専門コラム「指揮官の決断」
第291回観光船遭難
事件の本質は
ゴールデンウィークを前にして知床で悲惨な海難事故が発生してしまいました。
この事故は特に危機管理上の問題として取り上げるようなものではありません。
事故の詳細がまだ分かっていないので原因等について言及はできませんし、インタビューに答えている関係者等の証言を鵜呑みにするわけにもいきませんが、しかし当時の天気図など客観的なデータを見ても、運航管理をすべき会社も船長もド素人としか思えない態勢で、起こるべくして起こった事故という感が否めません。
起こった事態は悲惨の極みではありますが、危機管理上の問題として本質は何かと考えれば、素人が引き起こした無謀な運航の末の遭難という一言に尽きるかと考えます。
しかし、海難事故は交通事故に比べると一般の方々には理解しくい面もあるかと考え、若干の解説をしておこうというのが今回のテーマです。
どういう船なのか
まず、事故を起こした船がどういう船なのかということですが、これは総トン数が19トンと発表されていますので、船舶の分類上は小型船舶と分類されます。
小型船舶については、それ以上の大きさの船舶とはまったく異なる扱いがなされています。
つまり、免許も異なるカテゴリーですし、搭載すべき安全備品なども異なるカテゴリーで扱われ、単に大きさが小さいというにとどまらぬ簡略化された扱いとなっています。
例えば免許ですが、小型船舶以外の船舶については第〇級海技士という資格を取得しなければ船長になったり当直に就いて航海指揮や機関の運転指揮に当たることが出来ません。
第〇級の〇には1から6の数字が充てられ、船舶の大きさや航行する海域によって難易度が変わっていきます。
アラビアから原油を運んでくるタンカーの船長などは第1級海技士を持っている必要があります。これら〇級海技士の資格の受験をするためにはそれぞれ乗船履歴が必要です。
一方、小型船舶は海技士ではなく「小型船舶操縦士」の資格があれば船長になることが出来、この受験に乗船履歴は必要なく、最短で4日くらいの講習で取得することが出来ます。
講習を受けずとも、直接試験を受けて取得することもできます。
学科試験も極めて簡単な問題しか出題されず、はっきり言えば、誰でも取れる資格です。
この度遭難した観光船の船長がどの程度の経験を持った船乗りなのかは承知していませんが、極端に申し上げれば、指定養成施設で4日間の講習を受けて修了試験に合格していれば、船長になることが出来るという船です。
現場の状況は
遭難日当日の波高の経時変化のグラフも発表されていますが、出港時の波高は50センチメートル程度であったようです。
50センチメートル程度の波高では、遭難の怖れを感ずることはありません。むしろ穏やかな海面であると感じられる波高です。
しかし、遭難したと思われる時間帯では2.5メートルから3メートルの波高になっていたとされています。
この波高は外洋を走るヨットにとっては珍しくない高さであり、乗り心地が良いとは思えませんが、ひとたび外洋に出てしまえば覚悟しなければならない高さです。
一方、遭難した観光船にとってどうだったかと言えば、舵と機関がまともに動いていれば乗り切れない海ではありませんが、乗り心地はかなり悪かったはずです。相当数の船酔いが発生していたと思われます。
当日の天気図を見ると分かるのですが、寒冷前線が通過しています。したがって、出港時のウトロ漁港付近の波は穏やかであっても、後刻寒冷前線の通過を見越したなら出航は控えるのが経験のある船乗りです。現場からは50キロほど離れている網走では最大25メートルの瞬間風速を記録しているほどであり、気温も午前中には15度近くあったのが、遭難の時刻帯には5度前後に低下しているほどの変化を記録しています。
小型船舶操縦士試験には気象の問題も出題されますが、天気予察ができるほどの知識は求められていません。しかし、当日の天気図から寒冷前線の通過及びその後の時化を予見できなかったとすれば船乗りとしては素人です。
この船が漁船なら出航しても驚きません。多少の時化は覚悟しなければ季節性のある漁の機会を逸してしまう恐れがあるからです。しかし観光船は乗り心地も考える必要があります。漁船ですら出漁を見合わせた海だったと言われているときに出港したのは理由があってのことと考えます。
