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専門コラム「指揮官の決断」

第91回 

No.091 JRの危機管理に学ぶもの

カテゴリ:コラム

 何故JRに厳しいのか

 先にJRに関しての記事を掲載しました。以前にも厳しい記事を載せているので、ある方からJRに対する見方が厳しいけど恨みでもあるのかと尋ねられました。
 
 無いわけではありません。

 全寮制の寮で暮らしていた中学生の頃の話です。当時はJRではなく日本国有鉄道でした。
 両親が遠方にいたため長期の休みでなければ帰省できず、新幹線も新大阪までしか開通していなかったので、私は寝台列車を使って帰省していました。

 今のようにオンラインで予約ができる時代ではなく、乗車の2週間前の発売日に朝から切符売り場に並んで買わなければならず、全寮制の学校にいた私には買うことができませんでしたので、父が買って送ってくれていました。父の職場で、出張者のための切符を手配するために担当者が毎日駅へ行くので、父が頼んでついでに買ってきてもらっていたのです。

 中学2年の夏休みが終わり、寝台列車で学校へ戻る際、父が買ってくれた指定券と乗車券を持ってその列車に乗り込みました。
 途中で車掌が回って来て乗車券を確認していきました。その時、私の乗車券に発券した日の日付が押されていないことにその車掌が気が付いたのです。
 私は父から切符を渡された時に日付が刻印されていないことに気付いていたのですが、事前に買ったために刻印されていないのだと思っていました。駅の改札でも問題なく通ることができました。
 ところが車掌は問い合わせるので預かると言って持って行ってしまいました。
 夜になって寝台がセットされても車掌は戻ってこず、翌朝、朝6時半頃横浜駅で降りなければならないので心配になって車掌室まで行ったのですが誰もいません。
 結局切符を返してもらえないまま下車せざるを得なくなってしまいました。

 本来は横浜駅で乗り換えて学校の最寄り駅まで乗り継ぐのですが、さすがに早く措置した方がいいと思った私はホームにあった事務所に行って事情を話しました。
 ところがそこにいた駅員は、要するに乗車券を持っていないんだなと確認すると、無賃乗車だと言い始めたのです。私はたった今ここを出ていった列車に聞いてもらえば分かると説明したのですが、彼は自分はこの仕事が長いので無賃乗車の奴はすぐに分かるんだと言い、問い合わせてくれないのです。
 そして、無賃乗車の場合は3倍の料金を徴収することになっていると言って算盤で計算を始めました。広島から横浜までの旅客運賃の3倍を請求するのです。
 今の私にこのような態度をとる駅員がいたら、彼は鉄道員になったことを後悔する目にあわされるはずですが、当時の私は中学2年生です。わずかな小遣いしか持っていない全寮制の生徒の財布から泣く泣く信じられないほど高額な運賃を払う羽目になりました。
 よく警察の取り調べに際してやってもいない罪を認めてしまって冤罪事件となることがあるようですが、この心理状態が分からないでもありません。
 この事件が私のトラウマになっていることは間違いありません。

イメージはほんのちょっとのことで作られ、あるいは壊されていく

 しかし、このような思いを当時の国鉄に抱いたのは多分私だけではないでしょう。私は多分その他大勢の一人にすぎなかったはずです。とにかく民営化されるまでの国鉄の職員の態度は目に余るものが散見されました。ストライキなどは労働者の権利として認められていたのでしょうが、個別の職員の旅客に対する態度などは今のスタンダードから見ると信じられないようなものもあり、新幹線だけがまともな接客業だったように覚えています。

 国鉄は民営化され、信じられないほどのサービスが提供されるようになりました。昔の国鉄は何だったんだろうと思うほどJRは良くなりました。
 しかし、一度刷り込まれてしまった記憶が消えることはありません。私のJRを見る眼が他より厳しくなってしまうのは公平を欠くと自分でも戒めてはいるのですが、やはり何かあると、「あのJRね。」と色眼鏡で見てしまっているようです。

 しかし一方、このことは組織にとって重要な教訓を導き出しているようにも思えます。

 これを危機管理の面から考えてみます。

 一度傷ついた組織のイメージ、ブランドを回復させるのは並大抵ではないということです。
 また、そのイメージ、ブランドを維持することも恐ろしく大変だということです。

 それはほんのちょっとしたことで崩れてしまうのです。

 昭和44年の夏の終わりのある朝、横浜駅にいた一人の国鉄職員のお蔭で、それから半世紀近く経ち、民営化されて別組織に生まれ変わったにもかかわらず、JRをいまだにシビアな評価をする者がいるのです。多分、私だけではありません。私のような嫌な思い出を持っている方は大勢いるでしょう。
 一方、多くの人々に感動を与えるサービスを続けているリッツ·カールトンホテルやディズニーランドがそのブランドの維持にかける努力は壮絶なものであろうと思われます。
 たった一人のちょっとした言葉遣いでその組織の印象が正反対に変わってしまうのです。
 ディズニーランドで清掃に当たっているスタッフやリッツカールトンホテルのベルボーイなどとの何気ない一言の会話などで組織が評価されてしまうということです。

危機管理の観点からみると・・

 私はクライシスマネジメントの重要な柱としてプロトコールを掲げていますが、これには二つの意味があります。

 いかなる場合にもブランドを維持し続けるには、あらゆる気配りが必要であり、そういう気配りができるということが危機を芽のうちに刈り取ってしまうことに繋がるというのが一つ。

 もう一つは、そのような組織はそもそもへまをしないということです。あの朝横浜駅にいたような駅員はそのような組織では淘汰されてしまうはずなのです。

 組織を牽引している経営者の皆様は、ご自分の組織がそのような観点から見て完璧であるかどうかを常に確認していかなければなりません。

 繰り返しますが、プロトコールは完璧でなければなりません。蟻の一穴という言葉がありますが、どのような頑丈な防波堤も小さな穴から崩れていきます。

 どのような伝統もブランドも一瞬にして崩れ去ってしまうのです。どのように長い期間をかけて築き上げてきたブランドでも崩れ去るのに時間を要しません。しかし、それを再建するには血みどろの努力とうんざりするような時間が必要なのです。

 しかし、そのブランドを築いていくことのスタートは本当に小さなことの気付きの積み重ねであり、特殊な、選ばれた組織にしかできないようなものではありません。

 弊社のコラムではそれらのヒントになるTipsがあちらこちらに書かれていますし、これらかもお伝えしていきますが、日常生活の小さな気付きを積み重ねていくと、その組織のブランド力は対数カーブを描いて強力なものになっていきます。

 要はその気付きがあるかないかの差なのです。