専門コラム「指揮官の決断」
第408回組織文化
組織を取り巻く文化
かつて当コラムにおいて「組織風土」という概念を取り上げたことがあります。
今回取り上げるのは「組織文化」です。
この両者は組織論研究者にとっては大きなテーマであり、それらを巡る論文の数は膨大な量になりますが、その違いを明確に説明するのは簡単なことではありません。
一方で、経営学研究者にとっては厳密にその違いを明らかにする必要はないらしく、論文を読んでいて、この研究者は勘違いしているなと思うと、大抵は経営学の研究者の論文であるのが興味深いところです。
確かに、組織論と経営学とはちょうど基礎生理学と臨床医学のような関係にあり、臨床医としては細かい議論よりも、現れてくる症状とその対処法に関心があるのでしょう。
したがって、経営学の研究者には、組織文化と組織風土には明確な違いはないと断言する方もおられます。
この問題について書き始めると一つの論文ができてしまいます。
筆者は大学院の研究科の頃から一貫して組織論を勉強してきましたが、学者ではありませんし、当コラムは組織論の専門コラムでもありませんので、これらの議論に深入りすることはとりあえず避けておきます。
組織文化とは
学問的な議論はさておき、今回取り上げる組織文化というものが何なのかを説明しなければなりません。
簡単に説明するのは大変で、ちょっと工夫しなければなりません。
ちょっと皆様のイマジネーションをお借りします。
想像しながらお読みください。
組織文化は比較的目に見えやすいのですが、逆に組織風土は目に映りにくいという性格があります。
しかし、一方で組織風土と組織文化は密接に絡み合っており、明らかに文化の異なる二つの組織を注意深く観察すると、それぞれにその文化を作り上げた風土があることが分かります。
ビジネスの皆様にとっては、この組織文化を痛切に感じとることのできる機会があります。
企業の合併です。それが吸収であろうと対等な合併であろうと構わないのですが、二つの組織が一緒になる時にその文化の違いが明白になります。
池井戸潤氏の半沢直樹シリーズでも、主人公の半沢直樹が勤務する銀行が二つの銀行の合併によってできたものであり、その中で旧Tとか旧Sなどという派閥争いが起きていることがテーマの一つとされています。
この組織文化をなぜ当コラムで取り上げるかと言えば、当然のことながら危機管理と密接に関係があるからです。
文化が異なる組織
組織文化が異なる組織を一つにまとめるのは容易なことではありません。
私はかつて30年間海上自衛官として制服を着用していました。
日本には陸・海・空の3自衛隊があり、その中核たる幹部自衛官の多くは防衛大学校で教育を受けます。これは比較的珍しい制度であり、米国は最初から陸・海・空の士官学校で養成されるのですが、日本は防衛大学校で教育を受け、途中から同大学校内で要員別の教育が行われています。
これは防衛大学校創立時からの制度であり、三軍士官を一緒に育てるというのは当時としては先進的な発想だったと考えます。
防衛大学校を卒業するとそれぞれの自衛隊の幹部候補生学校に進み、そこで私のように防衛大学校以外の大学から採用されたものと一緒になって教育を受けるのです。
このように3自衛隊の主流派である防衛大学校出身者が同じ場所で同じ教育を受けてきているのに、面白いことに3自衛隊はその組織文化がまったく異なるのです。
同じ海上自衛隊内でも、護衛艦乗りと飛行機乗り、そして潜水艦乗りは気質が異なります。多分、陸上自衛他でも普通科(歩兵)と戦車、砲兵では気質が異なるのでしょう。
しかし、陸・海・空自衛隊の違いは気質の違いという半端なものではありません。
根本的に違う軍隊かと思うほど異なっています。
よく言われる3自衛隊の体質は次のとおりです。
