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専門コラム「指揮官の決断」

第311回 

マガーク効果

カテゴリ:

マスクを着けることへの抵抗感の差

コロナ禍が始まって以来、日本では少なくとも公共場所でマスクを着けていることは常識になりました。一方で、世界のニュースを見ていると米国やヨーロッパ各国でマスクを着けている人を見かけることがほとんどなくなりました。

私たち日本人はもともと冬になると風邪が流行るのでマスクにそれほど違和感がありませんし、コロナ禍以前でも、若い人たちが冬にマスクを着けているのは珍しくありませんでした。

風邪を引きたくないとか、マスクを着けている方が暖かいとか、いろいろ理由はあるのでしょうが、諸外国に比べてマスクに対する抵抗は少ないのかもしれません。

欧米ではマスク着用を義務化したドイツで暴動が起きるなど、マスクに対する抵抗感が私たちには理解できないほど大きいものがあります。

一つの仮説

日本におけるマスクに対する対抗感の小ささについては、感染防止とか寒さ対策などという理由のほかに、実はもう少し突っ込んだ理由があるのではないかという仮説を筆者は持っています。

それを裏付けるのが、今回の標題にもある「マガーク効果」です。

1976年にHarry McGurkとJohn McDonaldによって”Healing lips and seeing voices”という論文が発表されました。

この論文で明らかにされたのは、特定の音節を発音する口の動きに、別の音声を重ねた映像を呈示した場合に、視覚情報・聴覚情報のどちらでもない第3の聞こえ方をする錯覚現象がみられるということです。具体的には、発話映像「が(ga)」+音声「ば(ba)」=音声「だ(da)」と聞こえるということが生じます。つまり、私たちが音声知覚をする際に視覚情報の影響を受けることを示唆しています。

冒頭で、日本の社会においてマスク着用に対する抵抗感が欧米より小さいのはそれなりの理由があるはずと述べているのは、この錯聴現象に原因があるのではないかということなのです

欧米人と話をしていると分かりますが、彼らは表情豊かに話をします。私たち日本人の会話では彼らほど表情の変化を用いません。したがって、手話通訳の方々の表情が極めてオーバーに見えることさえあります。

人の話を一生懸命に聴くとき、欧米人は覗き込むようにして話を聞きます。一方私たち日本人は耳を澄ませて聞き取ろうとします。

つまり日本においては、表情の動きをあからさまに出すことをしないという文化的特性あるいは話をする際に大きく表情が動かないという生物学的特性があり、口の動きとコミュニケーションの円滑さの関係が欧米よりも小さいのかもしれません。

現に、McGurkの論文においても、その効果は日本においてはそれほど大きくないことが指摘されています。

何せ、日本には「能」という研ぎ澄まされた伝統芸能があります。一切の表情を排した面をつけて舞いつつも、様々な喜怒哀楽を見事に伝えてきます。これは欧米人には理解できない芸術でしょう。

つまり、私たちはコミュニケーションに際し、相手の口の動きを見るということに関して欧米人よりもその必要性を強く意識していないということが言えるかもしれません。そこで欧米人はマスクを強制されるとコミュニケーションがうまくいかないという怖れがあって、私たちに言わせればなんでそんなに騒ぐの?と思われる反対運動を展開したのだと思われます。

程度の差こそあれ、日本にも該当するはず

一方で、日本においても、話者の口の動きなどの聴覚以外の情報も無意識的に利用されていることは間違いのないところでしょう。日本の社会においても、巧みな腹話術の使い手によると、その音声の出所が人形の口であるかのような錯覚をもつことからもそれが分かります。

逆に述べると、欧米ほどではないにしろ、マスクを着用した状態でのコミュニケーションには誤解を生む要素が存在し得るということであり、このことは注意しておく必要があります。

危機管理上の事態においては、コミュニケーションが正確に行われることが極めて重要であり、話し言葉におけるコミュニケーションにおいては、マスク着用時はそうでないときに比べて格段の注意をもって話をすべきであり、また、相手の理解が確実であることを確認するなどの着意が必要です。

危機管理上の事態においては、話し手も聞き手も常態とは異なるメンタリティにあり、コミュニケーションの正確性を期するための配慮が日常よりも重要になるのですが、それがマスクを着用しているとなると余計に注意が必要です。

できれば、ハンドアウトを用いて、それに基づいて話をするなど、マスク非着用時に比べると周到な準備が必要であることを銘記しなければなりません。