専門コラム「指揮官の決断」
第353回安全保障の議論の経済的側面 その3
弊社の禁忌・・・
安全保障関連予算が対GDP比2%へ増額になることの問題点についての議論を続けます。
この問題の経済的側面についての議論を続けているので面倒で分かりにくい議論が続くとは思いますが、やはり予算の話ですので財政学的な議論を避けて通ることができないので、しばらくご辛抱ください。
過去2回にわたり、経済学的視点からの議論をしてきました。これはある意味で弊社のタブーを犯しています。
弊社では当コラムが「専門コラム」を標榜することの「専門性」にこだわり、専門外の領域に踏み込むことについては臆病なほど慎重な態度をとっているからです。様々な専門的な事柄についても、その専門的な見地からではなく、危機管理論の視点で見るとどう見えるかという議論を踏み出さないようにしているのですが、ここ2回ほどは経済学の視点から見ています。
寄って立つ立場は
筆者は大学院の経済学研究科にいたことがありますが、専攻は経済学ではなく組織専攻でした。入試は理論経済学で受験したのですが、経済学を専門としたわけではありません。
筆者は学部でサミュエルソンの『経済学』上・下を経済原論の教科書として学び、大学院では同じくサミュエルソンの『経済分析の基礎』を学びました。しかし、筆者の経済学的知識が新古典派にあるかと言えばそうでもなく、新古典派経済学はモデル分析の手法を学んだにとどまり、基本的発想はケインズにあると思っています。(なぜかというと、『経済分析の基礎』を挫折したという苦い思い出があるからです。これをしっかりと学んでいれば、筆者の経済学の視点は新古典派総合の立場になったはずです。)
ケインズの一般理論は読みました。最近の経済学者でもなかなかこの「一般理論」を読んだという人にお目にかからず、ほとんどは学説史研究の一環として「一般理論」が何を主張したかを学んでいるに過ぎないのですが、筆者は大学院に入った年の夏に岩波文庫で発刊されていた同書を自分で課題図書にして読んだことがあります。
そこで学んだ基本的な考え方に、新古典派のモデル分析の手法を導入して経済を見ているにすぎません。
実はモデル分析の手法も経済学の研究のために学んだのではなく、組織論に導入できないかと考えて学んだというのが本音です。
まして今流行りのMMT(現代貨幣理論)などは本格的に学んだことはありません。前2回の議論は一見してMMTの立場から論じているようには見えますが、筆者はMMTを学んでいるわけではなく、あくまでもケインズ経済学の立場からの議論です。
その立場からですら、国債発行が将来の世代へのつけになるということが大ウソであることは簡単に立証できます。
何が問題なのか
先のコラムで、筆者は実は別の問題があるが、それは次回以降に議論すると述べています。一体それは何だというお問い合わせをいただいていますので、今回その議論に言及しようかと考えています。皆様に説明するには若干準備不足ではありますが、話題があまりにも古くなる前に触れておきます。
さて、前回までに筆者は国債発行が将来世代への借金になるという理屈が大ウソであり、むしろ増税によって安全保障関連予算の不足分を賄うという発想が、守るべき国そのものを潰してしまうということを説明申し上げてきました。
この議論に関して、大学で経済学を学ばれた方からの反論は今のところありませんし、金融業界でご活躍の方々からは「そうですよ。」といかにも当然と言わんばかりのご意見を頂いています。
ここで、さらにこの安全保障関連三文書について言及させていただきます。
先に、この三文書はろくに読まれていないと申し上げたことを皆様はご記憶のことと存じます。
105ページにわたる文書を幼稚な安全保障論しか語ることのできない野党政治家が読んでいるはずがないという、ある意味でちょっと乱暴な議論をしています。
なぜ筆者がそう考えるのかについての議論が今回のテーマです。
論点が追及されていない
安全保障関連三文書とは「国家安全保障戦略」「国家防衛戦略」「防衛力整備計画」を指しますが、このうち「防衛力整備計画」に別表がついています。
この「防衛力整備計画」は従来「防衛計画の大綱」と呼ばれていたものですが、ここに添付された別表に記載されている数字が、具体的な各自衛隊の保有すべき武器・装備の上限を決定しています。
この別表3にはとんでもないことが書いてあります。
筆者はこのコラムで何度となく申し上げているように防衛問題の専門家ではありませんので、これらの文書を熟読しているかと言われれば忸怩たるものがありますし、別表3の意味するところも、陸上自衛隊や航空自衛隊の事情についてはよくわからないところがあります。
しかし、さすがに元海上自衛官ですし、海幕防衛課で海上自衛隊の予算要求作業を担当したことがありますので、海上自衛隊の部分については若干の理解があります。
その筆者が違和感を持った数字があります。
別表3の海上自衛隊の主要装備の欄には次のような記載があります。
