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専門コラム「指揮官の決断」

第344回 

何も考えない人々

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一歩踏み込みます

以前、当コラムでは、この国の人々は自分の頭で考えることから逃げており、その結果、この国は三流国に転落しつつあると述べました。たくさんのご批判を頂きましたが、今回はその議論をもう一歩進めます。

ただし、このコラムは社会学の専門コラムではありませんので、理論的にこの社会の堕落を説明するつもりはありません。あくまでも危機管理の専門コラムという立場を意識しながらの議論となります。

どこから始めようかと悩むのですが、危機管理のコラムらしく、安全保障関連予算の増額問題を例に取り上げます。

安全保障関連予算

ロシアによるウクライナ侵攻を目の当たりにして、さすがの日本でもこれは対岸の火事では済ますことができないなと気付き、安全保障関連予算の増額という案が急浮上してきました。

議論が行わるのは結構なことなのですが、対GDP比2%という数字が唐突に現れ、いきなりその財源についての議論が始ってしまったのです。

防衛力整備を議論するなら、順番があります。

まず我が国の置かれた情勢の分析が行われます。

そして、それは現在と将来に渡った分析に展開されなければなりません。なぜなら防衛力の整備には時間がかかるからです。イージス艦の開発及び戦力化には25年の年月が必要でした。戦闘機についても10年以上の年月が必要です。

そこでおよそ20年あるいは25年先の世界情勢まで考えた防衛力整備構想が必要です。

その長期の目標を検討した後、5年程度の中期の目標の検討が始まります。20年の長期の目標を現実的な目標にするために、予算を考慮しつつ長期目標を実現していくための道筋を明らかにする必要があるからです。

そして中期の目標が示された後に来年1年はどうするかが議論され、予算要求が行われます。

これが地に足の着いた防衛力整備の考え方であり、日本はこれまでそのような思考システムによって防衛力整備を行ってきました。

長期は「防衛計画の大綱」によって示され、中期は5年間に渡る「中期防衛力整備計画」が立案され、短期として「年度業務計画」を実現するための予算要求を行うのです。

中期防衛力整備計画は5年の間に世界情勢が激変したり、国内情勢における事情の変化があることも考慮し、3年目に見直しが行われてきました。

そして、20年後の日本の独立と平和を担保するための道筋がシステマティックに打ち立てられることになるのですが、この度の2%議論にはそれらがありません。

いきなり2%というほぼ倍額の数字が示されただけで、20年後の世界情勢に関する認識などがまったく示されませんでした。

それでは2%という数字がどのように算出されたかが問題となるのですが、これには根拠がありません。NATO諸国の多くが2%であり、1%であったドイツがウクライナ戦争開始直後に2%への増額を決定したから、2%が妥当ということなのです。

本来議論されなければならないのは、訓練ですら満足に撃つことのできない弾の備蓄量の少なさであり、隊員の充足率の低さです。

これらは産業構造の変換と若年層への教育や処遇の改善、社会における自衛官の地位に関する認識などの議論が必要であり、単に予算を倍増すれば済む問題ではありません。

それらの議論なしに予算だけが増額されると、その予算の分け前にあずかろうとする勢力の凄まじい競争が始まるだけであり、自衛隊は肥満した張り子のブタになりかねないのです。

必死に考えることをせず、その結果あらゆる議論を回避して拙速に諸外国並みの対GDP比という数字の帳尻合わせをしたツケはいずれ支払うことになります。

また2%の枠を与えられた防衛省の力量が問われることになります。

海上自衛隊の呉地方総監は、対GDP比2%への増額についての感想を求められ、手放しでは喜べないと述べました。そのような経済事情なのかどうかや他に考慮しなければならないことが山のようにあるはずなのに、数字だけが独り歩きすることへの危惧でしょう。

制服にまともな発想の者がいることが確認できてちょっとホッとしています。

少子化対策にならない少子化対策

報道によれば岸田政権は少子化対策のため、育休により世帯収入が減ることがないよう給付を増額する方針を示しました。これを国の補助の下に行えるのは企業にとってはありがたいことでしょう。育休の促進を図るためには最低限必要な施策です。さらに現政権は男性の育休取得率を25年度に30%、30年度に85%に引き上げることを表明しています。

これが異次元の政策のつもりかもしれません。

この結果、2030年には85%の若いお父さんが育児休暇の取得を強いられることになります。

何故、どちらが育休を取るのかを夫婦間の話し合いで決めることができないのでしょうか。

もちろん、女性だからという理由で育児を一人で行わなければならないということにはなりません。自分のキャリアパス上重要な時期と出産が重なってしまうことだってあるでしょう。そこを考慮する際に性別は関係はありません。

しかし、その辺りの事情は夫婦によって千差万別であり、個別具体的に決定されるべきものだと思料します。

父親と母親の役割分担についても夫婦によって考え方が異なるでしょう。

少なくとも乳児は父親によって面倒を見られることよりも母親と一緒にいることを喜ぶことが研究の結果として発表されています。

これはかなり以前ですが、1歳未満の乳児の脳波を研究している知人がいて、彼に統計処理の方法を相談されたので記憶にあるのですが、乳児の多くが母親と一緒の時の方が脳がリラックスしていることが分かっています。

