専門コラム「指揮官の決断」
第432回指揮官の覚悟

はじめに
前回のコラムで、政治家には「覚悟」がないので危機管理はできないと言って、参議院議員秘書を怒らせた話を紹介しました。指揮官は私心を捨てなければならないのに、私心だけの政治家に危機管理なんかできるものか、ということでした。
それでは、指揮官が持つべき覚悟とは何かという話をさせていただきます。
ノーブレス・オブリージュ
筆者は、大学院で組織論の基礎を学んだ後、海上自衛隊に入隊しました。最初は、広島県江田島の幹部候補生学校に入り、候補生として鍛えられました。
ここでは、防衛大学校の海上要員から進んできた候補生と、筆者のように一般の大学を出て、幹部候補生採用試験を受けてきた者が一緒に教育を受けます。
陸上自衛隊は防大出身者と一般大出身者は最初から最後まで別々に教育をしますが、海上自衛隊は同じ居室で寝起きして同じ訓練を受けます。
大学で学んだ素養が異なるので、午前中に行われる座学のメニューが、一般大出身者が軍事的内容が多くなるのに対して、防大出身者に対しては語学や一般素養の時間が多く割り当てられているようですが、午後から行われる水泳や陸上戦闘、カッターを漕ぐ訓練などは、分隊という寝食を共にする単位で行われ、防大や一般大の区別はありません。
一般大出身者は、銃を扱うことに慣れていなかったり、体力的に防大出身者のように鍛えられていなかったりするのですが、防大出身者は辛抱強く見本を見せてくれます。
内心では一般大出身者などは不要だと思っている防大出身者もいたはずですが、しかし、彼らは筆者のように一般大学から来た候補生を露骨に差別することなく、同期生として迎えてくれていました。
筆者の頃は、防大出身者100名に対して、一般大出身者が技術要員を含めて40名しかいなかったので、一般大出身者がマイナーだったのですが、最近は一般大出身者100名に対して防大出身者70名という、筆者たちの頃とは逆転した人数構成になっていることもあるらしく、一般大出身者はマイナーではなくなりつつあります。
その幹部候補生学校では徹底したエリート教育が行われます。
二言目には「お前たちは幹部自衛官になるんだ。将来の部隊指揮官になるんだ。」と言われ、「そんなことで、部下がついてくるか!」と言われるのです。
たしかに、任官すると、自分よりも年上で、部隊経験も長く、その分野の技術に関しては知識も豊富な部下を連れて戦場に出なければならないのですから、生半可な上司ではついてきてくれません。
徹底的なノーブレス・オブリージュが要求されるのです。つまり、「高貴なる者が果たすべき義務」の観念を植え付けられるのです。
体力的にも気力においても、責任感においても部下を圧倒するものを持たなければならないということです。
この教育に、戦前の海軍兵学校は4年をかけていました。
現在は、防衛大学校で4年間、そして幹部候補生学校で1年間をかけて学ぶことになります。
筆者たち一般大学出身者は、当初は自衛隊の規律に面喰いながらも、同期の防大出身者たちとの交流を通じて幹部候補生としての考え方を学び、また、4年間を三浦半島の先の小原台という片田舎で過ごした防大出身者は、一般大学出身者から、同年代の若者の考え方などを学ぶようです。
海上自衛隊の幹部候補生学校の教育訓練の厳しさは、陸海空の候補生学校の中で、ダントツだそうです。旧海軍兵学校の跡地に幹部候補生学校を作った海上自衛隊は、幹部候補生に対して、帝国海軍の伝統を叩きこもうとしたのでしょう。旧軍に伝統を継ぐべき対象のなかった航空自衛隊や旧軍を否定することから始まった陸上自衛隊とは、そもそもの成り立ちが違うのです。
旧海軍兵学校の伝統行事で、行われていないのは棒倒しだけであり、時代柄、鉄拳制裁は禁止されており、筆者たちは指導で殴られたことはありませんが、その代わり腕立て伏せやグランドを何周も走らされたりしました。
指揮官の覚悟
そうやって厳しい訓練で1年間を過ごし、間もなく卒業と言う頃、筆者たちを直接指導してきた指導官が、ある夜、筆者たちを呼んで、庁舎の学校長室の前に整列させました。
学校長の部屋の入口の上には、山本五十六提督の自筆である「常在戦場」という書が掲げられていました。常に戦場にある気持ちで過ごせという意味です。
その書の前に集合した筆者たちに向かって彼は次のように言い放ちました。
「お前たちは間もなく幹部自衛官に任官して部隊に出る。したがって、今のうちに俺が海上自衛隊の伝統を教えておいてやる。お前たちが着任する部隊には、お前たちが生まれる前から海上自衛隊で勤務している部下もいるはずだ。そんな自分の父親と変わらない年の部下でも、部下として可愛く思えるようになる。ならなければ部下を持つ資格がないと思え。そして、そのような部下を抱えて揉まれながら幹部自衛官としての修練を積み重ねていき、いずれ指揮官となる。海上自衛隊では指揮官は非常に大切にされる。しかし忘れるな。指揮官とは、誰よりも耐え、誰よりも忍び、誰よりも努力し、誰よりも心を砕き、誰よりも求めず、誰よりも部下を想うものだ。この覚悟の無い者は任官せずに今のうちに海上自衛隊を去れ。これが海上自衛隊が帝国海軍から引き継いだ伝統だ。」というものでした。
間もなく卒業して、この窮屈な学校から出ることができると浮かれていた筆者たちは、冷水を浴びせられたようになりました。
この指揮官の覚悟は、そのまま筆者にまとわりついてきました。常に、本当に自分は、誰よりも耐えているのか、誰よりも忍んでいるのか、誰よりも努力しているのか、誰よりも心を砕いているのか、誰よりも求めていないのか、と自分に問い続けることになりました。
さすがに、「誰よりも部下を思う。」というのは無理だと考えていました。親や配偶者よりもその部下を深く思うなんてことができるとは思っていませんでした。
しかし、他の覚悟は、やる気になればできる覚悟です。
そして30年後、海上自衛隊を退官するにあたり、私はこの指導官の言葉を改めて思い直し、自分はそのような指揮官だっただろうかと自問自答を繰り返しました。悔いはないはず、しかし、本当に常に自らを顧みず指揮官として行動したと言えるだろうか、自分は海上自衛隊の伝統を守っただろうか、そしてそれを後に続く者たちにしっかりと伝えられただろうかと。
私心のある者には指揮官の覚悟はもてない
この覚悟を実践するためには、私心を捨てなければなりません。私心のある者にこの覚悟を要求することはできません。
筆者が、政治家はまともな指揮官にはなれないと断言するのは、これが根拠です。
私心のない政治家など見たことも聞いたこともありません。
逆に私心しかない政治家がうようよしているのが現状でしょう。
筆者が「指揮官の覚悟」と言うとき、その言外に秘めた意味は、このように私心なく、誰よりも耐え、努力し、心を砕き、誰よりも求めない覚悟を持って任務を遂行していく覚悟のことです。
今後、このコラムで筆者が「指揮官の覚悟」という言葉を使ったときには、そのように理解していただきたく存じます。
生易しい覚悟ではありません。
筆者自身、その覚悟がある、と自信をもって断言することができずに自衛隊生活を終えました。
しかし、国を思う心、指揮官としての覚悟において、政治家の誰かに劣っていたとはまったく思っていません。