陸上自衛隊:用意周到、頑迷固陋
海上自衛隊:伝統墨守、唯我独尊
航空自衛隊:勇猛果敢、支離滅裂
30年間制服を着てきた私にもこの違いは半分は当たりだと思われます。
陸上自衛隊は、なかなか小回りが利きません。かつて、インドネシアで地震津波被害が生じた際、海上自衛隊はインド洋の任務を終わって帰国の途にあった補給艦の針路を変え、タイのプーケット沖に向かわせました。世界中の海軍で最も早く姿を現した軍艦となりましたが、この時も、プーケット沖に向かえという指示だけで変針され、細部の命令はその後から送られました。東日本大震災の時も、地震が発生して6分後に、動ける船は出航して東北に向かえという指示が出ました。まだ津波が到達していない時刻です。
一方で、インドネシアの地震・津波被害に際しては、最終的には陸上自衛隊がバンダアチェに医療部隊を展開して支援にあたりましたが、その部隊を出すのに3か月かかり、出された命令はA4のパイプファイル17冊にのぼりました。徹底的に細部まで指示が書き込まれた命令でした。
航空自衛隊の支離滅裂さは有名です。当コラムにも、元航空自衛隊の戦闘機パイロットと称する人物が、「ロストポジション」という言葉の意味も知らずに、「お前のコラムはフェイクだ」というコメントを寄せてきましたが、戦闘機乗りで「ロストポジション」の意味を知らないということはあり得ないので、こいつも支離滅裂な典型的な航空自衛隊の戦闘機乗りなんでしょう。(航空自衛隊の名誉のために付言しますが、筆者の知る航空自衛官は、その職種を問わず、支離滅裂という印象を受ける人物はいません。在隊中、仕事のやり方が随分違うなと思ったことはありますが、一緒に飲んで不愉快な人物はいませんでした。まぁ、上述のようなバカも時々いるということでしょう。)
海上自衛隊の伝統墨守も三自衛隊では有名です。幹部候補生学校を旧海軍兵学校の跡地に作ったり、多くの用語が旧海軍から踏襲されています。当直士官とか士官室などという言葉は、陸・空自衛隊では使われません。
これらの特徴ができてきたのにはそれなりの理由があるのですが、今回はその組織社会学的考察はとりあえず置いておきます。しかし、驚くのは、言葉が違ってよく分からないことがあるということです。
文化が異なるとどうなるのか
例えば、初めて陸上自衛隊との調整会議などに出席し、「白紙的に議論したいと思います。」などと言われるとどう議論すればいいのか分かりません。
通訳してもらうと、先入観や予断を捨ててということなのだそうです。
また、陸上自衛隊のカウンターパートに電話をすると別の人が出て、「今、指導受け中です。」などと言われることがあります。
何度電話してもそのような返答なので、慣れてきた頃、「怒られているということ?」などと聞くと、「そうとも言います。」という答えでした。初めての時は戸惑います。
反対に陸上自衛隊も海上自衛隊との付き合いでよくわからずに困ることが多数あるかと思います。海上自衛隊には帝国海軍時代の言葉がたくさん生きていますからね。
文化としてどのような違いがあるのか、極めて分かりやすい例でご紹介します。
陸上幕僚監部における陸上幕僚長の新年の訓示と海上幕僚監部における海上幕僚長の新年の訓示がどのように行われるのかを実況中継してみます。
それぞれ、幹部自衛官だけが会場に参集しているとして、現場を想像しながらお読みください。
まず陸上幕僚監部です。
司会:「只今から、陸上幕僚長の年頭の訓示が行われます。一同気を付け。」
陸上幕僚副長号令:「気を付け」
司会:「陸上幕僚長、登壇願います。」
陸上幕僚長登壇
司会:「陸上幕僚に敬礼」
陸上幕僚副長号令:「陸上幕僚長に対し敬礼、頭、中」
「直れ」
陸上幕僚長 訓示を読む。
陸上幕僚長 訓示を終了
司会:「陸上幕僚長に敬礼」