寒冷前線の通過後は北西の風が予想され、当該観光船の場合、往路でも復路でも横から波を受けることを覚悟しなければならないので船酔いの乗客が多数発生することが予想されます。それを出港していったのは、乗客の乗り心地よりも乗船券の売り上げを優先したからでしょう。
何故多くの乗客が依然として行方不明なのか
連絡によれば前部に30度傾いていたということです。前に30度傾いた船内ではまともに座っていることもできなかったはずです。滑り台に乗っているようなものであり、ましてエンジンが停止してしまっているとすれば、船は波に船首を向けることができず、真横から波を受けていたはずで、乗客は滑り台に乗せられたまま、左右に大きく振り回されていたはずで、それは恐怖のどん底に突き落とされていたということになります。
この時点で浸水が始っていたということは、おそらく座礁して前部に亀裂を生じていたのでしょう。
遭難後、必死の捜索にもかかわらず11名の死亡を確認しただけで、半数以上が行方不明になっている理由はおおよそ検討がつきます。
この船長は船乗りとしての経験が浅く、乗客の誘導を適切に行えていないのだと思われます。
連絡では乗客全員が救命胴衣を着用していると報告されています。このような構造の船の場合、船室にいる乗客に救命胴衣を着用させるのは大きなリスクを伴います。浸水が急激な場合、船室内で救命胴衣を着用していると外に出られなくなる恐れがあるのです。船室への出入り口まで水が上がってきていなければいいのですが、もし水がそこまで上がってきていた場合、体が浮き上がってしまってつかえてしまいます。その後ろの人は当然脱出できません。
まして前部が浸水して前に傾いているのであれば、船室の中をよじ登って後部の出入り口にたどり着かねばならず、30度の傾斜があればそれも困難だったはずです。
船体が発見されれば分かることですが、多くの乗客が船内に閉じ込められたまま沈んだ可能性があります。
もし全員が船外に出て海に投げ出されたとしたら、広範囲に行われている航空捜索で発見されるはずですが、それがなされていないのは船内に留め置かれているからと考えられます。
救命装備の問題
この季節、北海道ではまだ海水温は10度に達していないはずです。そのような海の場合、1時間も浸かっていると低体温症で意識を失います。意識を失った途端に生存確率が著しく低下します。
つまり、この時期、救命胴衣は遺体捜索を容易にする以外にはほとんど役に立ちません。
せめて膨張式の救命いかだの装備があれば多くの人命を救えたかもしれません。
これはコンテナに収められており、コンテナが船ごと沈んでも、一定の水深になると切り離されて海面に浮かび、そこで広がってテントのついたいかだのように展開されます。
テントがついているので風雨を避けてくれるため、寒さもしのぐことが出来ますし、捜索も容易になります。
危機管理の側面から眺めると
いずれにせよ、この海難は海を舐め切った運航会社と素人の船乗りが起こした悲劇であり、危機管理の専門コラムでコメントするような内容ではありませんが、一つだけ、危機管理の側面から考えることがあります。
首相の対応です。
岸田首相は「アジア・太平洋水サミット」に出席するため熊本県を訪問していましたが、この事故に対応するため、予定を変更して東京に戻り、国交省大臣を現地に派遣しました。
起きた事故は悲惨ですが、首相が東京に戻って対応するような海難だったのでしょうか。
場所が場所だけに、ロシアの警備艇に攻撃された恐れがあるとかなら話は別ですが、首相が東京に戻らずとも対応できる問題です。
まして、国交省大臣が現場へ行って何ができるのかが疑問です。国交省大臣が現場に現れると、担当する第一管区海上保安本部長はその対応をしなければならなくなります。つまり、現場を指揮する者が説明をしなければならなくなるのです。
これは現場にとっては邪魔以外の何物でもありません。
政治が解決すべき問題があるのであればともかく、いくら大臣であっても海の素人が指揮できることは何一つありません。
自民党は、東日本大震災において福島第一原発に当時の菅首相がヘリで出かけたことを、吉田所長の現場指揮を邪魔したとして批判したはずです。
この愚挙は岸田首相のパフォーマンスに過ぎません。
当コラムではかつて、最前線に出ていい指揮官と出てはならない指揮官がいることを指摘しています。
日露戦争の命運を決めた対馬沖の日本海海戦において、東郷平八郎連合艦隊司令長官は、連合艦隊の先頭を走る旗艦三笠の最上部にある露天甲板の最前部に立ち尽くして指揮を執りました。
