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専門コラム「指揮官の決断」

第355回 

ブルータス、お前もか その2

カテゴリ:危機管理

承前

簡単に前稿を振り返ります。

元陸上自衛隊東部方面総監を勤めた経験をお持ちの渡部元陸将の危機管理の考え方について、がっかりしたのが表題のもとになっています。

渡部元陸将の危機管理の考え方を要約すると、危機はいつどこで発生するかわからないので、危機に備えておくためには、常にリスクを想定し、対応策を準備しておく必要がある。そして、危機が発生したときには、迅速かつ適切に対応することが重要であるというものであり、ある報道番組の中で「危機管理の要諦は最悪の事態を想定して備えること。」と述べています。

前稿で弊社は、渡部元陸将は危機と危険を区別しておらず、かつ、最悪の事態を想定して備えることが重要と述べているが、想定外の事態への対応について検討されていないと批判しています。

弊社の主張するところは、煎じ詰めると、想定外への対応こそが危機管理(クライシスマネジメント)であり、想定した事態への対応はリスクマネジメントであるということです。

また、前稿で筆者は、渡部元陸将の考え方は、陸上自衛隊特有の考え方が基礎になっていると述べています。

陸上自衛隊の発想

今回は、渡部元陸将の考え方が陸上自衛隊に特有の考え方であるという点について解説しようとするものです。

陸上自衛隊と海上自衛隊はその軍種独特の考え方の差があり、それは日本だけではなく筆者の知る限り米・英・豪・加など多くの国の軍隊に共通しています。

筆者はかつて自衛艦隊司令部の監理主任幕僚という配置にいたことがあります。監理主任幕僚というのは会社の総務部長のような配置です。

その時ですが、2004年の13月26日にインドネシア・スマトラ沖大規模地震及びインド洋津波という大規模自然災害が発生しました。

この時、海上自衛隊は世界的なテロ対策であるインド洋における「不朽の自由作戦」に従事する多国籍艦隊の艦艇に対する補給支援を実施中であり、補給艦「はまな」が「ときわ」と交代して日本に帰ろうとしていた時でした。正月は家族と一緒に過ごさせてやりたいという計画だったのですが、日本まで数日のところまで戻ってきていた「はまな」に対し、タイのプーケット沖に戻るように指示が出され、結果的に世界中の海軍で自衛艦旗が最初にタイ沖に翻りました。

その後、インドネシアに対する国際緊急援助が行われることになり、陸上自衛隊の医療部隊が同国に進出し、医療支援を行うことが命令されました。自衛艦隊はその陸上自衛隊部隊の輸送を行うことになり、担任部隊である東部方面総監部から行動命令が出るのを待っていました。

筆者は文書担当幕僚として東部方面総監部と様々な調整を行っていましたが、結局出てきた東部方面総監部の一般命令に仰天したのを覚えています。命令が出ましたという東部方面総監部からの知らせが届いたので、車で受領に行きましたが、A4の分厚いファイルが10数冊あり、中には実にいろいろな指示が書き込まれていました。

例えば、医療支援に行くので、医療器材の準備をしなければならないためにそのための指示もなされているのですが、直径〇mm長さ〇mmの注射針〇〇〇本を〇〇師団から管理替えせよ、などの指示が細かく書き込まれているのです。

つまり、陸上自衛隊ではあらゆる事態を想定して計画を立て、それを命令として発令するのです。

筆者はその分厚い一般命令を書き上げた東部方面総監部の幕僚たちの基礎体力に驚愕した覚えがあります。

海上自衛隊はそのような命令を出すことはありません。

そのように細かい指示を出すと、計画と実際が異なった場合に臨機応変の対応が取れないからです。現実が異なった場合には命令を出し直さなければならず、部隊の柔軟な対応を妨げるからです。

海上自衛隊でそのような場合はどうするかというと、話は極めてシンプルです。

一言、「細部は現場指揮官所定」とするだけです。

現場の事情を一番よく知っている現場指揮官に細部を任せてしまうのです。

現場に任せて責任は自分で取る、任せたからには現場が動きやすいように支援に徹するというのが海上自衛隊の流儀です。

海上自衛隊なら、管理替えの調整などは自衛艦隊司令部が各部隊との幕僚調整で終わらせてしまいます。

このようなやり方は海上自衛隊に特有なものではなく、世界中の海軍に共通しているようです。

それでは、なぜそのような陸軍と海軍の考え方の違いが生じてきたのかを考えます。

以下は筆者なりに考えた理由です。

海軍の戦い方

海軍は帆船時代の昔から、一度祖国を出発してしまうと連絡が取りにくくなります。そして、現代のヨットのように縦帆の帆船が生まれるまでの横帆の船は風上への帆走性能が極めて悪く、季節風を利用した航海をしなければならなかったので、任務を達成して帰国するまで数年を要する航海などは珍しくなく行われていました。

この間、本国からの連絡などはほとんどない状況で任務を果たさざるを得なかったため、海軍が各艦艦長に与えた命令は、達成するべき目的とその際にやってはならないことに関する注意だけであり、どうやって達成するかなどは艦長に任せていたのです。

