専門コラム「指揮官の決断」
第296回危機管理とは何をするマネジメントなのか その5
三つ目の要素とは何でしょうね
危機管理とはそもそも何をするマネジメントなのかという議論を始めて5回目となりました。
4回目の最後に、危機管理に必要な要素として二つ上げておきながら、実はもう一つあるけど、それは次回に、という勿体ぶった終わり方をしています。
これは特に期待を持たせようとかの狙いがあるもではなく、前回述べた「意思決定」や「リーダーシップ」と性格が全く異なるので、一挙に論じると混乱が生ずる恐れがあるからです。
今回はその三つ目の要素についてのお話です。
組織と外部との接点を見直しましょうか
「意思決定」や「リーダーシップ」に係る問題とは主として組織の内部における問題です。
得られた情報から情勢を判断して正しく対応する意思決定をする能力や、ともすると浮足立ってしまう組織を踏みとどまらせ、リーダーのもとに一丸となって揺るがぬ態勢を固めるリーダーシップなどは組織内部の問題です。
一方で、今回ご紹介するもう一つの要素は、組織と外部環境とのかかわりに関する問題でもあります。
それは「プロトコール」です。
この言葉は、最近ではコンピュータ同士が情報を交換する際に用いられるフォーマットや規約などを指して使われることが多いのですが、元々は議定書、儀典などの意味を持つ外交用語でした。
外務省や宮内庁などで、外国高官を迎える際の礼式などを司る責任者は「プロトコールオフィサー」と呼ばれることがありますが、その際の「プロトコール」とは、儀式の手順や作法を指しています。
当コラムで「プロトコール」と言う場合、それは組織と外部との関わりにおいて生ずるあらゆるものを指しています。
具体的には、玄関ホールにおける受付の対応、来客時のお茶の出し方などから、テレビ広告の打ち方、不祥事が起きた場合の記者会見の要領、事故発生時の報告や関係者への通報用など、組織内部だけはなく、部外者も関わる様々な場面での対応が問題とされます。
何故それが重要なのか
弊社のマネジメントシステムがこのプロトコールを重視するのには二つの理由があります。
一つは、しっかりとしたプロトコールが行える組織は危機に強いからです。
筆者がよく例に挙げるのは老舗旅館の女将の所作です。
伝統と格式を守り通している老舗旅館の女将は、常日頃何気なく眺めている風景の中にあるべき姿と、そうでない姿の違いを感じ取っています。
活けてある花の生気、掛け軸の傾き、廊下の隅のホコリなど、素人では気の付かないような細部にまで神経を使い、ちょっとでもおかしな点があると、凄まじい執念でそれらをあるべき姿に戻していきます。
この神経の使い方が、ちょっとした異変の始まりを敏感に感じ取らせるのです。
「何かいつもとは異なる感覚」を彼女たちは見逃しません。
これは取りも直さず、異変を感じ取る嗅覚と言えます。
筆者がかつて知人から聞いた事例ですが、和服で草履で歩いていた女将がふと立ち止まり、ある地点で首をかしげると番頭さんを呼んだそうです。
出てきた番頭さんは女将から耳打ちされるとすぐに戻っていき、スコップをもって現れました。その間、知人は女将が異変を感じているらしい地面を歩いたり観察したりしていたのですが、よく分かりませんでした。
戻ってきた番頭さんがちょっと掘ると、そこに筍が頭を出そうとしているところが見えました。多分、数時間後には地面に顔を出すはずでした。
彼女が何故気付いたのかは分かりません。地面が盛り上がっていたわけでもないからです。
ただ、彼女曰く、足の裏のある部分が熱かったのだそうです。
この筍を放置していたら、お客様が踏んで怪我をしたり、躓いて転んだりしていたかもしれません。彼女の直感がそれを防いだのです。
この女将はその後、温泉の温度を管理している湯守がいつもよりも手こずっている様子を見て、地震を予知したそうです。いつもの時間に湯守の老人がいつものところで煙草を吸って一息ついていなかっただけのことなのですが、この女将は見逃さなかったのです。地震の前兆として、温泉の温度が微妙に変化しており、長年勤めている湯守が調整に時間がかかっていることから異変を悟ったようです。
理由はまだありますよ
もう一つの理由は、プロトコールがしっかりしていない組織は信頼を得ることが出来ないからです。
例えばマスコミ対応がその典型例として挙げることが出来ます。
JR西日本の福知山線の事故はまだ皆様の記憶にあるかと存じますが、事故発生当時、JR西日本はろくに調べもせずに線路上に何らかの障害物が置かれた可能性があるなどと述べ、自社は被害者であるかのごとき発表を行いました。結局は利益優先の体質が次々に防露されバッシングに会いました。これは報道対応の最初の一手を誤った典型的な例といえます。
一方、アルジェリアでおきた人質事件で犠牲者を出した「日揮」は、大変に不幸な事件ではありましたが、社長以下の対応の冷静さ、特に広報担当部長の見事な対応が高く評価され、企業としての信頼を高めています。
テロリストに襲われてしまったことに脇の甘さがあったと言われても仕方ないのかもしれませんが、武装したテロ集団に対して民間企業ができることには限度があります。
事後の対応を見る限り、この会社の危機管理能力は群を抜いています。
プロトコールがしっかりとしているということは、その組織の危機管理能力の高さも自然と表してしまうようです。つまり、あるべきものをあるべきようにしっかりと整えておけるということであり、それは取りも直さず危機管理能力の高さを示すのです。
軍隊が武器や制服の手入れ、行進の斉一、キビキビとした挙措動作を非常に大切にする理由もそこにあります。その程度のことに注意を払うことが出来ず、隊員を教育できない軍隊にろくな戦いができないことを彼らは体験的に知っているのです。
専門家は空気を感ずる
この国の首相は「危機管理の要諦は、最悪の事態を想定してそれに備えること。」と勘違いしていますが、危機管理の専門家たちは組織のいろいろな所を見て、その組織の危機管理能力の高さを見極めることが出来ます。
彼らには明文化された基準があるわけではありません。経験を積んだ専門家やリーダーなら、その危機管理能力を感じ取ることが出来るのです。
筆者も海上幕僚監部の監査官として多くの部隊の監査を行った経験を持っています。
監査予定はあらかじめ通知しておくのですが、正門を通過し、当直士官の出迎えを受け、指揮官の公室で指揮官に表敬するまでの間にその部隊の監査受験準備状況は大抵把握することが出来ました。この直感が外れたことはほとんどありません。
極端な場合には、監査をする必要性そのものすら分かることがあります。
監査などせずとも見事にマネジメントが行われていることが分かる部隊と、指揮官が出てくる前に同行したスタッフに再監査の日程調整を指示しなければならない部隊は明確に分かってしまいます。
だからこそ、プロトコールがしっかりできるかどうかということは、恐るべきことなのです。
侮ってはなりません。