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専門コラム「指揮官の決断」

第54回 

No.054 南海トラフ

カテゴリ:危機管理

私は、当ウェブの他に日本コンサルティング推進機構(JCPO)のウェブサイトにもコラムを掲載しています。基本的には当ウェブで掲載したコラムを転載しているのですが、必要に応じてJCPOの方に先に掲載して、当コラムの方が後になることもあります。
 
 JCPOのウェブサイトに当コラムでも掲載した「左警戒、右見張り」を掲載したのは、当コラムよりも早く9月25日でした。
 そのコラムで、私は北朝鮮の核・ミサイルや総選挙の行方にのみ心を奪われるのではなく、南海トラフや富士山などにもしっかりと警戒の目を向けなければならないと指摘しています。
 
 その2日後、政府は南海トラフに関連する地震についての情報の出し方を見直すと発表しました。この発表は、この南海トラフに起因する地震について関心を持って見てこられた方以外には何を言っているのかよく分かりにくい発表です。
 
 発表後、いろいろな人に政府の発表の意味が理解できたかどうかを尋ねましたが、どうもピンと来ていない方が多いようでした。
 
 しかし、この南海トラフに起因する地震は、最悪の場合、先の東日本大震災とは一けた違う犠牲を伴うものと予測されており、私たちはしっかりと見据えておかなければなりません。今回は、政府の対応が何故変わったのかをご説明します。

 1978年、大規模地震対策特別措置法が制定され、東海地震に際しては、政府が警戒宣言を出し、あらかじめ定められた計画に基づいて住民を事前に避難させ、鉄道を停止させるなどの措置が行われることになりました。
 
 この警戒宣言には、東海地震にはある程度の予兆があり、注意深く観測していれば、何らかの予知ができるという前提があります。

 この特別措置法に基づき、国の各機関は東海地震が起きた場合の対策を準備し、警察・消防・自衛隊などの救助機関もこれに基づいてこの40年間訓練を行ってきました。

 なぜ東海地震についてこのような法的措置が取られたのかというと、南海トラフを巡る過去の地震の評価が関わっています。

 南海トラフとは、プレートテクトニクスと呼ばれる地球物理学上の学説により説明されるフィリピン海プレートがユーラシアプレートの下に沈み込んでいる沈み込み帯の一つで、駿河湾の富士川河口付近から御前崎沖を通って九州沖に達しており、西端は琉球海溝に繋がっています。東端は相模トラフへ繋がっているとされていますが、どこに境界があるのかは定まっていません。

 この南海トラフはGPSの観測により、陸側のプレートが年間6cm程度の速度で移動していることが分かっています。プレート同士が衝突し、一方が他方の下に潜り込むということが長期間続くと、その境目に大きな力がかかり、それが溜まっていきます。

 ある程度その圧力が強力になると、歪を抑えることができなくなり、ある時その限界を超えて一挙に歪を開放する動きを生じます。つまり、境目がはじけてしまうのです。
 これがプレートが大地震を引き起こすメカニズムであり、東日本大震災では三陸沖で500kmにわたってこのプレートがはじけるようにしてずれたために、あの地震が起きました。プレートが圧力に耐えきれず、跳ね上がるため、それが海底で起こるとその上の海水が真上に押し上げられ、海面に出ると横方向への動きとなって津波となってしまいました。

 地震の原因はこの海溝型と呼ばれるプレートのズレによるものと、活断層によるものがあり、阪神淡路大震災は活断層型の地震でした。今回テーマにしている南海トラフが引き起こす大地震は海溝型の地震です。

 なぜ、大規模地震対策特別措置法が東海地震を対象としたのかというと、南海トラフに起因する大震災は、歴史的に伊豆半島東から日向灘に及ぶものが、東海、東南海、南海と東から順番に、あるいは同時に起こってきており、その間隔が90年から150年であることが分かっているのですが、1707年の宝永地震、1854年の安政東海地震、南海地震と起きた後、90年後の1944年に昭和東南海地震、1946年に昭和南海地震が起きた際、東海地震が発生しなかったことによります。

 つまり、南海トラフのうち、南海及び東南海の地震は起きたものの、東海地震を引き起こすプレートがずれ残っているおそれがあるのです。
 そこで、大規模地震対策特別措置法が制定され、来るべき地震への備えが始まったのですが、その後、40年間に渡り観測網が整備され、研究を進めてきた結果、予兆を掴んで適当な時機に警戒宣言を出すことは現段階では不可能であるという現実を認めざるを得なくなったのです。
 また、東海地震以外の東南海、南海地震が生起する恐れも高まってきました。そこで、今回の政府の方針見直しにつながったのです。

