専門コラム「指揮官の決断」
第360回危機管理の実践のために その3
社会的信頼を勝ち取るということ
ここ2回ほど、当コラムの危機管理論の入門的議論においては、社会的信頼を得ていることが危機管理においては非常に重要だと申し上げてきました。
まず、社会的信頼を得ていないと、その組織が何をやっても信頼されず、結局はあらゆる努力が無駄になるということ、そして、逆に外部から見て完璧な信頼を勝ち得ている組織は、些細な変化の兆候すら見逃さないので、危機に強いということをお伝えしてきました。
社会から信頼されるということは大変なことです。壮絶な努力が必要ですが、それも一瞬で崩れ去ることがあります。
それほど信頼を勝ち得て、その信頼を維持していくということは大変なことです。
唯一の方法
企業が社会から信頼されるためのほぼ唯一の方法があります。
非常勤を含む全従業員にその企業の理念を徹底させることです。
東京ディズニーランドを経営するオリエンタルランドは「自由でみずみずしい発想を原動力に、すばらしい夢と感動、ひととしての喜び、そしてやすらぎを提供します。」という行動指針の下に従業員の教育に当たり、東日本大震災に際して、各アトラクションにいた担当者たちは独自の判断でその場にいた観客の動揺を抑え、帰ることのできなくなった人々に、指示なしに売店のお菓子を配るなどの行動に出て、その被災体験そのものを思い出に変えてしまうという、まさに魔法の国の演出をやってのけました。
ヤマト運輸は、同じく東日本大震災にあたり、東北の被災地の各支店が、倉庫業務を得意としていることを生かし、地元の避難所に必要なものと必要でないものを仕分けし、それらを必要としている避難所に移したり、避難所に来ることのできないお年寄りなどがどこにいるのかを熟知していたため、避難所で支給される食料や衣類などを個別に敗走したりという作業を本社からの指示なしに行いました。
これはヤマト運輸の社員は朝礼で必ず「我はヤマトなり。」という言葉を唱和させられていたことから、自分がヤマト運輸のトップであったらどう判断するだろうかという観点から各支店が独自の判断で動いたものと言われています。
つまり、理念が徹底されているとそのように動くのです。
一方で理念が徹底されておらず、会社が危機に瀕した有名な事例もあります。
三菱自動車がかつて掲げていた企業理念は、「大切なお客様と社会のため、走る歓びと確かな安心を、こだわりをもって、提供し続けます。」というものでした。
しかし、三菱の技術陣はこの理念を忘れて、軽自動車の排ガス規制の優遇税制枠を取るためにデータ偽装を行ったことが発覚し、社名は残ったものの、日産の傘下に入ることになりました。
つまり、掲げた企業理念に忠実に意思決定をしていけば、およそ理念からかけ離れたスキャンダラスな過ちはしないし、全社員がその理念を理解し、それに沿った行動をしていくと、それは必ず評価されるものになっていくはずです。
かつてSONYは「生活に必要なものは作らない。」と主張したことがありました。
たしかにSONYが家電メーカーであると思わせるものはどこにもありません。そのようにしてSONYはエンターテインメントの世界で確固たる地位を築きました。
自ら掲げる理念などと異なる行動をとると、世間は評価してくれません。
それほど「言葉」とは重要なものであることを認識すべきです。
彼らの言葉は鴻毛より軽い・・・
筆者は、政治家の言葉をまったく信じていません。
最近でこそ聞かなくなりましたが、昭和の時代、選挙が始まると宣伝カーの上で、マイクを何本も束にして、大きなハチマキとタスキの立候補者が声をからして叫んでいた言葉があります。
「皆様とのお約束を果たすため、わたくしは命がけで戦ってまいります!!!」
筆者は、これまで、自分の政見が実現できなかったことを恥じて自決した政治家をただの一人も知りません。汚職がバレそうになって投身した政治家は覚えていますが、本当に命をかけた政治家を知りません。
具体的な生命を賭けなくとも、せめて政治生命くらいはかけて欲しいと思いますが、そのような政治家すら聞いたことがありません。
汚職などは選挙民に対する重大な背信行為ですが、汚職が表面化すると辞任する程度で終わりです。
