専門コラム「指揮官の決断」
第165回リーダーシップ論は難しい
リーダーシップ論の展開と現状
当コラムは危機管理の専門コラムですが、議論の展開を組織論に軸足をおいて行っていますので、ある程度組織論の概念や用語に関して共通認識を持っていただいた方がいいかと考えております。
先に官僚制の概念について若干ご紹介いたしましたが、今後ともそれら組織論上の概念について少しずつご紹介してまいります。
今回はリーダーシップ論についてちょっとだけ触れてみたいと思います。
リーダーシップ論というカテゴリーは極めて難しい問題をいくつか内包しています。
まず、リーダーシップ論という学問領域がどう展開してきたのかを概観します。
リーダーシップ論は「優れたリーダーとはどのようなリーダーなのか」という議論として始まりました。
ところがこの議論は様々な研究が行われてきたにもかかわらず現在では停滞してしまっています。
一方、最近よく議論されるリーダーシップ論は産業論の観点からの議論であり、これは国やある産業がどのように産業を育て、あるいは影響を与え、そして海外に進出したり、発展途上国の産業を育成していくかという問題を扱い、その過程において経済だけでなく、言語、宗教、文化等の壁をいかに乗り越えていくのかが議論されています。
この産業論の観点からのリーダーシップ論は多くの研究者が様々な切り口で研究を進めており、特にグローバルリーダーシップというようなタイトルで大学においても講義が行われることも珍しくありません。
私の母校上智大学でも、母校のOB会の一つであるソフィア経済人倶楽部が輪講で半期2単位の講義を行っており、様々なバックグランドを持った経験者がいろいろな角度から学生に社会の現実を伝え、グローバル化する社会においてリーダーとなるためにどのように学べばいいのかを教えています。
ここで行われる講義は学者が机上の学問を伝えているのではないため、切れば血の出るような具体性に富んでいます。
ところで、先に述べた伝統的なリーダーシップ論が停滞してしまったのには理由があります。
一つの学問領域としての成果がほとんど上げられていないからです。
リーダーシップ論の始まり
リーダーシップ論の起源は極めて古く、エジプトのパピルスにも「リーダーは高潔な人格を持たねばならない。云々」という記述があるそうです。
日本においても武士としてあり方などを説く文献が多く残されており、一国一城の主の心構えなどが説かれているようですが、これらを含めて「あるべき論」であり、それはある種の倫理教育の色彩が濃厚です。
一方、実証科学としての研究は20世紀初頭から始まったとされています。
当初は優れたリーダーはどのような属性を持っているのかということが研究されていました。背が高い方がいいのか、ひげを生やしているのがいいのか、学歴は?などの議論でした。
数百にわたる項目が研究された結果、驚いたことにそのような属性とリーダーとしての優秀さとは相関関係がないことが分かり、この議論はとん挫します。
その後第2次大戦頃まではリーダーとしての資質が注目されました。
これは単なる属性ではなく、より性格的な面、あるいは教養の範囲、日常の生活態度など内面的なものを重視した研究でした。
リーダーシップ類型論の登場
ただ、この研究もさしたる成果を上げることなく、時代はリーダーの資質ではなくリーダーシップのスタイルに注目し、1960年代には科学的な手法により研究するリーダーシップ論が台頭してきました。
有名なのはレンシス・リッカートによるミシガン大学が行った研究で、リーダーと業績の関係を調査し、階層統制によるリーダーは短期的には業績を上げるが長期的には不満が溜まって業績が悪くなる一方、参加的なリーダーシップスタイルは長期的には業績を向上させるというものでした。
また同じころにオハイオ大学で行われた研究では部下の仕事環境と部下そのものへの配慮という2次元軸でリーダーシップスタイルを捉え、この両方に意を用いるリーダーシップスタイルが高い業績と結びつくという結論を出しています。
日本では三隅二不二教授が集団の目標達成に意を用いるP行動と集団維持に意を用いるM行動の両方を重視するリーダーが望ましいというPM理論を唱えています。
オハイオ研究もPM理論も私に言わせれば結論ありきの研究であり、日本でPM理論がもてはやされて各地で研究会が行われ、その理論を実践するためのセミナーなどがブームになったことは私の目には新興宗教の流行のようにしか映りませんでした。
リーダーシップ論の新展開と終焉
その後、さすがにリーダーシップ論の研究者たちもこれではまずいと考えたのか新たな発想領域に踏み込んでいきました。
