TEL:03-6869-4425

東京都港区虎ノ門1-1-21 新虎ノ門実業会館5F

専門コラム「指揮官の決断」

第354回 

ブルータス、お前もか

カテゴリ:危機管理

Et tū, Brūte?

表題は有名な言葉です。カエサルが紀元前44年3月に暗殺されるときに、その企みに自らの古い友人であり、腹心でもあった元老院議員マルクス・ユニウス・ブルトゥスが加わっていたことを知って落胆して呟いたとされる言葉です。

ラテン語ではEt tū, Brūte? と綴り、筆者が喋ることのできる唯一のラテン語です。

かつて、弊社が発行しているメールマガジンで海上自衛官は世界中のどこに行っても、現地の言葉でビールを注文できると豪語したことがありますが、ラテン語のビールの注文の仕方は知りません。ラテン語で注文しないとビールにありつけない国はないからです。

さて、何を落胆しているのでしょうか。

元東部方面総監

陸上自衛隊のOBで現役時代には東部方面総監も務められた渡部悦和元陸将は、テレビでもウクライナ問題の解説によく登場されているのでご存じの方も多いかと拝察します。

東京大学工学部出身の陸上自衛官であり、防衛大学校が絶対優勢を持つ陸上自衛隊にあって頭角を現し、東部方面総監という重責を担って退官された元自衛官です。

陸上自衛隊においては防衛大学校が圧倒的な勢力を持ち、極端に言うと防大にあらずば陸上自衛隊幹部に非ずという空気が流れていました。

今は状況が異なっているとは思いますが、筆者が海上自衛隊に入隊した頃の陸上自衛隊はそのような雰囲気でした。

陸・海自衛隊の幹部の育て方

海上自衛隊幹部候補生学校では防衛大学校出身候補生と筆者のような一般大学出身候補生は同じ分隊に配属されて訓練を受けます。つまり、同じ部屋で寝起きを共にするのです。

大学で学んできた基礎的な素養が異なるため教室での座学を受ける教務班は別々に編成されますが、カッターを漕いだり、8マイル(約15キロメートル)の遠泳や宮島の弥山に走って登る競技などは分隊の名誉を賭けて一緒に励みます。

最初のうちは一般大学出身候補生(二課程と呼ばれます。)は銃の扱い方を知らなかったり、体育会に属していなかったものは体力的にハンディがあったりしますが、銃の扱い方などは同じ分隊の防衛大学校出身候補生(一課程と呼ばれます。)が教えてくれますし、彼らは彼らで一般大学出身者が持っている彼らにはないものの見方や知識・経験(防大出身者にはネクタイの結び方を知らない者もいますからね。シングルでしか結べずないので、どうしても真っすぐに結べず、ウィンザーノットを教えてあげたことがあります。防衛大学校の制服はネクタイがないので無理もありません。)に一定の敬意を払ってくれるので、卒業までには一課程・二課程という区別などは意識しなくなりますが、陸上自衛隊はそうはいきません。

そもそも生活から教務や訓練に至るまで全く別々のユニットで行われるので、同期としての認識が薄いのです。卒業まで名前を知らない同期生が多数いるくらいです。

海上自衛官に「お前何期だ?」と訊くと海上自衛隊幹部候補生学校のクラスで答えてきます。筆者であれば33期です。

ところが、陸上自衛隊の幹部に訊くと防衛大学校のクラスで答えてきます。一般大学出身の陸上自衛官は「防衛大学校〇〇期相当です。」と答えてきます。

つまり、基準が防衛大学校なのです。

統合運用が始まった現在はこの弊害をなくすために統一幹侯期という数字が使われ、筆者たちは1982年度に幹部に任官したクラスなので82幹候と呼ばれるようになりました。

いずれにせよ、防衛大学校出身ではないのに陸上自衛隊で頭角を現してきたということからも彼がおそろしく優秀な元自衛官であったことが伺えます。

たしかに、ウクライナ情勢に関する軍事的な分析や解説は分かりやすくかつ的確です。

危険と危機の差異の認識の欠如

ただ、最近ある報道番組に彼が出演しているのを観て、ちょっとがっかりしたことがあります。

彼は「危機管理の要諦は、最悪の事態を想定して備えることだ。」と述べたのです。

どこかの首相が総裁選に際してそう述べて、当コラムでは「この男は危機管理を理解していない。」と主張したことがあります。

渡部元陸将も危機管理を理解していないのかもしれません。

彼の著書を何冊か読んでみました。

彼の危機管理に関する考え方をまとめると以下のように要約されます。

1 危機はいつどこで発生するかわからない。

2 危機に備えておくためには、常にリスクを想定し、対応策を準備しておく必要がある。

3 危機が発生したときには、迅速かつ適切に対応することが重要である。

さらに彼が具体的にはどうするべきかをどのように考えているかを要約すると次のようになります。

リスクとは、危機が発生する可能性のある事態であり、そのリスクを想定するには、過去の危機事例を分析し、自分が直面する可能性があるリスクを特定する必要がある。

リスクを特定したら、それに対応するための対策を準備する必要がある。

対策には、予防策と事後対応策があり、予防策とは、危機が発生しないようにするための対策で、事後対応策とは、危機が発生したときに、被害を最小限に抑えるための対策を指す。

