専門コラム「指揮官の決断」
第407回責任の所在とその取り方
責任感の欠如が問題
当コラムや弊社配信のメールマガジンで何度も申し上げておりますが、筆者にはマムシよりも嫌いなものが三つあります。政治家・役人と、テレビ・新聞などのメディアの二つが不動の二つであり、順位はありません。二者が同率首位です。
なぜ、こいつらが嫌いなのかということを語りだすと際限のないページ数を使うので、ここでは詳しくは申し上げませんが、一つだけ、この二者の共通点についてお伝えします。多分、それが筆者がこの二者が嫌いな理由なのだと思います。
それは、この二者には「責任感」というものが片鱗すらないことです。
三つあると言いながら、二つしか挙げていませんが、三位はその時と考える場所によってコロコロ変わります。
海上にいるときは漁船が嫌いです。車を運転しているときは自転車と原付が天敵です。
しかし、同率首位の二者については、時と場合に関わらず生理的に嫌いです。
政治家は
最近はあまり聞きませんが、かつては選挙において、「皆様とのお約束を果たすため、命がけで戦ってまいります。」とマイクを握りしめて絶叫する候補者がたくさんいました。
しかし、公約を果たせずに自決したという政治家を、この国の憲政史上ただ一人も知りません。
それどころか、最近では裏金疑惑を指摘されて、「会計担当者がやったことで、自分はまったく知らなかった。」などと呆れかえる言い逃れをする奴ばかりです。唾棄すべき連中です。
自衛隊で育った筆者にとっては、部下の不始末の責任を取るのは上司の任務であることは当たり前なのですが、どうも政治家という人種はそう思っていないようです。
この連中とは、「倶に天を戴いただかず」と心底思います。(この言葉は「元寇」という歌の一節です。)
役人は
この連中は、自分たちの失策の言い逃れをする天才的な才能を持っています。難関の公務員試験がなぜ課されるのかが最近分かりかけてきましたが、多分、いかなる批判にも言い逃れができる人材が必要なのでしょう。
メディアは
この連中の酷さはコロナ禍を思い出して頂ければ分かります。
散々出鱈目な情報を流して社会の不安をあおり続けたのは、視聴率のためでした。その結果について、彼らは一切の責任を取ろうとしません。
筆者は、メディアが自分たちの発信した情報の社会に及ぼした影響について責任を取れと主張するつもりはありません。
メディアが真摯に情報を集め、処理し、発信したのであれば、それが誤りであったとしても仕方がありません。科学は万能ではありませんし、メディアの人たちもすべてに通じているわけではありません。
まして、その影響については、メディアの発信を受け取った社会がしっかりとしていればいいのですから。
ただ、現在のメディアは、コロナ禍の間、当コラムが何度となく指摘してきたように、視聴率や購買率を確保するための煽り報道に徹しており、事実を歪曲し、ろくにファクトチェックもせず、金でいかなる見解をも述べる専門家を使ってやりたい放題です。そうでありながら、事が過ぎてしまうと、そんなことは言わなかったとばかりの態度です。この態度には大きな責任が伴うはずですが、この連中は、自分たちが反省しなければならない行動をしてきたという自覚がありません。つまり、責任どころか、自分たちは正義であると思い込んでいます。〇×につける薬はないと昔から言われますが、そのとおりです。
私たちの責任を自覚すべき
責任の所在が曖昧であるという事情は、いたるところに見受けることができます。
当コラムでは、先に立法行為そのものが憲法違反であると最高裁が判断した優生保護法も、高裁が違憲立法の判断をして国が上告しなかった結果、違憲立法となった「らい予防法」についても、反省しなければならないのは厚労省ではなく、衆参両院であるはずなのに、なぜ追悼や名誉回復の儀式が国会議事堂で衆参両院議員の参列の下に行われないのかと疑問を呈しています。
厚労省は国会が成立させた法律を執行していたにすぎません。法律が違憲であるという判断が下されたのであれば、責任を取るべきは、その違憲立法を行った国会であるべきです。それだけではありません。
たとえば、福島瑞穂さんという参議院議員がいます。社民党党首をされていますが、この人は元々自衛隊は違憲であるという見解の持ち主でした。
彼女が鳩山政権の少子化担当相として入閣し、参院予算委員会で自民党の佐藤正久議員の「自衛隊は合憲ですよね。」という質問に、「閣僚としての意見は控える。社民党党首ですから。」という答弁をしました。
はっきり言いますが、この人の頭を疑います。参議院予算委員会の政府側席に並んでいるのは、各党党首ではなく閣僚が呼ばれて座っているのであり、自分がどういう立場で出席しているのかをまったく理解できないようなのです。
さすがに、自民党が抗議し、審議が中断してしまいました。再開後に、「社民党の方針は変わらない。内閣の一員としては内閣の方針に従う。自衛隊は違憲ではない。」という答弁をしました。やはり頭が良くないのでしょう、誰も社民党の主張など訊いていないのです。
この程度の閣僚は社民党だけでなく別に珍しくなく存在します。
安倍政権で最初にオリンピック担当大臣になった桜田義孝という自民党の政治家がいます。
この男は、オリンピック憲章に記載されているオリンピックの理念について国会で尋ねられ、まったく知らなかったことを追及されたのですが、「通告がなかったので読んでいない。」という答弁をしています。
