TEL:03-6869-4425

東京都港区虎ノ門1-1-21 新虎ノ門実業会館5F

専門コラム「指揮官の決断」

第77回 

No.077 情報はそこにあった

カテゴリ:コラム

たった9ページの論文が示した世界

 “A Peer-to-Peer Electronic Cash System” と聞いて、「オッ」と思う方はどれくらいいらっしゃるでしょうか。
 これはある論文のタイトルであり、今世紀、世界に最も大きな影響を与えた研究かも知れません。
 執筆者は Satoshi Nakamoto という方ですが、どこの誰なのか誰も知りません。日本人の男性のような名前ですが、それも真偽の程は分かりません。
 世界中で行われる取引の決済手段はおろか契約そのもの、あるいは情報の世界に革命を引き起こしつつあるビットコインをはじめとする暗号通貨の基本的な考え方を世に問うた最初の論文と言われます。

 私の手元にあるこの論文を見ると、レファレンスを入れても9ページしかない極めて短い論文です。
 
 実は私はこの論文をかなり前に読んでいます。
 当時私はまだ現役の海上自衛官で、必要があって情報理論の基礎を一生懸命勉強していました。
 
 覚えておられる方も多いかと思いますが、今から10年ほど前、米国のリンデンラボという会社が開発した「SecondLife」という仮想空間を舞台にしたオンラインゲームが流行したことがありました。
 
 この「SecondLife」はゲームに留まらず、リアルマネートレーディングも行われ、私はこれに興味を持ち、当時、私たちが抱えていた問題を解く一つの鍵になるかもしれないと考え、仮想空間とは何か、そこで取り交わされる情報とは何なのかを探っていたのです。
 その勉強の延長上で何となくネットで拾ったのが上記の論文です。

 その頃、私の関心は仮想空間で取り交わされる情報の信頼性をどう担保するのかというところにあり、その研究の一環としてこの論文を読んでいたようですが、当時の私は「面白いことを考える人がいるもんだな。」という印象しかなく、後の暗号通貨ブームを創り出す起爆剤になるなどと言うことは全く思いもよらないことでした。
 
 もしその時にこの論文の主張することの本当の意味をしっかりと理解していれば、今頃は数十億円、数百億円の資産を抱えて、税金対策に悩んでいたはずです。(それで幸福な人生になっていたかどうかは別問題ですが。)

情報は至る所にあるのだが・・・

 私たちの周りにはこのような情報が溢れています。
 それは電波が私たちのまわりに存在するのに似ています。
 様々な周波数の電波が私たちの周りに飛び交っているのですが、私たちが波長を合わせないとその電波を情報として捉えることはできません。
 
 それらの情報は、文字や音だけにとどまらず、人の五感に訴えるあらゆる形態をしており、さらには第六感に訴えてくる情報すらあります。
 
 私たちはそれらの情報に敏感でなければなりません。
 情報を求め、どのように必要な情報を手に入れるかということも重要ですが、私たちの周りに溢れかえっている情報の中から、必要なもの、あるいは情報として受け取っておかなければクリティカルな状況に陥りかねないものをしっかりと拾い上げることが必要です。
 後から考えると、なぜそんな明白なことに誰も気が付かなかったのかと思われるようなことも多々あります。

 大きな事故の調査をしてみると、その事故に至る経過で様々な危険シグナルが出ていることは珍しくありません。
 不幸な自殺をしてしまう人も、いろいろなシグナルを出していることがあります。
 ある小学校の先生は、児童の描いた絵で、その子が相当に追い詰められていることに気が付き、タッチの差で自殺を食い止めています。その教諭は自分の教え子が発するシグナルをしっかりと受け止めるアンテナを持っていたのです。
 
 組織のトップは、自分の率いる組織から出ているシグナルをしっかりと受け止める必要があります。
 傍から見ていると、あの会社はもうだめだなと思うのに、経営者が気が付いていないということは珍しくありません。

 それらのシグナルを情報として取り込むためには、受け皿となる感性を磨かなければなりません。電波をしっかりと受けるためには、いいアンテナが必要なのです。

 私がサトシ・ナカモトの論文を読んでもその意味について理解しなかったのは、私の英語力と数学力の弱さからです。
 当時私が読んだ論文のコピーの書き込みを見ると、どうも「ハッシュ」という概念を理解していなかったようです。
 私は情報理論や数学が専門ではないので分からなかったのも仕方が無いと言えば仕方が無いのですが、もう少し注意深く読んでいれば、今頃どこかの島を買って悠々自適に暮らしていたかもしれません。
 しかし、組織のトップは、自分の組織から発せられるシグナルの意味を正確に理解しなければなりません。社長は自分の会社については誰よりも知っていなければならないのです。
 
 始末の悪いことに、重要な情報やシグナルは、一目ではその深遠な意味を理解できない極めて単純な形をしていることが間々あります。
 理解するためには、深い洞察力が必要な場合が多いのです。

 サトシ・ナカモトの論文はわずか9ページです。
 
 20世紀最大の論文の結論は次の簡単な式で結ばれています。

 E = mc2

 言わずと知れたアインシュタインの特殊相対性理論の帰結です。
 質量とエネルギーの等価性とその定量的関係を表すこの簡潔な公式の意味するところは、質量の喪失はエネルギーの発生を意味し、エネルギーの消失は質量の発生を意味するので、エネルギーを転換すれば無から質量が生まれるというとんでもないものですが、この公式からその意味するところを見抜くことは私などには到底できることではありません。

溢れる情報からクリティカルな情報をつかみ取るには

 組織が発するシグナルや情報も、これらの論文と同様に極めてシンプルであることがほとんどです。
 それらのシグナルを丹念に受け止めていくと、とてつもない情報であることに気が付くのですが、情報として受け止める感性のない経営者にはそれができません。

 どうすればそのシグナルを受け止めることができるようになるのでしょうか。
 
 関心を持つことです。

 組織は人が集まってできています。
 その組織を構成する個々のメンバーに関心を持つことが必要です。
 
 「社員」という括りではなく、個別具体的な実存的存在としての一人一人に関心を持たない経営者に、彼らが発するシグナルを受け止めることはできません。
 
 私はこのコラムでも拙著でも部下の名前を覚えることの重要性を説いていますが、私に言わせれば、社長を1年以上やっていて300人や500人の社員の名前と顔が一致しないような社長には、社員のシグナルを受け取る能力があるとは到底思えません。
 
 これを読んでギクッとされた経営者の方は、よーく反省してください。
 貴方には組織が発する危険信号を受け取ることができません。