専門コラム「指揮官の決断」
第4回危機管理に臨む心構え
危機管理担当者の意識
海上自衛隊を退官した後、専門技術商社に再就職し、営業部長として仕事をしていたある日、親会社の企画部門へ危機管理のための備品や通信システムの説明のために呼ばれたことがあります。
この親会社は横浜の南部に本社があり、神奈川県や長野県に工場を持ち、関連会社は全国に展開していました。
危機管理部門が、子会社に危機管理の専門家がいるという話を聞きつけ、その当時整備中であった危機管理態勢の参考にしようという趣旨だそうです。
プレゼンテーションを準備して出かけると、先方では、企画本部の幹部とリスクマネジメント部の部長をはじめとする親会社社員が待ち受けていました。
当時私たちの営業部が力を入れて扱っていたのは蓄電池でした。
災害発生時に照明や情報収集器材を動かすための最小限の電力を確保できるし、さらには太陽光発電パネルと組み合わせて電源喪失時に通信を維持する電力を確保し、通信衛星を使用した指揮システムを構築して大規模災害時の情報収集や指揮を行おうとするものでした。
親会社は総勢2万数千名の社員を擁するグループ企業の総司令部であり、当然備えているべき機能だと考えていました。
通信システムとしては、タイのNTTにあたる会社が運用している通信衛星が非常に安価に契約でき、年に数回の防災訓練などでも通信できるサービスがあることを確かめておりました。
本社が横浜南部の埋め立てられた工業地帯に所在しているため、首都圏直下型地震が東京湾内を震源とした場合、津波の被害を受ける恐れが大きく、さらには液状化の被害は免れないであろうことを考慮し、ヘリコプターを運用する会社と契約をして、神奈川県内西部にある工場、もしくは長野県にある工場に本社機能を移す手段などについても検討をしておきました。
当日、これらについて一応のプレゼンテーションを行い、参加した幹部クラス社員の反応を待ちました。
もともとこのプレゼンテーションは、親会社の専務が、子会社に危機管理が専門という営業部長がいて関連商材を扱っているそうなので話を聞けと企画本部の危機管理担当幹部に指示したことから始まっているので、彼らも興味津々で喜んで聞いているというわけではなく、むしろ、「元自衛官か何か知らないけど、子会社の営業部長ごときに我々が学ぶものなどあるはずがない。」というオーラで一杯のプレゼンテーションでした。
まず口火を切ったのは企画本部の担当幹部であり、「結局さぁ、蓄電池とかなんとか言うけど、いざという時に役に立つのは灯油のストーブなんだよね。暖かいだけじゃなくて、灯りも取れるし、煮炊きもできる。灯油は安いから買っておいてもそんなに負担にならないしね。蓄電池は充電できなかったらダメでしょ?」「だいたい、アメリカやドイツ、フランスだって通信衛星は運用しているだろうに、なんでタイなんかの衛星を使うんだ?」「ヘリコプターを使ったエバキュエーションなどは高いし大袈裟。うちはみなとみらいのランドマークタワーに営業部を置いているから、そこに移る。」ということでした。
危機管理の最前線を体験したことの無い担当者が机上でモノを考えるとこうなることは多いのです。
皮膚感覚で現場を捉えることができないので、真夏に震災が発生した場合に灯油のストーブを入れたらどうなるのか、また、ストーブでどうやって電力を必要とする通信を確保するのかを考えていません。
また、通信について全く何も知らないため、国内の支店や関連会社との通信を確保しようとするのにアメリカやヨーロッパの上空にある衛星がどう使えるのかも理解しておらず、また、タイの衛星がどこで作られたものなのかも理解していません。
さらに、本社が津波や液状化で機能を喪失するときに、より東京に近い埋め立て地であるみなとみらい地区がどうなっているのか想像することすらできないのです。
これは私が営業部長になってすぐのことでしたので、親会社の危機管理能力の低さに唖然としたのですが、それがその会社に特異的なものなのだろうと思っていました。
しかし、その後、営業部長としていろいろな会社とお付き合いをするうちに、私が考えている危機管理と民間企業一般の担当者の考える危機管理に大きな開きがあることに気が付きました。
危機管理の最前線を経験したことのない担当者が、一人でいくら机の上で考えてもこのような議論にしかならないのです。
危機管理担当者はどのように考えるべきなのだろうか
危機管理の現場を経験したことのない担当者が、自分の認識が机上のものにとどまっていて、現実を説明できていないことに気が付かないのは仕方ありません。
気が付くようにするためには専門家のアドバイスが必要です。
一度気が付けば、それでは危機管理上の事態においてはどのようなことが起きるのかということについてより現実的に考え、研究し、わからないところを突き詰めようとする態度に変わっていきます。
当イージスクライシスマネジメントでは、この気付きを与えるのが我々コンサルタントの役目だと考えています。
気付きを与えられた担当者はどう考えればいいのでしょうか。
現場を知らないと危機管理担当者は失格なのでしょうか。
イージスクライシスマネジメントシステムには、「指揮所演習」という手法があります。
これは指揮官と幕僚に頭の体操をさせるための手法ですが、危機管理上の事態のシミュレーションを行うためにも使うことができます。
例えば、先の例で、本社が津波や液状化でその機能を喪失したという想定が出された場合、その対応措置を「指揮所演習」の手法でシミュレーションを行うと、みなとみらい地区へ移動するという指示が企画本部から出されたとしても、車両を運行する部門から、液状化した道路で車両を運行することはできないのではという疑問が呈されるはずですし、みなとみらい地区の営業部からは、当方も津波被害を受けているおそれがある旨の報告がくるはずです。
気付きさえ与えられれば、地に足がついた現実的な議論を展開することが可能となるのです。
危機管理の現場で何が起こるのか、本当に具体的に真剣に考えることができれば、何を検討しなければならないかはだんだん分かってきます。
しかし、一般にはネット上の議論や作られた災害対処マニュアルなどに従って検討を行っているだけの企業が多いように思われます。
経営者は、危機管理が担当者の狭い想像力の範囲内でしか考えられていないのではないか、もう一度確認してみる必要があるように思います。
危機管理の専門部門にいても現場の場数を踏んでいるとは限らないのです。
(本稿は2016年10月4日に掲載したものを、2018年3月10日に加筆修正したものです。)