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専門コラム「指揮官の決断」

第326回 

失って初めて気づくもの

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何気ないことが・・・

さて、2022年の締めくくりのコラムとなりました。

筆者は常々思っているのですが、世の中には失って初めて、それがいかに尊いものであったのかを痛感させられるものが少なくとも二つあります。

第一は健康です。

歯が痛くなったり、頭痛がしたり、腹痛を起こしたりすると、ちょっとした痛みでも、たちまち気分が落ち込んで、本当に憂鬱になります。

個人的にもそうなのですが、この社会も失って初めてその健康がいかに大切なものかを気付いただろうと思っています。家族で旅行をする、友人たちと会食をするというような何気ないことができなくなってしまったのですから。

新型コロナなどに襲われるとは誰も思っていなかった

コロナ禍が始って間もなく3年が経とうとしています。突如世界全体が襲われたこの感染症に対し、この国の医療・保健態勢がいかに脆弱であったかを私たちは思い知ったはずです。

ウイルスが波状攻撃で襲ってくるたびに、医療の切迫を訴える都道府県知事たちの出鱈目さにはうんざりでした。

一体何波に襲われれば必要な態勢を整えるのかと問いたいと思います。

神奈川県の黒岩知事は、第1回緊急事態宣言の頃、辛坊治郎氏のインタビューに答える中で、神奈川県がいかに苦境にあるかという実情を訴えたのですが、辛坊氏の「神奈川県全体で入院ベッドは何台あるんですか?」という問いに答えることができませんでした。「20%を超える病床使用率であり、20%とは言っても大変なんです。」などと言い逃れをしようとしましたが、結局、全体で何床あるのか、大まかな数ですら答えることができませんでした。

しかも、その時に分かったのですが、コロナ専用ベッドを準備したということは、「ベッド」を買った」ということであって、医師・看護師を配員しているということではないということでした。つまり、コロナ専用病床を用意した、ということと、即応できるベッドを持っているということが違うのだそうです。

これが筆者のような出身の者には信じがたいのです。

海上自衛隊で艦艇や航空機を調達する際、その乗組員、搭乗員は当然として、その整備に当たる要員、教育に当たる要員などについても算定して定員の要求を行います。

ところが、黒岩知事によれば、コロナ専用ベッド数と医師や看護師が待ち構えている即応のベッド数は異なるのだそうです。

この程度の連中が地域の医療行政を指揮しているのですから、まともな対応がなされることを期待する方が無理なのでしょう。

分かったのは感染症専門家たちの正体

第1回の緊急事態宣言の頃は、まだ様々な知見がなく、狼狽えたのも仕方なかったかもしれません。

当コラムも、第1回の頃は、まだ問題の本質に気付いていなかったことは、今振り返ってみると明らかです。ただ、当時からメディアの主張に疑問を呈しており、当時、特にテレビ朝日などが論陣を張っていた国民すべてにPCR検査を早急に実施すべきという議論は誤りである旨、簡単な数式で証明しています。

その後、メディアはただ煽っているだけであることに気付き、さらに、感染症の専門家と言う連中がいかに出鱈目であるのかにも気づいていきました。

彼らは感染症を扱っておりながら統計学の初歩すら理解せず、さらには致死率の計算すらまともにできないことに呆れてしまいました。

現在でも彼らは第8波に言及して、日々の感染者数が連日過去最高を記録していると危機感をあおるのですが、12月27日現在の実効再生産数が1.03であり、過去最大が2.4であったことをどう解釈していいのか理解していないようです。

死者も12月27日には415人と過去最多となっていると騒いでいるのですが、それでは連日の新規重症者数が全国の移動平均で20人以下であることは説明できていません。メディアも、死者数については、当日の死亡者数を発表するのに、重症者数については、当日重症化した人数ではなく、当日住所者用のベッドにいる患者数を発表するという出鱈目さです。つまり、その数字の意味を理解していないということです。

感染症の専門家たちはデータの見方をまったく知らないようですが、日々の重傷者数が死傷者数の20分の1以下であるということは、第8波において連日発表されている死者数の95%がコロナとは無関係の原因で亡くなっているということです。

この国では毎年130万人以上の方が亡くなります。連日3千~4千人の方が何らかの原因で亡くなります。不幸にして事故にあったり、急病で早世する方もいますが、多くはそれなりのお歳になって、老衰やそれなりの病気で亡くなります。その亡くなった方からコロナウイルスが検出されているだけであり、400人の方がコロナと闘って亡くなっているわけではありません。

データの読めない感染症専門家たちはその程度も理解できないのでしょう。だから、連日過去最高の感染者数と死者数を記録していることの意味が分からないのです。

感染者数が増えているのは、単にPCR検査を受けている人数が増えているからに過ぎません。一昨年は検査体制が貧弱であったため、検査を受けるにも4日以上の発熱が続いた場合などの条件があり、検査を受けることのできる場所も限られていましたが、現在はどこでも簡単に受けることができます。検査数が数百倍になっているのですから、陽性判定者が増えるのは当たり前です。

