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専門コラム「指揮官の決断」 

No.055 Jアラート:私たちの責務

 先に北朝鮮がミサイルの発射を行った際、Jアラートが発令され、日本中が騒然となりました。
 戦後70年を経て、第2次大戦の記憶をお持ちの方々も数少なくなりつつありますが、先の大戦中、特に昭和19年以降、我が国では頻繁に空襲警報が発令されていました。
 戦後、幸いなことに平和の恩恵に浴してきた我が国には、空襲警報というシステムが無く、強いて言えば、市町村が運営している防災無線程度が唯一の警報システムであるという期間が長く続きました。
 
 ご高齢の方々は、平和な時機が長く続いた日本が、まさかまた空襲警報が鳴る国になるなどと想像もしておられなかったことと思います。

 ところが諸外国では事情が異なります。かつて海上自衛官だった私は、主として西側と言われた国々の海軍士官と話をすることがよくありましたが、日本には防空警報というシステムが無いというと、信じられないという顔をされました。
 特に冷戦構造が崩壊する以前、北朝鮮はまったく脅威ではありませんでしたが、ソ連と中国がすぐ近くにあり、それらの国々を仮想敵国として防衛力整備を図っていながら、国土には防空警報が無いという有様を、まともな軍人たちは理解できないようでした。

 しかし、国際情勢とはかかわりなく我が国を襲う自然災害の危険は増大する一方であり、空襲に限らず、国民全体に注意喚起し、かつ緊急時には避難を促すシステムの必要性が痛感されていました。
 そこで導入されたのがJアラートです。

 Jアラートは、地震や噴火などの大規模な自然災害、武力攻撃事態など防衛上の事態などが発生した場合、国民保護に必要な情報を瞬時に地方公共団体を通じて流すシステムであり、スーパーバードという通信衛星を使用しています。

 このアラートシステムは2004年に高知県で実証実験が始まり、2011年には東日本大震災でまだ復興していなかった一部の地域を除き、全国に整備されました。

 実際の運用に関しては、いまだに誤報が流されたり、全く情報が流れなかったりと不具合が続いていますが、実用の段階となっています。

 先にJアラートが実際に発動になった際、街の多くの方々から、「Jアラートが発令されても、どうすればいいのかよくわからない。」という声が上がりました。
 国会議員ですら「どうすればいいのかわからない。政府はもっと説明すべきだ。」と批判している議員がいました。
 
 しかし、この疑問や批判は当を得ていません。
 Jアラートについては、国民保護法制定時にうんざりするほど国会で議論され、また様々な媒体により説明されています。現在も、政府のポータルサイトにはいくつも掲示されていますし、市役所などにも説明のパンフレットが準備されています。
 しかし、私たちは、それらの危険が切羽詰まってこない限り、自分のものと考えないので、全く関心を持たないのです。
 
 これには心理学的な要因が絡んでいます。
 私たちには「正常性バイアス」と呼ばれる心理的傾向があり、自分にとって都合の悪い情報を無視したり、過小評価してしまうのです。
 
 つまり、北朝鮮から核ミサイルが自分のところに飛んで来るなどということは考えたくもないので、普段は目をそらしているのです。小説や映画ではあるまいし、そんなことは現実には起こらないだろうと考えているのです。
 
 したがって、政府や自治体がどれだけ説明しても私たちは聞く耳を持っていないので、説明された記憶が無いのです。
 しかし、実際にJアラートが鳴ってみると、どうすればいいのか分からない、分からないのは政府の説明不足だ、と考えてしまいます。

 一方で、マスコミも政府の説明不足を批判していますが、彼らの責任も重大です。
 国民保護に関する議論が行われ、Jアラートによる国民保護に関する情報の送信が始まったのは2007年であり、政府は様々な手段で発表し、資料を作ったのですが、マスコミは驚くほど関心を示しませんでした。
 
