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専門コラム「指揮官の決断」

第356回 

ブルータス、お前もか  その3

カテゴリ:危機管理

承前 再び

過去2回にわたり、元陸上自衛隊東部方面総監の危機管理に関する発言を契機に、陸軍と海軍のものの考え方の違いなどに言及してきました。

簡単に振り返ります。

元陸上自衛隊東部方面総監の渡部元陸将の危機管理の考え方を要約すると次のようになります。

「危機管理の要諦は最悪の事態を想定して備えること。」であると述べ、、さらに危機に備えておくためには、常にリスクを想定し、対応策を準備しておく必要がある。」

「リスクとは、危機が発生する可能性のある事態であり、そのリスクを想定するには、過去の危機事例を分析し、自分が直面する可能性があるリスクを特定する必要がある。そして、リスクを特定したら、それに対応するための対策を準備する必要があり、対策として、予防策と事後対応策があり、予防策とは、危機が発生しないようにするための対策で、事後対応策とは、危機が発生したときに、被害を最小限に抑えるための対策を指す。そして、危機が発生したときには、迅速かつ適切に対応することが重要である。」

「迅速な対応をするために、危機管理体制を構築しておくことが重要であり、危機管理体制とは、危機が発生したときに、対応するための組織や役割分担を明確に定めたものである。」

という考え方です。

この考え方は危機を予測してそれに備えるという発想の下に組み立てられていますが、弊社の主張からすれば危機管理ではありません。危機管理は想定外の事態への対応を課題とするマネジメントであり、予測できるのであればリスクマネジメントをしっかりとすればいいということになります。

つまり、渡部元陸将はクライシス(危機)と危険性(リスク)の違いを理解せず、いかなる事態に対してもあらかじめ危機管理体制を固めておいて対応すべきと主張していることになります。

予測不能な事態に対してあらかじめ対応すべき体制を固めることはできませんので、渡部元陸将の危機管理では、想定外の事態には対応できないということになります。

渡部元陸将の考え方は極めて陸上自衛隊的な発想であり、海上自衛隊とは根本的な発想が異なると指摘したのが前回の専門コラムでした。(専門コラム「指揮官の決断」第355回 ブルータス、お前もか その2 https://aegis-cms.co.jp/3057 )

軍種の差異

歴史的に、一度出港したら本国からの指令なしに任務を達成しなければならなかった帆船時代の海軍の艦長は、すべてを自分で判断しなければなりませんでした。任務の目的(What)だけは与えられるものもいかにしてその任務を達成するか(How)については自分で考える必要があったのです。

一方陸軍は敵陣に迫るに際して部隊が横一線に並んでいかないと穴を開けられてそこから総崩れになるおそれがあるので、総指揮官がラッパや太鼓で細かく部隊の動きを調整しなければならなかったという軍種による特異性があったかもしれません。

いずれにせよ、陸上自衛隊はトップがすべてを把握し、末端が迷うことなく従えるような指示を出すことが重要であり、一方で海上自衛隊は事情をよく把握している現場指揮官の判断を尊重し、上級司令部はそのサポートに徹するという気風が醸成されています。

軍種の差が端的に現れた例:陸上自衛隊

このことが自衛隊の歴史において顕著に表れた事例があります。

1995年1月、阪神淡路大震災が生起しました。陸上自衛隊の第3師団は姫路や福知山の連隊を出動させ神戸に向かわせていました。ところが、この頃、自衛隊法は災害派遣は都道府県知事や海上保安庁長官からの要請がなければできないということになっていたため、中部方面総監の指示により神戸に入らずに手前で兵庫県知事からの要請を待ったのです。その間に道路が渋滞し、要請が出たときには身動きが取れない状況に陥ってしまっていました。

陸上自衛隊も部隊ごとに災害対処計画を持っているので、その計画どおりに速やかに動いたのでしょう。ところが計画が災害派遣の要請を根拠に作られていたので、その要請が出るのを待ったのです。

後でテレビのインタビューに応じた陸上自衛隊中部方面総監であった松島陸将が「災害派遣の要請がもっと早く出れば、もっと多くの人命が救われたはず。」と涙を流しました。

つまり、陸上自衛隊の詳細な大規模災害対処計画はその前提となる災害派遣の要請が出ないという想定外の事態に対応できなかったのです。

筆者はこの頃、海上自衛隊幹部学校指揮幕僚課程の学生であり、このインタビューを学生控室のテレビで観ていました。同期の何人かが一緒に観ていたのですが、皆海上自衛官なので想いは一緒でした。「こいつは軍人ではなく政治家だ。」

海上自衛隊の指揮官なら、この場合、要請があろうとなかろうと神戸に突っ込むでしょう。あとから自衛隊法違反であり、正当な権限なく部隊を動かしたとして処罰されるならその処分を甘んじて受ければいい。彼にちょっと知恵があるなら、訓練の命令を出せばいい。実際に大規模災害が起きている現場での訓練ほど現実に即した訓練はありませんからね。

それを恐れてやらなかった方面総監など、海上自衛官の眼からすれば、「自衛官の風上にはおけない」政治家にすぎません。

この頃私たち幹部学校指揮幕僚課程学生は別の案件で苦笑していました。当時官房副長官であった石原信雄氏が発災の報告を受けて急ぎ官邸に登庁してきてテレビの記者から質問を受け、現場からの情報がないことを問題視しつつ、しかし、災害対策基本法適用の事態であることは間違いないと述べていました。

戦争でも災害でも同じですが、現場が淡々と対処できている時でなければ、情報が適宜適切に上がってくると思ったら大間違いです。

現場からの情報は断片的で前後の脈略なく、下手をすると大きなバイアスがかかっている恐れもあります。だから、情報がないのを問題視すること自体が危機管理を理解していないということなのですが、しかしさすがに役人出身の官房副長官らしく適用すべき法律については考えていたらしいのです。