フィードラーが「最も苦手とする仕事仲間:LPC Least Preferred Coworker」という尺度を用いて集団の業績を調査した際、調査結果が極めて不安定であり、その理由を探るのに苦慮しました。
紆余曲折を経て、フィードラーは普遍的に優れているリーダーシップスタイルなどは存在せず、その集団のおかれた状況に依存することに気が付きました。
これがリーダーシップの状況即応モデルと言われるものです。
この頃、英国のバーンズとストーカーが変化の小さな産業では官僚制的な機械的組織が多く、変化の大きな産業ではより有機的な組織が多いことに気が付きました。また、同じく英国のウッドワードは生産システムによって組織の構造に大きな特徴の差が見られることを統計的に明らかにしました。
それらの監察結果を米国のローレンスとロッシュが『組織の条件適応理論』(1967年)において「コンティンジェンシー」理論と命名しました。環境適応理論と呼ぶ研究者もいますが、要するに環境条件によって効果を上げる組織構造やシステムは異なるというものです。
この理論は世界中で大流行したのですが、その最中で組織論の勉強を始めた私にとっては「何を当たり前のことを言っているのだろう」という疑問しか湧いてきませんでした。
この理論に関する論文は当時びっくりするほど多数ありましたが、読んでみるとほとんどは聞き取ったアンケート調査の結果をコンピュータで多変量解析しただけのものであり、このブームは当時普及し始めたコンピュータの影響を受けてもてはやされただけのように思われました。つまり、理論らしい理論が展開されているのではなく、単に方法が一見して科学的に見えただけに過ぎなかったのです。
私はこれらの動きをみてリーダーシップ論に愛想をつかして組織論の研究対象を意思決定論に軸足をおくことにしたのですが、やはりこのコンティンジェンシー理論は「組織は環境に従う」という当たり前の公理だけに終わってしまい、ブームは過ぎ去ってしまいました。
リーダーシップ論への違和感
研究室を出た私は海上自衛隊に入隊し、リーダーシップを「論」ではなく「実践」しなければならない立場に追い込まれました。幹部候補生学校では海軍士官に必要な気力・体力と何よりも「覚悟」を修得することを求められるのです。
日々、幹部として部下をいかに率いるのかを考えさせられ、「良き指揮官」とは何かを求め続けることになるのですが、そこで私は理論としてのリーダーシップ論が何故ろくな成果を上げずに停滞してしまったのかがうっすらと分かるような気がしていました。
リーダーシップ論の研究は結局組織の業績を上げるリーダーシップについての議論でしたが海上自衛隊で私たちが追い求めた「良き指揮官」とは「部下が喜んで死地に付いてくる」指揮官でした。
この両者には微妙な差があります。
軍隊では「良き指揮官」が率いる部隊が常に業績を残すとは限らないからです。
軍隊が戦いに負けるのは兵力や装備に差があったり、天候が我に利しなかったりというリーダーシップ以外の要素が極めて大きく、逆に部下から慕われていない指揮官であっても他の条件が揃うと勝利を得ることがあるからです。
一方、平時の軍隊で上司の評価の良い指揮官というのは多分に政治的な才覚のある官僚タイプであり、野戦攻城型の指揮官ではないことも多く、私たちはリーダーシップと業績の相関関係について議論されると違和感を抱いてしまうのです。
私論ですが、リーダーシップ論が行き詰まった原因はリーダーシップと組織の業績の関係を議論の目的とするからではないかと考えています。
組織の業績ではなく、組織の構成員の貢献意欲とリーダーシップの関係を議論すれば成果を上げられるのではないかという仮説を持っています。
もちろん、構成員の貢献意欲が高い組織は業績も高くなる傾向はあるかと考えますが、正の相関関係があるかといえば必ずしもそうではなく、組織のおかれた状況や環境など様々な要素を考えなければなりません。
しかし、業績との関係を検討することになると、意思決定の適否や偶然性なども考慮しなければならずより複雑な検討をしなければならなくなります。
つまり、組織の業績はリーダー以外の要因にも大きく左右されるので業績とリーダーの関係で相関関係を議論しても意味があまりないのではないかと考えています。
より単純にリーダーシップ論の研究目的を組織の構成員の貢献意欲を引き出すリーダーシップについてとすることによりリーダーシップ論は飛躍する可能性があるのではないでしょうか。
実はリーダーシップ論はより複雑な問題を内包しています。順次それらについて触れてまいります。