 この見直しにより、南海トラフを巡る地震への対応はどうなるのでしょうか。
 11月からは、これまでのように東海地震の予兆を察知した場合に「警戒宣言」が出されるのではなく、南海トラフ全域を対象とした「警戒情報」が発信されることになります。
 この情報は気象庁に新設される「南海トラフ沿いの地震に関する評価検討会」の助言に基づいて出されることになります。
 
 「警戒情報」は2種類に分類されています。
 
 一つは「定例情報」であり、検討会が月に1度、定例会合を開催し、異常がない場合に出されます。
 
 もう一つは「臨時情報」であり、南海トラフ沿いのどこかでM7以上の地震が発生して、それが大規模な地震に関連するかどうかを調査を開始した場合、調査の結果、大地震の可能性が高まった場合、あるいは大地震の可能性が低くなった場合に出されることになります。

 つまり、11月以降、南海トラフに関して、毎月定期的に情報が気象庁から発表されます。これは異常がないという発表なのであまり心配することはありません。
 どのような形で発表が行われるのかはまだ定かではありませんが、専門家が見れば何らかの長期的な予兆も憶測し得るデータなども合わせて発表されるはずです。

 この定期的な発表の場合、私たちはあまり気にかける必要はないのですが、注意すべきは「臨時情報」です。
 これは南海トラフのどこかでM7以上の地震が発生し、それが大きな地震に繋がるおそれがあると認定された場合に発表されるのですが、南海トラフに起因する地震の前兆現象を捉えることは極めて難しいので、このM7の地震が引き金となって、そのまま南海トラフ全体のズレが始まってしまう場合、臨時情報が発表される頃には大地震が生起してしまっているかもしれないのです。

 南海トラフに起因する地震は、どこかでプレートのズレの限界を超えてはじけた場合、他の地域にそのズレが伝搬して一挙に全体に広がる恐れがあります。

 東海・東南海・南海の地震が順番に起きていた頃はそれぞれに溜まっているエネルギーも順番に解放されていったのですが、現在は全域に溜まっています。最悪の場合、東海・東南海・東南海の三つの地震が同時に生起する予測が立てられているのにはそのような理由があります。

 つまり、大規模地震対策特別措置法制定時と事情が異なり、当時は東海・東南海・南海の地震のうち東海地震が残ってしまっているため、そこに大きなエネルギーが溜まってしまっているおそれがあると考えられていたのが、それから40年経ち、東海地震以外のおそれも高くなってしまっているということです。

 それにもかかわらず、南海トラフのどこかでM7以上の地震が発生し、それが大きな地震に繋がるおそれがあると認定された場合になって臨時情報が出るということはどういうことなのでしょうか。なぜ、そのM7以上の地震に対する予知情報が出ないのでしょうか。
 
 つまり、政府の発表は、これまでと異なり、事前に東海地震を予測することはできないと宣言したのと同じなのです。

 今回の東海地震に対する政府の発表の仕方の変更の陰には、これまで40年間、様々な観測体制を整備し、予算を投じ、研究を進めてきたにもかかわらず、有効な事前の情報を出すことが不可能だということが分かったという事実があります。
 その事実を発表する仕方が、地震情報の出し方の変更という発表なのです。

 今回の政府の発表については、何らかの意図が隠されているかもしれないと私は疑っています。

 なぜでしょうか?

 発表の時期が納得できないのです。

 世は総選挙の話題で持ちきりです。この時期に地震の発表の仕方について注目する人はあまりいないでしょう。
 私も役人出身ですので、彼らの手の内はある程度推測することができます。

 二つの可能性が考えられます。

 一つは、気象庁という役所には研究者肌の役人が多く、世情に頓着することなく、発表のタイミングなど斟酌せずに、決まったのでそう発表してしまったのかもしれないということです。

 もう一つは、この時期に発表すれば、そう目立たないという配慮がなされたかもしれないということです。

 この40年間、何をやってきたのか、予算や態勢整備は十分だったのかということが本来であれば議論されなければならないはずなのですが、この時期に発表すれば、そう大きな議論にならないという思惑が働いているかもしれないのです。

 これらの地震については、回を改めてお伝えするつもりでおりますが、東海地震について、政府の発信する情報の形が変わった背景や、その内容についてご理解を頂きたいと存じます。