東日本大震災の時の菅首相は福島原発の詳細な事情が分からないのに腹を立てて自分でヘリで乗り込むという暴挙を犯しました。素人が現場に行ったら邪魔者以外の何物でもないことすら理解できない人だったようです。

海上自衛隊は・・・

一方の海上自衛隊はどうでしょうか。

2011年3月11日午後2時46分、東日本大震災が発災した際、海上自衛隊の実力部隊のトップであった自衛艦隊司令官倉本海将は、司令官執務室で横須賀を襲った震度4の揺れを感じていました。まだ揺れている時点で彼は幕僚室に報告するように指示を出しました。気象幕僚が間髪を入れずに飛び込んできて、震源地が三陸沖であり、日本がここ1000年ほど経験したことのない規模の地震であったことを報告しました。

倉本司令官はその報告を受けると、作戦幕僚部に対し、「可動全艦を出航させよ。」と指示を出しました。発災から6分後です。

この時点では津波はまだどこにも到達していませんし、被害の報告は一件もありませんでした。しかし、彼はためらわずにその命令を出したのです。

倉本自衛艦隊司令官の発想は次のとおりです。

「三陸沖を震源地とする地震で横須賀が震度4の揺れを長く感じた。凄まじい津波被害が生ずるに違いない。多分、海上自衛隊創設以来最大規模の災害派遣となるであろう。

大規模災害対処を統合運用で行うとき、統合部隊の指揮は陸上自衛隊の担任方面総監が執ることとされている。このうち海上自衛隊部隊についての指揮は統合指揮官の下で海上自衛隊の担任地方総監が行うことになり、自衛艦隊はその地方総監に所要の兵力を差し出すことになる。

自衛隊に大規模災害対処が下令されれば、そのような指揮系統で部隊が動き始めるが、海上自衛隊の横須賀地方総監が自衛艦隊から供出された兵力を運用する権限を委譲されるには海上自衛隊に対して災害派遣が命令されなければならず、内局経由となるから若干の時間が必要となる。

したがって、自衛艦隊司令官としては隷下部隊のどの部隊が必要とされても即応できるように準備させ、特に現場進出に時間がかかる艦艇部隊についてはとりあえず出航させて三陸沖を目指して行動させ、横須賀地方総監がそれらの兵力を運用できる準備ができたところで指揮を引き継げばいい。」

各艦は最低限の乗員が帰艦したところで次々に出港して行きました。

最初に飛び出したのが横須賀にいた護衛艦「さわゆき」であり、時刻は午後3時39分でした。発令から47分後です。3時50分までに42隻が出航し、翌早朝までに20隻の護衛艦が三陸沖で捜索救難の作業を開始しました。

完全な停泊状態にあった艦艇を1時間以内に40隻以上も出港させることのできる海軍は他にないはずです。日本に駐在する列国の駐在武官は呆気に取られました。彼らは自衛隊の即応状況を観察していたのです。

この時はさすがの陸上自衛隊も素早く動きました。阪神淡路地震の際の対応が徹底的に批判されたからであり、また、災害派遣が要請ではなく、内閣総理大臣から直接命令されたため、素早く動くことが出来たのです。

ところが、自衛艦隊司令官の行動は首相の災害派遣の命令が出される前に行われています。つまり自衛艦隊司令官独自の判断で行われたものなのですが、海上自衛隊としては当然の発想でした。

出された命令は陸上自衛隊のような緻密さはまったくありません。とにかく動ける船は出港し、三陸沖に向かえということでした。

各艦は燃料は入港時に搭載していますから十分に持っています。しかし、食料などは船ごとの事情によって規則に定められた最低限しか持っていない船もありました。

年度末であり、未消化の年次休暇の処理を行っていた船もあり、乗員が全部揃わない船も少なくはありませんでした。

そのような状況下、詳細な目的海面も任務も後で示す、乗り遅れた乗員や積み残している食料品などは後から送る、災害派遣用の資材も後から届けるということで、とにかく出航して北に向かえという命令です。

陸上自衛隊ではありえない荒っぽさです。

軍種の差異が端的に現れた例です。

100発のミサイルと一緒に移動すると・・・

海上自衛隊のイージス艦は、燃料と食料さえ積んでいれば100本のミサイルを搭載したまま一日に1000kmを移動することが出来ます。

一方、陸上自衛隊の部隊が100発のミサイルを1000km移動させようとすると、大騒ぎです。ミサイルランチャーやそのシステム用の車両、人員移動用の車両、様々な装備品や予備品運送用のトラックなど車両100台が移動しますので、その移動していく経路に燃料や食料を事前に準備しておくことが必要です。

北に向かって移動していた部隊を南に向けるのも海上自衛隊と陸上自衛隊では異なります。

護衛艦なら「面舵一杯」とか「取り舵一杯」などと叫んで、針路が南になるまで舵を取っておけばいいだけなので1分もかかりませんが、陸上自衛隊は事前集積した燃料や食料を南に集積しなおさなければならず、1週間くらいかかります。

軍事と危機管理は別物ですよ・・・

このように軍種の差異があり、渡部元陸将は陸上自衛隊で育った将官ですから、その発想が陸上自衛隊の発想になるのは無理もありません。

東部方面総監まで務められた方ですから、そのウクライナ情勢に関する解説は大変参考になりますが、危機管理の考え方そのものは、その基本が間違っているのであまり参考になりません。

彼は企業や政府関連機関に危機管理のコンサルティングをしているようですが、それはお止めになったらいかがかと考えます。