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専門コラム「指揮官の決断」

第343回 

専門家を簡単に信じてはいけない

カテゴリ:

物事は多面体

当コラムでは、繰り返し繰り返し専門外の問題にかかわることへの躊躇を表明しています。しかしながら危機管理という分野を扱うため、様々な専門分野について言及をせざるを得ないという矛盾を抱えています。コロナ禍であれば感染症の専門分野ですし、地震や火山噴火について言及する際には古い言葉で表現すれば地学の専門分野にかかわらざるを得ません。

しかしながら、物事は多面体の様相を持っていますので、危機管理論の立場から観察するということも可能です。

例えば、東日本大震災が生起した地球物理学的なメカニズムについては当コラムの専門外ですので、それぞれの専門家の意見やその学問領域において定説とされている事柄を引用することになりますが、地震発生を受けて、様々な人々がどう行動したかという問題に関しては危機管理論の専門分野として検討しなければなりません。社会心理学は専門ではないなどという言い訳はできないのです。

それが、この3年間のコロナ禍で当コラムが抱えた大きな問題の一つでした。

メディアに登場する感染症の専門家を信ずることができなかったのです。

2021年3月、問題が大きくなり始めたころ、当コラムではこの問題の深刻さはしっかりと評価しなければならないと考え、きわめて用心深い態度をとることにいたしました。なぜなら、その頃、オリンピックを控えた日本では「オリンピックなど開催できっこない」とい論調がネットを駆け回っていたからです。

筆者も、これがSARSやMERS程度であればオリンピック開催はできるかとは思っていましたが、それを超えるようなら無理だなと考えていました。SARS・MERSは日本では大きな騒ぎにならなかったので、開催国が大丈夫なら問題は少ないはずであるが、開催国での感染が広がると、予定通りの開催は断念しなければならないだろうと考えたからです。ところが、「オリンピックの開催はできっこない」という論者のほとんどはその根拠を示していませんでした。開催予定の8月までの国内および諸外国の感染の拡がり方の予測など何もないのに「できっこない」とネット上で発言するのは極めて無責任であり、そのような輩が世論を誤誘導し、その世論を気にする政治を歪めるのであるから、筆者はそのような発言を許容することはできませんでした。

専門家を信じられなくなったわけ

しかし、それが一般のネット上の発言者だけでなく、メディアに登場する感染症の専門家すら根拠のないデタラメを並べ始めるに及んで筆者は当惑してしまいました。

自分が感染症の専門家ではないのに、専門家の発言が信じられないとすれば何をもってこの事態を観察すればいいのかが分からないからです。

それでも2020年はまだ黙っていました。

コロナ禍で有名になった某女性教授が致死率が3%というのを聞いて、「そんなに高いかなぁ」とは思っていましたが、他の専門家も一斉に3%と言い出したので、そんなものかと思っていました。

ただ、モーニングショーで玉川徹氏が国民全員にPCR検査を行うべきと繰り返し繰り返し主張するのを聞いて、それは間違いだということについては早々に当コラムで発表しています。(専門コラム「指揮官の決断」 第184回 論理性の問題:PCR検査を無駄に行ってはならない理由 https://aegis-cms.co.jp/1947 )

小学生にも分かる数式で表現するのに苦労しましたが、混乱を招くだけであることを数学的(? 算数の範囲ですが)に説明したつもりです。これは感染症の専門家でなくてもできます。小学生に考えろと言っても無理でしょうが、小学生でも説明をすれば分かる内容なので、感染症の専門家である必要はありません。

さらに翌年、前述の某女性教授が「致死率が1.5%に下がったとは言え、依然として恐ろしい病気であることに変わりはありません。」と発言するに及んで、さすがにこれはおかしいと考えて、彼女が3%を導き出した理由を探り、それでは正しくはどのくらいの確率なのかを計算した結果、おそるべきことを発見しました。

この国のメディアに登場する感染症の専門家は致死率の計算方法を知らないのです。当コラムで計算をやり直してみると、1.5%ではなく0.1%弱であったことが分かりました。

致死率の計算は感染症の専門家でなくてもできます。(専門コラム「指揮官の決断」第301回  感染症専門家の計算する致死率 https://aegis-cms.co.jp/2734 )

つまり、情報番組に登場していた感染症の専門家たちというのは、まともに致死率の計算すらできない人たちだったのです。

また、病床のひっ迫についても、弊社では全国のコロナ専用病床におけるECMOと人工呼吸器の使用状況を連日モニターしていたので、病床がそれほどひっ迫しているはずはないと考えていましたが、メディアはコロナ病棟で医師や看護師が疲弊しきっている様子を繰り返して放映し、国の対応の遅れを批判していました。当社では納得ができずにいたのですが、結局昨年11月の会計検査院の報告で明らかになったのは、最も感染状況が酷かった時でさえ、コロナ専用病床は60%しか使われていなかったということでした。(専門コラム「指揮官の決断」第333回 コロナ禍の実相 その3 https://aegis-cms.co.jp/2920 )

つまり、感染症の専門家でなくとも、統計的なデータさえあれば、コロナ禍の一面は把握することができるということです。

したがって、当コラムでは観察対象が弊社の専門外であっても、弊社の得意とする分析手法を用いて観察することが可能であるとの考え方に基づいて様々な事象についての言及を続けています。