かつて、名誉が生命より重かった時代がありますが、そのような時代でなくても、政治家の汚職などは万死に値するかと思うのですが、誰もそうは思わないようです。
なぜ、政治家の言葉を信じないかというと、それがあまりにも軽いからです。
誰の言葉よりも政治家の言葉は軽く、「鴻毛」より軽いと言っても過言ではありません。
現在の日本で政治家の頂点に立つのが岸田首相ですが、さすがに政治家のトップだけあって、その言葉の軽さは半端ではありません。
当コラムではこの首相の言葉の軽さについてはたびたび指摘してきています。
「検討する」を乱発して「検討使キッシー」と官僚から陰口をたたかれていること、
誰にあってもすぐに「全力で」と述べ、結局何に全力で臨むのかがさっぱり分からないこと、などを指摘してきました。
そもそも彼は総裁選において「危機管理の要諦は、最悪の事態を想定し、それに備えることである。」と発言し、筆者は「こいつには危機管理はできない。」と断言しています。
最悪の事態を予測して対応策を検討するのは危機管理ではないと当コラムでは何十回となく主張してきているところです。
新型コロナの最後の大流行になった昨年年末を前に、どう対応するつもりなのかを記者に問われた岸田首相は「年末の状況を見てから判断するべきだと考える。」と述べ筆者を唖然とさせました。 「想定すらしないんだ・・・・」
案の定、正月には検査キットが不足して検査できないという事態を招きました。冬になる前に検査キットを大量に作っておけばよかったのに、判断を先送りしたためでした。
8月21日、福島原発の処理水の海洋放出をめぐって、全漁連の代表と会談した首相は、「漁業者の皆さまが安心して生業を継続できるように、必要な対策を取り続けることを、例え今後数十年の長期にわたろうとも、全責任をもって対応することをお約束いたします。」と述べています。誰がこの言葉を信ずるのでしょうか。
前日に首相は東電首脳を呼び出して、「風評被害などが生じた場合の補償などはしっかりと行うように。」と指示をしています。
つまり、自分が責任を取るつもりなど微塵もないのです。
数十年後にも彼が全責任を取るなどという言葉は、軽いとかたわ言とかのレベルですらありません。明らかに心にもないウソです。
彼自身が責任を取ろうなどと毛頭考えていないはずです。
そもそも次の選挙後の首相が彼かどうかも分からない状況で、数十年の長期にわたる責任を取るなどとよく言えたものだと、政治家の恥知らずぶりにはうんざりさせられます。
この男にこの国を託すのか・・・
そして、とどめの発言がその次の記者会見で行われました。午後6時45分のことです。
彼はこう述べたのです。「明日朝、関係閣僚会議を開催し、政府全体で安全性の確保や風評対策の取り組み状況について改めて確認をし、処理水の放出の具体的な日程を決定することといたします。」
この首相は「関係閣僚会議を開催し、政府全体で・・・・」と言っているのですが、国の総合的な方針や法案を決定するための閣僚会議と、特定の政策分野に関する協議や調整を行うための場としての関係閣僚会議の役割を理解していないのです。政府全体なら関係閣僚だけではダメなのです。
つまりこの首相は、言葉が軽いだけではなく、考えていることも鴻毛のごとく軽いのでしょう。その場しのぎの発言しかできない軽い政治家です。
このようなトップを信頼せよというほうが無理なのであって、この首相にこの国の危機管理を任せること自体が大きな危機であることを私たちは認識しておくことが必要です。
彼が首相在任中に南海トラフに起因する地震・津波、富士山の噴火、台湾有事などが起きないことを切に祈ります。
P.S.
8月24日付の首相官邸のビデオメッセージですが、相変わらず首相は国旗の右前に立って話をしています。(今号のタイトル写真をご覧ください。)何の疑問も感じていません。国旗よりも自分が上位に位置していることに何の疑問も感じないとなると、首相だけでなく、官邸スタッフのレベルを疑いたくなります。官邸にはプロトコールオフィサーがいないようです。誰も教えてやらないんではなくて、誰も教えられないんでしょう。かつてこの問題について語っていますので、筆者が何を憤っているのかを知りたい方はこちらをお読みください。
専門コラム「指揮官の決断」第340回 言いたくはないが国賊だろう https://aegis-cms.co.jp/2955