コラム「指揮官の決断」

第290回 

モスクワ沈没

カテゴリ:

黒海艦隊旗艦沈没

4月14日、衝撃的なニュースが走りました。ロシア黒海艦隊旗艦「モスクワ」の沈没です。

当コラムは軍事や安全保障を専門とするコラムではありませんが、筆者がかつてその分野で仕事をしていたこともあり、今回はこの船の沈没について取り上げます。

筆者はこの船がまだ現役で、しかも黒海艦隊の旗艦であったことに驚きました。

この船は排水量12000トンを超える、いわゆる「巡洋艦」と言われる大型の軍艦です。

「スラヴァ級」と言われるミサイル巡洋艦であり、筆者の任官当時は世界最強の艦艇の一つでした。

「モスクワ」は艦隊防空を担当し、黒海艦隊の旗艦でもあったということです。スラヴァ級の一番艦だそうですから、筆者が海上自衛隊に入隊したころにはすでに就役していたはずです。

海上自衛隊で同じような任務に就いているのが「イージス艦」ですが、こちらは8000トン程度ですので、「モスクワ」の方が大きいようですが、ただし、軍艦の排水量の計算は、基準排水量か満載排水量かによってかなり変わっていきますので、この数字だけでは比較が難しいかもしれません。

全長については海自イージス艦の方が10メートルほど短いようです。

モスクワは写真を見ても分かりますが、ハリネズミのように武器をたくさん搭載しています。一方のイージス艦は横からの写真で目に見える武器は主砲と近接対空速射砲であるCIWSだけで、かなりあっさりしています。

筆者がまだ任官三年目の新米砲術士として乗り組んでいた護衛艦は、対潜、対空、対水上の各種任務に対応できる汎用護衛艦でしたが、排水量は2950トンしかなく、全長もこの「スラバ級」に比べて50メートルも短い小さな護衛艦でした。しかしミサイル射撃の分掌指揮官であった筆者は、対艦ミサイル「ハープーン」でいかにこの「スラヴァ級」巡洋艦と刺し違えるのかを一生懸命に研究していました。

その船は対艦ミサイルを4発しか持っておらず、一つの目標に対して二発ずつ撃ちますから、二隻の敵には対応するのですが、三隻目にはやられっ放しになるのです。しかし、何としても最初の2隻とは差し違える覚悟で訓練をしていました。

その時の筆者の直属の上司である砲雷長は、北朝鮮がミサイル発射を行うとよくテレビの解説に引っ張り出されている香田洋二元自衛艦隊司令官でした。

「モスクワ」の任務

その後、佐世保を母港とする護衛隊群司令部の幕僚勤務をしていた頃、私たちが戦う相手は依然としてこの「スラヴァ級」巡洋艦であると思っており、水上打撃戦訓練の仮想敵でした。

そんな船がまだ現役にいたこともビックリなのですが、艦隊防空を担当していたということが驚きです。

若干の解説をしておきましょう。

艦隊には様々な船が配属されています。

防空戦が得意な船、対潜戦が得意な船、水上打撃戦が得意な船、指揮通信能力の優れた船などです。

脅威は何が襲ってくるか分かりませんので、一人の指揮官が全部を見ることができません。しかも脅威は単体ではなく複合して襲ってくるのが普通です。

例えば、艦隊を対艦ミサイルで攻撃する時、水上艦艇や潜水艦、あるいは対艦ミサイルを装備した航空機などが様々な方向から敵艦隊に迫り、弾着させる時間を同一にしてそれぞれの位置からミサイルを発射します。弾着時間がバラバラで数秒の間隔が空くと次々に対処されてしまいます。筆者がミサイル射撃を担当していたころは、この違方向同時弾着射撃は7秒以内に集中することが要求されていました。

水上艦艇や航空機、潜水艦などその攻撃を行う各ユニットは、指定された時間(TOTと言います。Time On Targetです。)に同時に弾着するようにそれぞれの発射時間を秒単位まで計算して、それぞれの位置から撃つのです。