通告がなかったからオリンピック担当大臣がオリンピック憲章を読んでいないのが当たり前なら、憲法を読んだことがない法務大臣や自衛隊法を読んだことがない防衛大臣、警察官職務執行法を読んだことがない国家公安委員長がいても不思議がないということです。
もっとも、通告を受けて一夜漬けで憲法を読んで来られても困るのですが・・・
そもそも、この男はスマホすら満足に使えないのに、デジタル担当大臣兼務でした。自民党はこの程度の政治家を閣僚に起用する程度の認識しか持っていません。オリンピックやデジタル対応など、どうでもよかったのでしょう。
当コラムで批判したこともありますが、自民党は1週間だけですが、外務大臣と防衛大臣を兼務させるという呆れ果てた人事を行ったことがあります。一触即発の事態になった場合に、必死になって相手国と調整しなければならない外務大臣と、戦争の準備を始めなければならない大臣を兼務させるというでたらめさです。
憲法を読んだことのある方なら次の一文をご記憶のことと存じます。
「日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し・・・」
つまり、らい予防法にしても優生保護法にしても、それらを作ったのは国会であり、その国会議員を選んだのは、私たち国民なのです。
お粗末な閣僚が排出するのは、その政党が選挙で政権を取ったからです。
ここで私たちが考えておかなければならないことがあります。
野党はいつも勘違いしているのですが、自分たちは国民の民意を代表して政府と闘っていると考えているようですが、国民は野党を選んでおらず、民意を代表しているのは与党であり、野党ではありません。
支持率で言うと、自民+公明の与党が31.5%、立憲民主党以下の野党7党の総計が14.7%(2024年7月8日現在、NHK調査)です。つまり、野党は全部合わせても与党の半分の支持も得ていません。彼らは民意の代表者ではないのです。
ところが、その民意を代表した国会で選ばれて誕生したのが現政権です。
この事態をどう解釈すべきか。
これは、この政権を選ぶ結果となった衆議院総選挙の結果に対して国民が責任を負わなければならないということです。
この政権のおかげで、わが国の経済は前代未聞の危機に立たされようとしていますし、この国の安全保障は、張り子のブタの戦えない軍隊を作るだけの結果をもたらせようとしています。
また、この政権の対策では少子化には歯止めがかかりません。(政権自ら、少子化を加速させようとしていることは明らかです。なにせ特命担当大臣として任命したのが、「少子化対策」大臣です。「少子化問題対策」大臣ではなく、「少子化対策」なんです。どう聞いても、少子化問題を解決するミッションを帯びた大臣ではないですよね。)
その程度のネーミングしかできないほど、現在の官僚のレベルは下がっていますし、それを政治主導するはずの政治家たちが、自分たちの利権しか考えていないので、そのような事態が生じているのですが、これらはすべて、その政権を選んだ私たちの責任なのです。
かつて、ジョン・F・ケネディが就任演説で、「アメリカの同胞諸君、国家が皆さんに何をしてくれるのかを問うのではなく、皆さんが国家に何をできるのかを問え。」と述べてスタンディング・オペレーションになりましたが、現在の日本にこれほど強いメッセージを発することのできる政治家は一人もいないでしょう。
石原慎太郎さんならやったかもしれませんが。
私たちに積極的に国家に何かを貢献するという義務はありません。それぞれが一生懸命に働いて、税金を払い、子供をしっかりと教育すればいいと思います。それが日本国憲法に規定された国民の義務です。
それぞれの立場でなすべきことをしっかりやっていくというだけで十分です。
ただ、現政権を成立させたのは自分たちの責任であり、優生保護法やらい予防法などによって患者を差別し、その人権を奪ってきたのは、「国家」ではなく、自分たちが選んだ政権であるという意識だけは持ち続ける必要があると考えています。
メディアについても同様です。メディアは不安を煽ることでコロナ禍の日本で視聴率を稼ごうとしました。そして、事実を歪曲し、あるいは局の言いなりの発言をする専門家だけを連日登場させ、不安を煽るだけの内容の報道に徹していました。
私たちは病床がひっ迫し、コロナ禍の患者さんは救急車でたらい回しにされ、治療を受けるまでに何時間もかかると信じ込まされていました。
実態は、コロナ禍でもっとも患者が多かった時ですら、コロナ専用病棟は6割しか使われていなかったことが会計検査院の調査で判明しています。
筆者は、当コラムでコロナ禍というのは、そういうものではないと主張し続けました。また、テレビに登場する感染症専門家は致死率すら計算できていないと批判し続けました。筆者は数字をフォローしていたのと、テレビに出てこない感染症専門家から話を聞く機会があったからですが、そのような機会がなかった方々も、メディアの性格というものを理解し、彼らの報道を鵜呑みにせず、でたらめな報道にはしっかりとブーイングを発し、いたずらに視聴率を上げて、彼らを喜ばせることを避ける必要があります。
それが、最低限のメディア・リテラシーだと考えます。
メディアが出鱈目なのは、それを受け取る私たちのレベルに合わせているからかもしれません。
まもなく、自民党総裁選が行われ、次の首相が選任されます。誰が首相になろうと、私たちはその結果を甘受しなければなりません。選挙で第一党に選ばれた党が選んだ首相だからです。それが、私たちの責任です。