そして、危機が発生したときには、迅速かつ適切に対応することが重要である。

迅速な対応をするために、危機管理体制を構築しておくことが重要であり、危機管理体制とは、危機が発生したときに、対応するための組織や役割分担を明確に定めたものである。

危機管理体制を構築しておくと、危機が発生したときに、混乱を防ぎ、迅速かつ適切に対応することができる。

当コラムを長く読んでくださっている方々や一昨年筆者が母校上智大学で行った危機管理の入門的講義を聴講した学生諸君はこの議論の問題点が即座に分かるはずです。

まず第一に、渡部氏はリスクとクライシス(危険性と危機)の違いを区別していません。

なので、「2 危機に備えておくためには、常にリスクを想定し、対応策を準備しておく必要がある。」ということになるのです。

危険性と危機は明確に異なるのですが、彼は「危機」という言葉とリスクという言葉を意識して別々に使うということをしていません。つまり、リスクとクライシスの違いをはっきり認識していないということです。

危険性は覚悟して甘受しなければならない場合があります。

企業が新製品を送り出そうとするとき、あるいは新たなマーケットに進出しようとする場合など、それが順調に進むことを阻む様々な問題が隠れているかもしれません。それが危険性(リスク)です。

このリスクは覚悟しなければなりません。あらゆるリスクを回避していると何もできないからです。「ノーリスク、ノーリターン」と言われるのはこのことです。

したがって、リスクは事前に慎重に評価しておくことが重要です。

そして、評価の結果、もし失敗した場合の結果が受容できないほど重大である場合にはそのリスクを取ることをしないという決定をすることになります。

そのリスクを取っても実施することが利益になると判断されれば、実施という決定が行われますが、同時に、そのリスクが現実化した際にどうするかという対策を考えておく必要があります。

それがリスクマネジメントです。

組織にとって、特に企業のような組織にとってはリスクマネジメントは非常に重要です。的確な評価が行われていれば、無茶な投資は行われず、またリスクが現実となってもしっかりと対応できるからです。

その結果、企業は他社がしり込みするようなマーケットに堂々と打って出て、そのマーケットを独占することすらできます。

渡部氏の危機管理論の問題点は、そのリスクを想定し、対応策を準備しておき、危機が発生したときには、迅速かつ適切に対応することが重要としているところです。

渡部氏は危機と危険性を区別していないので、リスクを想定して対応策を準備し、危機が発生したら迅速かつ適切に対応することとしていますが、それはリスクマネジメントであっても危機管理ではありません。想定していなかった事態が生じたらどうするのかが示されていないからです。

氏は、危機管理体制とは、危機が発生したときに、対応するための組織や役割分担を明確に定めたものであるとされているのですが、この根底にある考え方は、あくまでも危機は想定できるという前提です。

想定できなければどのような組織を作り、どこにどのような役割を担わせるかが分からないからです。

そして、そのための対策をあらかじめ準備し、組織をしっかりと作り、その役割分担を明確に定めておくことが必要であると説いているのです。

この議論の最大の問題点は、想定外の事態への対応ができないことです。

渡部元陸将は、最悪の事態を想定しておいて、それに備えるのが危機管理だと言われています。岸田首相も同様です。

しかし、いくら最悪の事態を想定して備えていても想定外の事態は起きてしまいます。

すべてが想定できるのであれば、この社会はもっと平穏なはずです。

東日本大震災にせよ、コロナ禍にせよ、想定外の事態が生じたからこそ大惨事になるのです。

危機管理は評価した危険性を受け入れるかどうかという問題ではなく、想定外の事態が生じた際にどう対応すべきかが問われるマネジメントです。

そのことを渡部元陸将は理解していません。

陸上自衛隊の考え方の必然的帰結

実は彼の考え方は陸上自衛隊特有の考え方に基づいています。

陸上自衛隊の基本的スタンスに立つと論理必然的に渡部氏のような考え方になるのですが、どうしてそうなるのかは紙面の関係で次回に解説させて頂きます。