 この年、団塊の世代の大量定年退職があり、また社会保険庁の年金問題で大騒ぎが続いており、1月にトリインフルエンザが発生し、参議院で自民党が大敗し、民主党が大躍進して参議院第一党となるなど大きな政変があり、マスコミの関心はそちらに向いていて、Jアラートについては議論がほとんどなされませんでした。
 
 自分たちがろくに報道しなかったのにもかかわらず、説明不足を今になって非難するのは責任逃れです。説明が不足なら、その当時、そのような議論を展開すべきなのです。
 マスコミが自分たちがほとんど関心を示さなかったことを棚に上げて政府の説明不足を云々すると、私たち国民もそうなのだと思ってしまいます。

 それでは、私たち国民のほうはどうなのでしょうか。
 私たち日本人は、自分たちの安全は「お上がなんとかしてくれる。」と思っています。 
 かつては、それが「お上の御恩」だったのですが、その「お上が何とかしてくれる」という意識が変わらないうちに「基本的人権の尊重」という観念が定着したので、「お上が何とかする」のが政府の当然の義務のように思っています。
 
 しかし、私たちはこの国の主権者です。
 自分たちの安全を守るために、国家に対して必要な措置をさせなければなりません。
 どのような措置が必要なのかを国家に示し、それを実施に移させるのが主権者たる私たちの責任です。
 
 私たちは、自分たちの安全をどう守っていくのかを自分でしっかりと考え、政府の取っている対策が十分なのかどうかを監視し、十分でなければ政府を指導して十分な態勢を整えさせなければならないのです。

 国民保護に関する法律は、主権者たる私たちの代表が国会で成立させたものです。
 私たちがその法律に関心を示さず、何が書いてあるのかを理解せず、散々説明されているのに聞く耳を持たなかったのに、いざという時に自分が分からないのは国の説明不足と訴えるのは、見当違いも甚だしいと言わざるを得ません。

 国民主権というのは、選挙用のキャッチフレーズではありません。
 日本国憲法はその基本理念に国民主権という考え方を据え、私たち国民に大きな責任を負えと命じているのです。
 それは大日本帝国憲法のように、お上が何とかしてやるからおとなしく従えというのではなく、国民が主権者としてこの国を運営し、将来の世代に引き継いでいくことの責任です。
 
 主権者であるということは、それだけ重いことなのです。それが嫌なら専制君主に主権を返し、国家の命令に服すことに甘んじるべきです。

 Jアラートが鳴って、どうすればいいのか分からず、ただ右往左往して政府の説明不足などと責任を転嫁するのは主権者の態度ではありませんし、国会議員でありながら、「Jアラートが鳴ったら物陰に隠れて下さいとか、これ何なんだろうと思っているわけですよ。」などと批判するのは、勘違いも甚だしいのです。

 繰り返しますが、私たち国民は主権者です。政府を指導して、この国をより良い国に育て、将来の世代にバトンタッチする責任を負っています。
 政府が何かしてくれるのを口を開けて、ヒバリのヒナのように待っているというのは、主権者の態度ではありません。

 かつてジョン・F・ケネディは、大統領就任の演説において、「国家が国民に何をしてくれるかではなく、国民が国家のために何ができるのかを問え。」と呼びかけました。
 
 これを誤解している方が非常に多いのですが、彼が訴えたのは、戦争で国家のために命を投げ出せ、というようなことではありません。義務を果たさなければ権利を与えないという発想ではないのです。
 彼の就任演説の全文を読むと分かりますが、権利と自由は国民に与えられており、それを守るために、祖国が抱える問題と一緒に戦って欲しいと訴えたのです。それが証拠に、彼のもう一つの有名な言葉は、「国家は市民の従僕であって、主人ではない。」というものでした。

 私たちも、日本国憲法に規定される主権者として、私たちの社会が必要なものを獲得し、問題を解決することを自らの責任において行ない、政府を指導しなければなりません。

 まもなく衆議院の総選挙の投票日となります。
 私たちが主権者であるという意味をもう一度しっかりと考えてみるいい機会です。