この攻撃は、普段一緒にいないユニットとの連携が必要ですので、相当の練度を必要とし、連携要領などについての研究が必要です。

この攻撃がうまく行われると、攻撃される側から見ると、様々な方向から一挙にミサイルが自分をめがけて飛んでくることになります。

この場合、攻撃される側から見れば、最初に対処すべき目標は飛んでくるミサイルなのですが、それをかわした後には敵の潜水艦や水上艦艇あるいは航空機に戦いを挑まなければなりません。あるいは、ミサイル対処に気を取られているうちに魚雷に襲われるかもしれないのです。

そのような場合、それぞれの戦い方を得意としている船の指揮官が艦隊全体のその分野の戦闘を指揮します。

海上自衛隊で言えば、防空戦はイージス艦が得意ですので、イージス艦の艦長かイージス艦を率いている隊司令が全体の防空戦指揮官となり、各艦に目標を割り当てたりします。その間も対潜戦は行わなければならないので、対潜戦を得意とする船や部隊の指揮官が艦隊全体の陣形を指示したり、ソーナー発信の間隔を調整したり、対潜ヘリの派出などを指示します。またその間も、水上打撃戦の指揮官に指定された艦長や隊司令が水上目標を監視し続けています。

「モスクワ」は黒海艦隊の旗艦として司令官とその幕僚を乗せて動くとともに、個艦としては艦隊防空の調整を担当していたものと思われます。

艦隊防空を担当するということは、その艦隊において最も優れた防空能力を持っていたはずなので、それがあっさりと経空攻撃で撃沈されたということはロシアには大打撃のはずです。

戦術思想の違い

ウクライナの発表によれば、モスクワを攻撃したミサイルは「ネプチューン」というミサイルだそうですが、筆者が現役のころにはまだそんなミサイルはありませんでした。

その後に実用化され、射程が300キロメートル程度ということで、どのようなミサイルなのかは概ね見当がつきます。

おそらく、発射から目標到達直前までは海面すれすれを飛んできたはずです。あらかじめ敵の概略の位置をインプットされて発射され、途中に島などがあればそれらを迂回して飛行を続け、目標のすぐそばまで来たところでレーダー追尾か赤外線追尾に切り替え、いきなり高度を上げ、目標の直上から逆落としに命中するように設計されているはずです。

どれほど命中率の高いミサイルでも100%を期待するのは危険なので、通常は二発撃って様子を見ます。今回はその二発が直撃したようです。

ロシアの発表では爆発で船体に損傷が与えられ、えい航されている間に大時化で転覆して沈んだということになっており、ウクライナのミサイルが命中したとは言っていません。

しかし、爆発が起きた理由としてミサイルの被弾を否定はしていないようです。

このロシアのえい航中に時化で沈んだという発表は事実ではないでしょう。

当日の海況は波が波高1メートル程度で、船が沈むような海ではありません。

1万トンを超える軍艦が撃沈されるということは、筆者の知る限り、フォークランド紛争においてアルゼンチン海軍の「ベルグラーノ提督」号が英国の潜水艦に撃沈されて以来だと考えますが、何故簡単に沈んでしまったのか疑問に思われる方も多いかと思います。

たまたま弾薬庫や発電機がある機関室などに命中したというようなこともあるかもしれませんが、そもそもロシア海軍の艦艇はそのような被害に対してぜい弱だという問題を抱えています。

米海軍やその影響を大きく受けている海上自衛隊の艦艇は、ダメージコントロールを意識した建造が行われています。つまり、戦闘中に被害を受けても、その被害に対応しつつ戦闘を継続していくことを基本的な建造思想としています。

一方のロシア海軍ですが、ソビエト時代からの建艦思想によって建造された艦艇ばかりです。

その基本的な考え方は船の写真を見るとよく分かります。

ロシアの船は甲板上に数多くのミサイルなどの武器を並べ、ハリネズミのように見えます。

海上自衛隊の船は、ミサイルのランチャーがいくつも搭載されているということはありません。せいぜい二つ程度です。

海上自衛隊の場合、そのランチャーの下やすぐ横には弾庫が設置されており、ランチャーのミサイルを撃ち尽くすと、その弾庫から次のミサイルを再充填して次の攻撃を行います。