この当時、連合艦隊の中でもっとも豊富な戦闘経験を持っていたのが東郷司令長官でしたし、彼は自分が戦死しても作戦指導にあたる優秀な参謀がいればその海戦を戦うことができると考えており、また、自分が戦死すれば全軍がより奮起することも知っていました。
そのような指揮官であれば最前線に出て指揮を執ることが望ましいのですが、素人の政治家が出て来ても指揮は執れず、現場指揮官が説明しなければならなくなるだけでは単なる邪魔にしかなりません。まして現場の士気が上がるということもありません。
この際、政治家にできることがあるとすれば、現場指揮官の必要とするモノと権限を彼に与えることくらいです。
相変わらず、この国の首相は、何かやっている感を出すことに必死で、現場も迷惑も顧みることがないようです。
メディアは相変わらず
コロナ禍においてメディアがいかにデタラメかはこの2年間度々指摘してきました。医療に素人の筆者ですらデタラメが見抜けるようないい加減さでした。
一方、ウクライナ情勢に関しては、筆者は軍事や安全保障の専門家ではありませんが、それらの最前線で30年間暮らしてきましたので、感染症に比べればものの見方を心得ているつもりです。その眼から見ても、コロナ禍のような出鱈目な報道はそう目につきません。多分、コロナ禍においてテレビに出てくる専門家のようなレベルの低い研究者ではなく、それなりの見識を持った専門家が呼ばれているからだろうと考えています。
この違いを生んだ原因を考えたのですが、どうも双方の問題を担当する部局の差異ではないかと考えています。
コロナ禍を担当したのはテレビでも新聞でも社会部でした。
一方、ウクライナ情勢を担当しているのは国際部や政治部です。
社会部の記者たちのレベルの低さは当コラムでもたびたび指摘してきました。
筆者は海上自衛隊において度々報道と接する業務に就いてきました。自衛隊を担当する記者は主に政治部か社会部ですが、この二つではレベルが異なるのでブリーフィングも内容を変えなければなりませんでした。社会部の記者は何を説明しても自分なりにしか解釈しないし、質問は上げ足を取る質問しかしてこないのが常でした。
逆に政治部や国際部の記者たちには、こちらが周到に準備していかないと、彼らの方が過去の経緯をよく承知していたりするので手ごわさを感じていました。
この度の海難事故を担当しているのは社会部です。
NHKの報道番組で呆れた報道がなされたことがあります。
社会部記者がスタジオに呼ばれ、司会のアナウンサーからの質問に答える形式で番組が進行していたのですが、司会の質問はどう考えても運航会社の管理体制の不備や船長の判断ミスを糾弾しようとする意図が見え見えでした。
そのうちに会社が国交省にファイルすべき運航管理規定の話題になり、そこに何が規定されているはずなのかという質問になっていきました。つまり、自らファイルした運航管理規定に反した運航を行っていたという結論を導き出そうとしていたようです。
そして前部が浸水していたという連絡から、それは出港前から船体に亀裂が入っていたのではないかという疑いに展開し、出港前に検査することは義務付けられていないのかという質問になりました。
これらの質問は本番で司会が突然思いついたものではなく、あらかじめ質問と回答が準備されているはずですが、報告していた記者の回答にビックリしました。
運航規程にはそのような検査についての記述はないというものだったのです。
この回答は決して間違いではありません。運航管理規定に発航前検査を義務付ける記述がなされることはあまりないはずです。
何故かというと、船舶の発航前検査は法律に規定されており、それを怠った船長には行政罰が与えられるからです。
バス会社の運航管理規定に「赤信号では一時停止しなければならない。」などという記述があるはずがないのと同様に、発航前検査は船員法に定められた船長の義務なので、運航管理規定に定める必要などないのです。
つまり、この報告を行っていたNHKの社会部記者は、知床観光船の運行管理規定のみを取り寄せて、そのような義務はないと答えているのですが、それ以前に法律で義務付けられていることは調べていないのです。
テレビの報道などは相変わらずそのレベルであると認識する必要があります。
特に社会部が担当する事件においては、極めて皮相な見方しかできない記者たちの独断と偏見による報道であることを銘記しておかないと、世の中を見誤ってしまう怖れがあります。