実効再生産数は過去最高値の50%以下でしかありません。専門家たちは実効再生産数が1.1以下であるにもかかわらず陽性判定者が増加している理由を説明できません。何せ致死率すらまともに計算できない連中ですからね。

つまり、この3年弱で分かったのは、この国の感染症の専門家たちというのおそろしくお粗末な集団であるということです。

もう一つの価値は・・・

もう一つの失って初めてその価値に気付くのは、「平和」です。

戦後、どの勢力の陰謀か知りませんが、この国は世界がいかに不安定であるのかから目をそらし続け、ただひたすら平和ボケを貫き通してきました。この国の国民から、厳しい国際情勢を見つめるという常識的なセンスを奪い取り、お花畑の散歩だけさせてきたのが、どこの誰の意思なのかははっきりしませんが、70年以上も続くと、その効果は覿面で、超一流の能天気な国民性が出来上がってしまっています。

世界情勢に的確に対応できるような法制度を作ろうとする「戦争法」だと騒ぎ、憲法9条によってこの国の平和が守られているというおめでたい説を国会の場で主張する議員すらいるくらいです。

ウクライナ憲法に第9条のような平和条項があればロシアは侵略を行わなかったかどうかについて言及するつもりはありません。しかしお花畑の住人から出てくるコメントは、何故国連安全保障理事会の常任理事国である大国が隣国に攻め込むというようなことを行ったのかではなく、「この機に乗じて、防衛費を大幅に増額するのは悪乗りである。」ということだけです。

この国を覇権国家を目指す大国による侵略から守るためには、どうすればいいのか、非武装中立で守り通せるのか、それが不可能である場合には、どの程度の防衛力があればいいのかという議論はまったくそれらの人々からは出てきません。

お花畑の人々は・・・

社会民主党の福島瑞穂議員はかつて討論番組で、もし中国が尖閣諸島に攻め込んできたらどうするのかを問われ、「国際司法裁判所に訴える。」と答えていました。

彼女は弁護士の資格を持っていたはずですが、この国の平均的弁護士がそうであるように、国際法、特に国際公法については極めて幼稚な発想と知識しか持ち合わせていません。

国際司法裁判所における領土問題は、双方が裁定を受ける意思がなければ受理されないことを知らないのです。

ウクライナにおいて、現実に国連安保理常任理事国による侵略が行われたという現実を直視するならば、これが今後の世界秩序にどれほどの影響を与えるかということは、湾岸戦争やイラン・イラク戦争などの比ではないことは明らかですが、それに対応するこの国で行われている議論は安全保障関連予算を向こう5年で対GDP比2%へほぼ倍増させるという議論であり、いかなる防衛力が必要なのか、国民はどのような覚悟をしなければならないのかという議論が起きてこないのが、この国の人々の安全保障に関する意識レベルを示しています。

戦後堅持されてきた専守防衛という考え方を貫いて国内を戦場にすると一般市民にどれほどの犠牲が出るのかという思いには誰も至らないようです。沖縄で多くの県民が犠牲になったことから何の教訓もくみ取ろうとせず、ただ反対していていれば戦争にはならないという根拠なき信念に突き動かされているのでしょう。

大国の侵略を許してしまったらどのような運命が待ち構えているか、ウクライナの現状をよく見るべきなのですが、どうも議論がそちらに向いていません。

安全保障関連予算を2%へ増額するという金額が先に決まり、その枠内での買い物リストをどう作るかという議論がついてくるという本末転倒が行われており、それを正すべき野党がしっかりとした対案を提示できていません。

しっかりすべきは私たち

私たち国民もそうです。日本がウクライナのようになったら、自分はどう立ち振る舞うのかを真剣に考えている人がどれほどいるのでしょうか。

この国で戦いが始ったら、本当に重要なのは兵器でも兵士の数でもなく国民の振舞いです。

メディアがどう煽ろうと、いかなる論陣を敷こうと国民がしっかりとした覚悟をもって行動することです。

私たち一人一人が、その戦いにどう臨むのかを考える必要があります。対岸の火事ではなく、わが身に降りかかる事であるとの認識が必要になります。

この覚悟は東日本大震災を経験した東北地方の方々にはご理解頂けるはずです。理不尽にも、ある日突然、すべてが失われることだってあるということを東北の皆様は現実に経験されたのです。

ウクライナで現実に起こっているのが、クリスマスのお祝いを家族が揃って迎えることができず、それぞれの家で電力インフラへの攻撃によって暖房が止まっている寒い暗い夜を耐えるしかないという状況であり、それが自分たちの社会にも生ずるかもしれないということを現実的に考えなければなりません。

何気ないことができることに感謝しつつ

失ってはじめてその尊さに気付く価値、そのようなものは身辺を見回すといろいろなものがあることを発見します。

お気に入りのカフェで珈琲を飲んで一息つく、そんなことですらできなくなってしまうのです。

とりあえず、コロナ禍の規制のない、表面的には平和な年末年始を迎えることができそうな現在の状況に感謝しつつ、新たな年を迎えようと思っています。

新たな年は、何気ないことができているということにしっかりと思いを致し、新たな覚悟を持ってスタートするつもりです。

みなさま、よいお年をお迎えください。