陸上幕僚副長:「頭、右」
司会:「陸上幕僚長、降壇願います。」
陸上幕僚長 降壇
次に海上幕僚監部です。
司会:「只今から、海上幕僚長の年頭の訓示が行われます。」
一同気を付けの姿勢を取る。
海上幕僚長が登壇し、職員に正対する。
一同、敬礼をする。
海上幕僚は答礼後、訓示を読み始める。
訓示終了後、訓示を盆に置き、姿勢を正す。
一同、敬礼をする。
海上幕僚長は降壇し、退室する。
司会:「海上幕僚長の年頭の訓示が終わりました。解散してください。」
何が違うかお気付きでしょうか。
海上自衛隊は開会の宣言と閉会の宣言以外司会が何も言わず、号令がかからないのです。
海上自衛隊は幹部自衛官に対して号令をかけることはありません。したがって、幹部自衛官しかいない儀式では号令はかからないのです。
このことが典型的に現れる儀式があります。
広島県江田島の海上自衛隊幹部候補生学校の卒業式です。
卒業証書が授与されるまで、あらゆる動作には号令官が号令をかけていきます。
幹部候補生は階級としては海曹長だからです。
卒業証書が学校長によって授与されると、次は幹部任命です。
幹部候補生課程修了にともなう幹部への任官ですので、昇任ではなく、幹部自衛官に任命されるのです。
すべての候補生の名前が読み上げられ起立します。そこで海上幕僚長が「三等海尉に任命する。」と任命書を読み上げられた瞬間に海曹長が三等海尉になりますので、それ以後号令がかからなくなります。
海上幕僚長の幹部任命が終わって、海上幕僚長に敬礼するにも号令なし、以後の儀式もまったく号令がかからずに進行します。それまで「鶴の叫び声」のような号令が飛び交っていた会場が異様に静かになってしまいます。数百人が儀式に参加しているのに、まったく何の号令もなく進み始めるのです。あるのは司会者の「米海軍第7艦隊司令官にご祝辞を頂戴します。」程度の案内だけです。
一方の陸上自衛隊は陸幕副長が号令官となり、すべての動作に関して号令をかけます。また、司会者は次に何をすべきなのかをすべて案内しています。
陸海空自衛隊の統合運用が始まり、三自衛隊がいる時には礼式は陸自の礼式で行うことが定められたので、防衛大臣や統合幕僚長の訓示を聞く時には海上自衛官も陸式の作法にのっとるのですが、筆者たち海上自衛官は最初は随分戸惑ったものです。
文化は変えられる
しかし、この差異も慣れの問題であり、克服できない問題ではありません。つまり組織文化は変えることができます。
一方、組織風土を変えるのは簡単ではありません。
組織文化を徹底的に変えていくと、組織風土に少しだけ影響を与える可能性はありますが、根本的に変えるのには長い時間を必要とします。
合併や吸収などで複数の組織を束ねる時、これは極めて重要な考慮事項となります。つまり、組織文化を変えるのはそれほど難しくはないが、組織風土を変えるのは相当の困難を伴うという認識を持たねばなりません。また、風土が変わらないのに、その風土に立脚する文化だけを変えてしまうことに伴う副作用も考慮しなければなりません。
この問題には一般的な解答はないだろうと考えます。
個別具体的に対応していかなければなりません。その際に重要なのが、組織には文化と風土があるということであり、その認識なしに合併や吸収を行っても、シナジー効果どころか逆効果になることさえあることを理解してかかる必要があります。
かつて「規律の弛緩」というコラムで、筆者は手当の不正請求をしたり、隊で出される食事を受給資格のない自衛官が対価を支払わずに食べていたりすることが風土となっているのではないかという危惧を表明しています。
これは危機的状況です。風土として定着してしまう前に、このような悪習は一掃してしまわなければなりません。
自浄能力が問われる正念場だと海上自衛隊は認識すべき時です。