つまり、「What」だけ指示し、「How」は任せたのです。

陸軍の戦い方

一方の陸軍はどうだったでしょうか。

陸軍の戦いは、敵と対峙する際、横一線に並んでいることが重要でした。

デコボコしていると、突出している部分を集中的に攻撃され、あるいは遅れているところに付け込まれ、横一線に並んで攻め上がろうとする部隊に穴が開くことになります。

穴が開くと、そこから敵が突入してきて部隊が分断され、後ろに回られて包囲されたりという状況になってしまいます。

したがって、横一線で攻め上がるということが極めて重要であり、指揮官は全部隊を眺めながらラッパや太鼓で進軍の速度を細かく調整しながら攻撃を続ける必要がありました。

つまり、総指揮官が細部の調整をしながら戦っていたのです。

このような軍種による戦い方の違いが命令の出し方の違いになって表れているのではないかと考えます。

陸上自衛隊固有の事情

このように歴史的に軍種による命令の出し方の差が生まれているはずですし、さらに陸上自衛隊においては別の要素も加わっているはずです。

陸上自衛隊は海上自衛隊が帝国海軍の伝統を継承しようとしたのと異なり帝国陸軍を否定することから始まっています。つまり、満州軍が独走して日本を戦争に巻き込んだという歴史観に基づいて、徹底的に中央の指示に従う陸上自衛隊を作る必要があったのです。

そのため、創隊当時、旧軍軍人の公職追放は解除されていたにも関わらず、陸軍士官学校出身の旧陸軍軍人ではなく、内務官僚出身者によって要職が占められていました。

そこにも、現場の裁量を許さないという姿勢が見えるように思います。

とにかく、最高指揮官が細部まで計画を策定し、実施部隊はその計画を確実に実施に移すように最善を尽くすのが陸上自衛隊です。

このため、陸上自衛隊の作戦計画は筆者のような海上自衛隊の作戦計画を見慣れた者が見るとびっくりするような細かさです。

しかし、計画通りにことが進展しなかった場合の予備の計画は準備されません。

つまり、想定できる限りの事態を想定して、その場合における作戦が立案されているのです。

何が何でも「鋼鉄の意思」で貫くというのが彼らの基本的な発想です。「もしうまくいかなかったら」などという弱気では戦えないということなのです。

渡部元陸将の危機管理の考え方は、まさにそのような陸上自衛隊の体質を見事に体現していると言えます。

陸軍は相手と砲弾が届く範囲で戦いますから、相手とほぼ同じ気象状態で戦うので、弱音を吐いたほうが負けなのでしょう。

しかし、海軍の戦いはそうはいきません。気象・海象が自分たちの意思の強さと無関係に襲い掛かってきて制約事項となります。また、現代の海軍の戦いは相手と同じ気象・海象で戦うわけではありません。

現代戦では日本海海戦のような水上打撃戦はまず生起しません。水上艦が戦う相手は海中の潜水艦だったり、航空機やミサイルだったりします。潜水艦は海上の大時化などとは無関係ですし、航空機も雲の上を飛べば海上は台風でも上天気の中で移動できます。

つまり、海軍にとっては気象・海象は作戦遂行において最も重要な要素であり、それは自分たちの意思とは無関係に生ずる現象なのです。

このため、海上自衛隊の各部隊で毎朝行われるミーティング(海自ではオペレーションと呼ばれます。Operations Meetingの略です。)では、常に気象ブリーフィングが最初に行われます。

陸上自衛隊の発想は想定事態への対応

陸上自衛隊の考え方は、想定される事態へ対応を示しているのであって、つまり、事態対応計画であるということです。それは危機管理ではなくリスクマネジメントです。

つまり、BCPと本質的には変わりがないということです。

企業の方々はよくご存じですが、BCPの策定にあたっては、想定されるリスクに対してどう対応するかが焦点となります。陸上自衛隊の作戦計画と同じです。

リスクマネジメントにおいて最も重要なことは、リスクを的確に評価することです。その評価に基づいて対応策を検討するのですから、評価が最も重要な要素になります。

そして、その評価に基づいて適切な対応策が準備されたなら、リスクが現実化した際にはすでに準備されている対応策を実施に移すだけなのですから、それは単なる手続きになっていくはずです。

一方で弊社が取り組んでいるメインテーマは、想定外の事態への対応です。

渡部元陸将の危機管理にはその発想がありません。

渡部元陸将だけでなく岸田首相も危機管理で重要なことは「最悪の事態を想定して備えること」と言い切ります。このように考える方が絶対的多数派であり、多くのリスクマネジメントの専門家がセミナーでそのように教えるので、それを聞いた多くの経営者がそのように考えてしまうのも無理はありません。

リスクマネジメントの専門家が最悪の事態を想定してそれに備えることが重要と述べるのは間違いではありません。それが「リスクマネジメント」だからです。

何度も繰り返しますが、意思決定に先立ってリスクを評価して、そのリスクに備えるのがリスクマネジメントです。

最悪の事態を想定して準備しておくことは非常に重要です。事前に準備できるのであれば、しっかりと準備しておくべきであることは言うまでもありません。

ただ、それでは想定外の事態に陥ったらどう対応すべきなのかを示さなければなりません。

それが危機管理なのですから。

想定外の事態への対応こそが危機管理

危機管理はギャンブルではありません。あらかじめ想定したことなら対応するが、想定外のことには対応できないというのでは危機管理とは言えません。

これまでに起きた大惨事はすべて「想定外」だったはずなのです。