主要装備 | 護衛艦(うちイージス・システム搭載護衛艦) | 54隻(10隻) |
イージス・システム搭載艦 | 2隻 | |
哨戒艦 | 12隻 | |
潜水艦 | 22隻 | |
作戦用航空機 | 約170機 |
このうち「哨戒艦」というのは筆者が現役の時にはなかった種別です。当時は護衛艦が哨戒任務にあたっており、専門の船はありませんでした。しかし、論点はそこではありません。
護衛艦(うちイージス・システム搭載護衛艦)54隻(10隻)という記述があります。
つまり54隻の護衛艦のうち10隻がイージス艦だということです。8隻体制であったイージス艦を10隻に増やすということは、弾道弾対処のためにはどうしても必要であると海上自衛隊がかねてから主張してきていたことです。
これはイージス護衛艦の定期整備、整備後の再錬成訓練、海外派遣訓練などの周期を考えると8隻で取り廻すのが厳しいという事情を根拠にしています。
これは筆者も理解するところです。
問題はその下にイージス・システム搭載艦 2隻という記述があることです。
筆者は、この記述が行われることをある事情で知っていました。イージス護衛艦を2隻増やすというのはもともと海上自衛隊の積み上げにあることですが、イージスシステムを搭載した護衛艦ではない船が2隻できるということだったので、呆れていたのが実情です。
軍事的合理性より先にあるもの
イージス・アショアが用地の選定段階で防衛省が大きなミスを犯して地元の説明が難しくなり、その説明会で担当の役人が地元住民の前で居眠りをするという大失態を犯した結果断念したことは皆さまご記憶のことと存じます。
しかし、アメリカには発注してしまっているので、今更キャンセルできないという事情があり、それを船に乗せるのだそうです。
つまり、イージス・アショアのシステムを搭載するためだけの船を作るのであって、それは護衛艦ではありません。船を動かすのは海上自衛隊であるものの、イージス・システム自体は陸上自衛官が操作するということなのです。
この話を最初に聞いたとき、教えてくれた若手の防衛官僚に「よく海上自衛隊がそんな馬鹿な話を吞んだね。」と言うと、その防衛官僚は「呑んでませんよ。彼らは大反対ですよ。こんな馬鹿な計画を作ったら品川沖に艦隊を並べるぞと脅しをかける幹部もいましたよ。」とウソかホントかわからない冗談を返してきました。
つまり、このイージス・システム搭載艦という種別は海上自衛隊の積み上げではなく、まして陸上自衛隊の積み上げでもなく、政治的圧力によるものなのだそうです。
この船は筆者の考えるところ、かつて海上自衛隊が保有した護衛艦のどれよりも大きくなるはずです。しかも陸上自衛官が乗り組むということなので、海上自衛隊の伝統やしきたりが通用しないとんでもない船になります。
そのような船を作ることが何気なく書き込まれているのに、このことが国会で取り上げられることがありませんでした。つまり、誰も読んでいないのです。
この船を運行し、維持していく費用は莫大なものになります。
そして、この船がどれだけ役に立つのか分かりません。
筆者に言わせれば、米国に違約金を払ってキャンセルした方が遥かに予算の効率的執行になるはずです。
筆者はこの対GDP比2%への増額は張り子のブタを作るだけだと主張し続けていますが、これが実態です。
イージス・アショアは海上自衛隊の負担を軽減するためという名目で計画されたものですが、負担を軽減したければ、10隻体制にして、隊員の充足率を向上すれば済むことです。
8隻を振り回し、低い充足率の乗員が警戒にあたるから疲弊するのであって、問題が履き違えられています。
イージス・アショアの計画は、実は弾道ミサイル対処で出番のない陸上自衛隊に華を持たせるために計画されたものであり、海上自衛隊の負担軽減は口実にすぎません。
結果的に、このバカでかい護衛艦ですらない船に陸上自衛官を乗せて運航しなければならず、海上自衛隊の負担は増大することになります。
これが文民統制であり、政治が軍事を統括することの結果です。
軍部が独走することが望ましいとは思いませんが、このような政治の圧力がこの国の安全保障をゆがめていることは間違いありません。
シビリアン・コントロールのなれの果て
筆者はシビリアン・コントロールについて、原則的には賛成しています。ただ、その発想は、軍人に軍事力の使用を好き放題にさせると大惨事が生ずるという性悪説に立っています。
筆者は、軍人に軍事力使用を好き勝手にさせるということの危険性は熟知しつつ、しかし、権力欲と利権、保身しか考えない政治に軍事に介入させることの危険性はどう評価すべきなのかを考える必要があると思っています。
張り子のブタをつくる壮大な無駄遣いの結果、国が滅んでいきかねないのです。
シビリアン・コントロールがしっかりと機能するためには、コントロールする側のシビリアン(政治)が軍より遥かに高い英知を持っていることが必要最低限の条件です。
軍事のド素人で利権しか考えないシビリアンがコントロールすると、単なる壮大な無駄遣いになるだけです。