専門コラム「指揮官の決断」
第337回危機管理とは その4
危機管理入門1-1-4
はじめに
これまで3回に渡って、そもそも危機管理とは何をするマネジメントなのかというテーマで語ってきました。
一言で言い現わすなら、危機管理とは想定外の事態への対応と言うことができます。
当コラムではこれまでに何度となく危機管理とリスクマネジメントは別物であると主張してきましたので、前3回のコラムをお読みの方は、その意味をご理解頂けているかと拝察いたします。
現首相に危機管理ができない理由
リスクマネジメントが意思決定に当たりその決定に伴うリスクを評価し、実行するか撤退するかを決定し、実行すると決定した場合には、そのリスクが現実となった場合にどうすべきかを検討しておくマネジメントであるのに対し、危機管理は事前に評価していなかった事態、つまり想定外の事態が生じた場合にどうするのかを問うマネジメントです。つまり両者はそもそも根本的に異なるマネジメントなのです。
当コラムでは現首相には危機管理ができないと主張してきましたが、その理由が彼の危機管理に関する考え方が混乱しているからです。
岸田首相は総裁選に臨んで、「危機管理の要諦は、最悪の事態を想定してそれに備えること。」だと言い切ったのですが、これはクライシスマネジメントではなくリスクマネジメントの発想です。
つまり、危機管理というマネジメントが何をするマネジメントなのかを理解していないので、危機管理ができるはずがないということです。想定して、それに備えるのが危機管理なら、想定外の事象には対応することはできません。
案の定、一昨年の12月18日、岸田首相は年末年始のコロナ対策について記者団から問われたのに対して次のように答えています。
「少なくとも年末年始までの状況をしっかり見極めた上で、その先について考えるべきだ」と述べたのです。
御自分が総裁選で何を言っていたのかも覚えていないようです。最悪の事態を想定もしないのです。
その結果何が起きたか。
11月には日々の新規陽性者数が数百人レベルに低下していたのが年が明けて1月下旬になると1日の新規感染者数が10万人に迫る勢いで増加したため、各医療機関では検査キットが不足して検査ができないという事態に追い込まれてしまいました。
つまり、危機管理どころかリスクマネジメントすらやっていなかったということです。
危機管理とリスクマネジメントの概念の混乱
岸田首相のようにリスクマネジメントすら行わないというのは論外ですが、しかしこの国においては危機管理というとリスクマネジメントのことだと思い込んでいる方が多数います。
筆者は大学院で意思決定論を学んでいたため、国際関係論の論文をよく読んでいました。外交政策における意思決定を研究するためです。
その過程で核抑止論を中心とする危機管理論を学んでいました。
したがって筆者の頭の中では「クライシスマネジメント=危機管理」という図式が当初から出来上がっていたのですが、その後、リスクマネジメントという言葉が流行り始めた頃から、そのリスクマネジメントという言葉の使われ方に違和感を感じていました。
世間ではリスクマネジメントの概念と危機管理の概念の混乱が生じていたからです。
事前がリスクマネジメント、事後がクライシスマネジメント?
リスクマネジメントと危機管理が異なる概念であるという認識に立って議論している論者もいます。中小企業庁が中小企業向けに書いたガイドブックには「事前にしっかりとリスクマネジメントをしておいて、何かが起きた場合には速やかに危機管理に移行することが重要です。」という表現があります。
これに代表されるように、リスクマネジメントは危機が生じる前のプロセスであり、クライシスマネジメントは危機が生じてしまった後のプロセスと位置付けているのがほとんどです。
法人向けの研修などを手掛ける大手の東京リーガルマインドのウェブサイトには次のような記述があります。
「危機管理(クライシスマネジメント)」は、危機が発生した後の対処法を予め検討しておくプロセスです。つまり「危機管理」は、起こってしまった危機の損失を最小限に抑え、さらにその危機からいち早く抜け出すための対処法のことを言います。」
一方で「リスク管理(リスクマネジメント)」とは、想定されるリスクを未然に防ぐためのプロセスです。「危機管理」が起きてしまった危機への対処であるのに対し、「リスク管理」は予防である点が大きな違いです。」と述べています。
この会社は法人に対する研修では極めて充実した内容を持っていますが、さすがに危機管理の専門家は擁していないのでしょう。危機(リスク)と危険(クライシス)の違いを理解していません。
危機(クライシス)と危険(リスク)がどう異なるのかを理解せずに議論を進めているため、リスクマネジメントは予防であると勘違いしています。リスクマネジメントの本質は事前の評価であり、そのリスクをテイクしてもペイするかどうかの判断です。つまり、予防ではなく、そのリスクを甘んじて受けるかどうかが議論されるのです。
繰り返しますが、リスクマネジメントは生じうるリスクをしっかりと評価し、そのリスクを取るか取らないかの判断をし、リスクを取るという判断をした場合にそのリスクが現実化した場合の対応を準備するマネジメントです。
つまり、事前に行うのは準備でしかなく、リスクマネジメントは事後的に本番を迎えます。リスクが現実化した時に、あらかじめ準備していた計画にしたがって対応していくのがリスクマネジメントです。その典型がBCPです。
一方のクライシスマネジメントは、想定外の事態が生じてしまった場合の対応を課題とするマネジメントですが、実は事が起きてからバタバタしても手遅れです。
想定外の事態に対して、それが想定外であるがゆえに事前の準備ができません。となれば出たところの勝負になってしまいますが、それでは勝負に勝つことはできません。
クライシスマネジメントおいて重要なことは、想定外の事態に際し、トップが毅然と対応して最初の一撃を耐え、トップの周りに組織全体が一丸となって事態の対応に当たり勝機を見出していくことです。
そのような態勢を取ることができるよう、普段からトップがメンバーの信頼を勝ち得ている必要があり、また、何があっても狼狽えず、毅然と対応する覚悟をトップが持っていることが必要です。つまり事前にそのような態勢ができていなければ危機管理は出来ません。
危機が生じてからが危機管理ではなく、危機が生ずる前のプロセスが重要なのです。
これこそが危機管理
この危機管理の典型的な例が現実にこの世界で生じています。
ロシアによるウクライナ侵攻です。
昨年2月14日、ロシア軍はキーウ陥落を企図して一直線にキーウを目指した進撃を開始しました。
ウクライナのゼレンスキー大統領はその第一撃に耐え、キーウを防衛しました。ロシア側は「キーウは陥落し、ゼレンスキー大統領はキーウを脱出した。」という偽の情報を流しましたが、ゼレンスキー大統領は間髪を入れず大統領府を背景に自撮りの動画をアップし、「大統領はキーウにいる。逃げずに戦っている。」とアピールし国民の団結を訴えました。
その後の状況は皆様ご承知のとおりです。ウクライナ軍はキーウを早期に陥落させて傀儡政権を樹立することに失敗して浮足立つロシア軍と対峙し、諸外国の支援を受けながら態勢を立て直し、奪われた地域の奪還に成功しつつあります。
この事例がリスクマネジメントの事例ではないことは誰の眼にも明白でしょう。
第一撃に耐え、国民を結束させ、攻めあぐんで浮足立つロシア軍の弱点を突いて形勢を逆転しようとしています。
これこそが危機管理です。