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専門コラム「指揮官の決断」

第427回 

危機管理の視座 その2

カテゴリ:危機管理

承前

前回、当コラムでは、日本では危機管理の概念が正しく理解されてこなかったことを指摘し、リスクマネジメントと危機管理が同義であるとの誤解が蔓延ってきたと述べました。

また、東日本大震災、コロナ禍、能登半島震災などを経て、やっとリスクマネジメントでは対応できない危機があることに気付き始め、リスクマネジメントと危機管理は別物であるという議論が起き始めていることに言及しました。

政治家は・・・

ただ、施政者がこの議論を認めたがらないので、一向にこの国の危機管理は進んでいきません。

政治家の危機管理の概念を端的に表したのが、自民党総裁選における前首相岸田文雄氏でした。彼は「危機管理の要諦は、最悪の事態を想定して、それに備えること。」と公言しました。

当コラムは即座に反応し、「危機管理を理解していない政治家をトップにするとろくなことはない。」という論陣を張りました。

なぜ政治家は「最悪の事態を想定して備えること」が危機管理だと主張したがるのか、その理由は二つのうちのどちらかです。

単なる〇〇(差別用語なので、伏字とします。)なのか、あるいは責任を回避したいかのどちらかです。

ひょっとすると両方が当てはまる政治家が多いかもしれません。

最悪の事態を想定して、それに備えることが危機管理であると、彼らに都合がいいのです。

想定外の事態が生じた際に、責任を追及されないからです。

東日本大震災の頃の政権与党は、口を開けば「想定外」という言葉を乱発し、それを免罪符としていました。

想定外だから仕方ないだろうということです。

この論理を1000歩くらい譲って認めるとしましょう。

彼らは事業仕分けという政治ショーで、群馬県の八ッ場ダムと熊本県の川辺川ダムの二つの工事を中断させました。

八ッ場ダムはその後に再開されましたが、川辺川ダムは中止されたまま、防波堤の工事も行われずに放置されたため、熊本県を襲った豪雨のため老人ホームが冠水して多くの犠牲者を出す結果となりました。

この時の政権にいた人々の反省の弁を聞いたことがありません。むしろ、当時官房長官だった男が、その光景政党の代表選に出馬し、自分の強みについて「危機”管理に強いこと」と述べたので仰天した次第です。英語では”Pigs might fly”と言います。

とにかく、政治家にとって最も重要なのは「権力」であり(首相になりたくて、5回も総裁選に出た奴がいますからね。)、忌み嫌うのは責任を問われることです。

連中は、権力の追及や責任の回避には全力を挙げて取り組みますが、その他のことに関心を示しません。当コラムが政治家を生理的に忌み嫌うのはこのためです。

昭和の時代、国会議員の選挙の立候補者はマイクを両手で掴み、「皆さまとの公約を実行していくため、私は命がけで戦ってまいります。」と絶叫するのが常でした。

しかし、日本の憲政史上、公約を果たせずに自決した政治家を一人も知りません。

戦いに敗れて自決した軍人は数知れずいますが、政治家ではただの一人も知りません。汚職を追及されて自殺した奴なら知っていますが。

自分の政策が誤りであったことを反省して国民に謝罪したのは橋本龍太郎氏でした。

彼の緊縮財政が当時の大蔵省の言いなりであったことに気付き、慌てて「財政構造改革法」なる世紀の悪法を改正し、4兆円規模の減税を行ったのですが、緊縮財政が正しいと考える勢力によって「迷走」と評価され、参議院選挙で大敗した責任をとって辞任してしまいました。そして自分のウェブサイトに国民に対する謝罪を述べたのですが、彼以外に自分の責任を認めた政治家を知りません。

マスコミは・・・

政治家が危機管理を正しく理解しないのは、そのような事情があるからです。

ただし、この国で危機管理の概念が正しく理解されてこなかった理由の大きなものは、実は政治ではありません。

マスコミです。

ジャーナリストたちのレベルが低下し続け、クライシスマネジメントとリスクマネジメントの概念が異なることに気付かずに報道が続けられた結果です。

「昔は良かった」という懐古趣味に走るつもりはありませんが、昭和の時代のジャーナリストには骨がありました。

今、彼らの書いたものを読み直してみると噴飯ものの議論も多々あります。特にマルクス主義者を標榜していたいわゆる「左翼知識人」を気取っていた人々の議論は、幼稚で、呆れるほどに現状認識が破綻していますが、しかし、揺るがぬ覚悟を持って執筆しており、つじつまが合っています。

ところが、平成以後のジャーナリスト、マスコミ関係者の多くが、視聴率の維持、向上が最優先で、煽るためには手段を選びません。

その最たるものが、コロナ禍における報道でした。コロナ禍における情報番組を担当したのが、英語と算数が分からぬ社会部だったこともあり、彼らが大切だと主張するファクトチェックも行われず、単に不安を煽るためだけの報道が行われたため、世界的には被害が小さかったはずの日本でも情勢が誇張されて報道され、国民の不安は増大し、政治がそれに引きずられ、経済の停滞をもたらしました。

そこへ、この国の政権政党がマクロ経済を理解しないためにG7の国々で、コロナ禍で最も酷い経済的被害を被りました。

これは、メディアが、本来の使命を忘れて視聴率の維持向上に走り、一方で能力不足のために事実を観察することができないことによるものです。

私たち庶民は、自分の専門領域以外の事柄について理解しようとすると報道を頼らざるを得ないため、報道のレベルが下がると、国民のレベルも下がってしまいます。

視聴者のレベルが下がると、報道は苦労してファクトチェックなどしなくてもよくなりますので、出鱈目になっていきます。報道が出鱈目になると、それで状況を理解しようとする視聴者の理解もでたらめになるという悪循環が生じます。

危機管理の概念が日本の社会で誤って受け取られてしまったのは、このような事情があります。

ジャーナリストたちが、危機管理という言葉とリスクマネジメントという言葉の概念の違いに気付かずに、それまで耳慣れなかった新しい言葉である「リスクマネジメント」という言葉を使いたがった結果、本来は「危機管理」という言葉を使わなければならないところにも「リスクマネジメント」という言葉が使われ、そのうち、社会もそのそのように受け止めてしまうようになっていきました。

つまり、マスコミが危機管理の概念を理解しなかったことから、この国の危機管理概念の混乱が生じたのです。

しかも、その混乱は政治家にとっては都合のよいものでした。

そこで自民党総裁選に出るという、この国のトップを争う選挙で、堂々と危機管理について出鱈目な所信を述べて恬として恥じない政治家が生まれたのです。

危機管理専門コラムの使命

このコラムは危機管理の専門コラムです。

初心に帰って、危機管理の概念を皆様に正しく理解していただくことの重要性を一層感じています。

世間はリスクマネジメントでは解決できない問題があることに気付き始めていますが、それでは危機管理が正しく理解されているのかと言えば、そうでもありません。

危機管理を正しく理解していただく絶好の好機であることは間違いありませんし、国内情勢、世界情勢のどれをとっても一触即発の危機的状態であり、そこへ南海トラフの地震津波災害や富士山噴火、首都直下地震、千島トラフに起因する北海道・東北を襲う地震などの恐れが刻々と現実化しつつありますので、ここで私たちがしっかりと危機管理をできる態勢を作っておかなければなりません。

想定外という責任逃れをしている場合ではないのです。

しばらく、危機管理の概念についての議論を続けます。

その後、それでは具体的に危機管理とは何をするマネジメントなのかについての議論に入っていきます。