ロシアの艦艇はランチャーはたくさん装備されていますが、構造上、それぞれのランチャー用の弾庫を用意することは困難なので、最初にランチャーに装填しただけの弾数しかもっていません。つまり、次発装填を行うことはありません。

これはどういうことかと言うと、ロシア海軍の戦術思想が、できるだけ多くの武器を装備し、敵を見つけるとそれらの武器で一挙に敵を叩き潰してしまおうということなのです。

つまり、最初の一撃で敵を叩き潰してしまい、反撃をさせないという発想なのです。

これに対して、米海軍や海上自衛隊は、戦闘中に被害を受けても、ダメージコントロールを発揮してその被害に対応しつつ戦闘を継続しようとするものであり、ランチャーに装てんした弾を撃ち尽くすと弾庫から次発装てんして次の攻撃の準備をするのです。

この戦術思想の違いは船の構造に現れます。

ロシアの艦艇は先制攻撃の第一撃で敵を木っ端微塵にしようとしますから、敵から猛反撃を受けてダメージを受けても、それに対応しながら次の攻撃を準備するという発想ではありません、したがってダメージコントロールを意識した構造になっていません。

ロシアの軍艦の写真で、船体に舷窓の丸窓があるのをよく見ます。海上自衛隊の護衛艦に船体に舷窓がついている船はありません。

船体に穴をあけると構造が弱くなりますし、大きく傾いた際にその舷窓が破れた場合には浸水してしまいます。

艦内の調度品も、海上自衛隊の艦艇は火災の延焼を防ぐためにあっさりしていますが、ロシア艦艇の士官室などは重厚な木の家具が使われています。

筆者は1996年に海上自衛隊が初めてロシアに艦艇を派遣した際、派遣部隊司令部幕僚としてウラジオストクに行ったことがあります。その時、幕僚間調整のためロシア太平洋艦隊の旗艦「アドミラル・パンテレーエフ」を訪れ、艦内を見学したことがあります。豪勢な士官室でミーティングをしていたら、猫が膝の上に飛び乗ってきてびっくりしました。

おそらく「モスクワ」も海上自衛隊の艦艇のようなダメージコントロールを意識した構造になっていなかったのではないかと考えます。それは艦内にある消火栓の間隔、消火作業のための準備、浸水対処のための備品などを見ると分かります。

ロシア海軍の防空能力

ネプチューンミサイルが海面すれすれに飛んでくると、地球が丸いために水平線の向こうでは発見できず、かなり近づいたところでしか探知できません。

「モスクワ」は三段階の迎撃システムを持っています。

まず、遠距離で対空ミサイルで迎撃します。この対空ミサイルでの迎撃に失敗すると、次は主砲で撃ち落とそうとします。この主砲での迎撃に失敗すると、最後の手段として自動的に発砲する機関砲が撃ち始めます。毎分、数千発を撃つことのできる機関砲ですが、この機関砲が撃たれる頃にはミサイルは3千メートル程度まで迫っていますので、この段階で迎撃に失敗すると命中は避けられません。

ウクライナは「モスクワ」に向かって、このシースキマーという飛び方をするミサイルを少なくとも二発撃ったはずです。

艦隊で最も優れた防空能力を持つはずの船が迎撃に失敗したとすると、ロシア海軍の防空能力を推定することができます。

ロシアはミサイルに攻撃されて沈没したことは認めておらず、乗組員に犠牲者はなかったと発表していますが、クリミア半島ではロシア正教の司祭が追悼式を行っており、死亡者が出たことは間違いないでしょう。

損傷を受けて沈没する直前の画像もリークされており、撮影者の証言も報道され、単なる事故というロシアの発表は信ずることができません。

モスクワ撃沈の効果

艦隊旗艦であると同時に防空の指揮にあたる艦を失ったことはロシア海軍にとって大打撃のはずです。

ウクライナのミサイルに対する恐怖心が芽生え、艦隊乗員の士気は落ちているはずです。

技術的にも有効な対処方法が確立されるまではロシア艦隊はネプチューンの射程内に入れなくなるでしょう。

この結果、間違いなく言えることは、オデーサ攻略の作戦が大きく見直されることになります。

ウクライナは貴重な時間を稼ぐことができたことになります。