30年ほど前になりますが、筆者は米海軍への連絡官としてペンシルバニア州に家族を帯同して赴任していました。

当時3歳だった息子が両目の眼科手術を受けることになり、病院に連れて行き、診察に付き添い、麻酔の注射を受けるまで傍にいたのですが、彼は気丈に泣き言を言わずに耐えていました。しかし麻酔が覚めて看護師長に抱かれて出てきたのを抱き取ったら、緊張が解けたのか急に泣き出しました。

彼は大きな声で「おかあさ~ん」と泣き出したので、看護師長が「何と言っているの?」と尋ねてきました。

私が「マミーと言っているよ。ダディーじゃなくてね。」と言うと、彼女はニッコリして、「アメリカでもそうよ。ダディーと言って泣きじゃくる子供を見たことがない。」と慰めてくれました。やはり本能的に母親と父親に期待するものが違うのでしょう。

家事が好きで、在宅でも仕事ができる業種についている父親なら主夫業を引き受けてもいいでしょう。

家庭で子供を見ながら、復帰後の仕事のための勉強や準備をしたい母親ならご主人を育児に引っ張り出す必要はありません。

育児は夫婦両性で行うべきという考え方を主張する人もいますが、それこそ自分の価値を他に押し付ける発想です。父親と母親の出番を峻別する考え方をしている夫婦だっています。

筆者は息子が高校生になった頃からが自分の出番だと考えていました。

少子化対策のために育児休暇の取得に関して不利になってはいけないという議論から、父親だって育児に参加できるようにすべきという議論になり、そして85%という目標が設定されるというのは、風が吹くと桶屋が儲かるという式の議論であり、儲かる桶屋もないとは言いませんが、他に起こりうる様々な事象を無視しています。

この施策も、それら様々な可能性について考慮することなく、少子化対策のために男性の育児参加を促進させるというだけの発想でしょう。

付言すれば、この少子化対策は少子化対策としての効果は持ちません。なぜ効果を持たないのかは別の記事で示させて頂きます。

役に立たない英語教育

何も考えていない施策の例は枚挙にいとまがありません。

小学校における英語教育もその一例です。

中学・高校で6年間、大学の教養課程で2年間の英語教育を受けても、碌に読めず、会話もできない私たちですが、だからと言って日本語すら怪しい小学生から英語教育を始めて、役に立つ英語の実力が涵養されると考えているならバカも休み休み言えということになります。小学校・中学・高校の教員で、まともに英語を読み、話すことができる教員がどれだけいるというのでしょうか。教員ですら身に付いていない英語をどうやって身に付けさせるのか理解不能です。

一方で英語を公用語とする会社も出てきました。

筆者が海上自衛隊を退官後勤務した専門技術商社も総合職全社員にTOEICの受験を義務付け、450点取ることを管理職への昇任の条件としていました。

英語を公用語とするのは、広く海外からの人材を登用するために必要かもしれません。しかし、語学は苦手であっても他の秀でた才能を持った人材が登用できなくなります。

そもそもTOEICの450点では何の役にも立ちません。450点では買い物もレストランでの食事も、電話でホテルの予約もまともには出来ないはずです。その程度は730点なら何とかなるかもしれません。しかし英語でまともな仕事ができるようになるためには800点以上が必要になるはずです。それを標準とするとその商社では管理職に昇任できる者がいなくなってしまいます。

その商社の一般の総合職にはTOEIC450点の英会話の能力など必要がないのです。その証拠に部長以上の管理職にはTOEIC受験は義務ではありませんでした。社長以下の役員や部長クラスの管理職が英会話ができなくて済むのに、それ以下の管理職が英語ができなければならない理由が見当たりません。

将来は英語が必要になるから、今のうちにそのような人材を育てておくということなのだそうですが、それなら450点という基準が理解できません。せめて730点にすべきです。

筆者は着任して企画本部長付として防災計画や教育計画の見直しを担当しましたが、誰に聞いても450点の根拠が分かりませんでした。時流に遅れまいとして何も考えずに基準を決めたものを、また何も考えずに踏襲しているだけでした。

730点を目指す社員教育をすべきと主張したのですが、一笑に付されただけです。

必死になって考える習慣が大切

とにかく何も考えないことが多すぎるのです。

必死になって知恵を絞って考えるという習慣が私たちの社会から失われてしまっています。

危機管理上の事態においては何回も繰り返しているとおり、想定外の事態への対応を強いられます。あらかじめ想定して準備しておくことができるものではありません。

その瞬間に意思決定を行わなければならず、しかも誤った意思決定をしてはならないのです。

何故なら、事態が刻々と変化していきますので、ひとたび意思決定を誤ると、その修正や誤った判断をしたことによる影響への対応を強いられ、新たな状況への対応が遅れるという悪循環をもたらすからです。

何としても事態への対応に関して正解を導き出さねばなりません。じっくりと時間をかける余裕もありません。

自分の頭でありったけの知恵を絞る習慣がないと、そのような対応ができません。

とにかく何としても正しい対応策を導き出さなければならないのです。

将来に備えるのであれば、自分の頭で考える習慣をつける方が優先されるべきだと思料します。