多面体である事象をどう眺めるか

要するに、観察する対象が自分の専門とする分野でなくても、得意とする分野から眺めるとどうなるかという分析は可能だということです。したがって、医学を専門としない当コラムですが、医療統計学の分野については遠慮なく入り込んでいきます。

逆に、自分が得意とする分野においても臆病な態度を取ることがあります。筆写が自分は軍事の専門家ではないとたびたび申し上げているのは、かつて海上自衛隊の制服を着ていたことがあるということと軍事の専門家であるということは異なるからです。現役当時は海上防衛のある分野に関しては専門的教育を受け、さらには指揮官として指導もしてきましたが、海上自衛隊がカバーする様々な領域について満遍なく理解しているかといえばそうでもなく、まして退官後10年以上たち、現役の連中に最新の情報を教えろなどという要求もしていないので、現状がどうなっているのか理解していないからです。

同様のことはジャーナリズムの世界の方々にも言うことができます。

防衛問題の専門ジャーナリストは確かに一般の方々よりは防衛問題に詳しいでしょうが、筆者のような元プロから見れば、所詮は素人です。中には本当によく勉強されていて、世界の安全保障情勢や防衛の歴史に関しては筆者など足元にも及ばない方もいらっしゃいますが、両手の指で数えることができる程度です。

つまり、防衛問題の専門ジャーナリストがメディアに登場して防衛に関連する問題について発言しても、その発言は注意して聞かなければならないということです。それは、そのジャーナリストがその問題を自分の得意とする分野の視覚で見ているのか、あるいは知ったかぶりをしているのかに注意しなければならないということです。

専門家が陥る落とし穴

最近の陸上自衛隊のヘリの事故に関し、様々な憶測が流れ飛んでいます。

ある番組に田岡俊次という人が軍事評論家という肩書で出演していました。朝日新聞出身の軍事ジャーナリストです。

彼はさすがに陸自ヘリが中国海軍によって撃墜されたという説は一笑に付してしまいましたが、その根拠が筆者たちと異なります。

彼は「そんなことをしたら日本と戦争になるので、その後のんびりと演習などしているはずがない。」と言うのですが、開戦前に演習名目で軍を動員しておくのは常套手段です。したがって、この主張は当を得ていません。

さらに、もし陸自のヘリを撃墜するとすれば相当近付いてこなければならないとして、彼が簡単に計算すると高度150mで飛んでいるヘリを撃墜するためには60kmくらいに近付いていなければならないので、そんな近付き方をしたらすぐにバレてしまうが、そのような行動を中国の艦艇は取っていないというのです。

一見して専門的な分析のように聞こえます。彼は地球が丸いため、遠くの目標が水平線の下に入ってしまうことから、150mの高度だとどこからなら撃てるかを計算したのでしょう。

しかし、この計算は誤りであると同時に計算に関する考え方も間違っています。

演習に参加している隻数や中国海軍の他の艦艇の動向を見れば、対日開戦の準備ができているとは言えませんし、現在そのようなことをしても中国に何の利益もないことを考えれば中国海軍の攻撃ではないというのは妥当な分析かもしれませんが、この距離問題は明確な間違いです。

筆者はこの発言を聞いた瞬間、高度150mのヘリを60キロ離れたところで撃てるかな?と思いました。筆者は若い頃に護衛艦の砲術士としてミサイル射撃を担当し、主砲の分掌指揮官として勤務していたことがありますが、その筆者の距離感から60キロは無理だろうと直感的に感じたのです。

筆者は学生時代から湘南の海で育てられたヨット乗りですから、江の島の灯台がどこから見えるかは知っています。天気の良い夜なら23マイル(41.4km)です。

江の島の灯台は海抜120mくらいのところで点灯しています。しかし、夜間に灯台が見えるというのは、大気の屈折もあり、また、光が放射状に広がっていることから、灯台の灯質が分かる程度に見えるのが23マイルということなので、光源が直接見える距離はもっと短くなります。船乗りやヨット乗りにはそのような感覚が備わっており、自分の船のいる位置を概ね見当をつけることができます。

高度150mから見ることのできる距離は計算することができます。

地球を半径6378kmの球体として、

で計算されます。実際には大気の屈折率を考慮しなければならないのでこの距離よりも5%程度は遠くまで見えるはずで、およそ43km程度です。

ただし、これは150mの高さから見える距離であり、逆にその距離から高度150mにある物体は水平線上にギリギリ見えるだけであり、その位置にある航空機を撃てるかというのは別の問題です。実際に150mで飛んでいるヘリを撃とうとするともっと近付く必要があり、60kmも離れて撃てるものではありません。

田岡氏が60kmという距離をどうやって計算したのか知りませんが、彼は防衛問題の専門ジャーナリストであったことがあり、現在は軍事評論家であるのかもしれませんが、光達距離の計算ができず、、ミサイル射撃でどのような射撃計算が行われるかについては素人であることは明白です。

生兵法は怪我のもと

彼は2009年10月に起きた護衛艦くらまと韓国籍のコンテナ船の関門海峡での衝突事故に際し、夜のニュース番組で電話インタビューされた際、事故の原因を問われて「相手船がくらまの左舷に衝突しているということですから海上自衛隊に有利でしょうね。」とコメントして、海上自衛隊に不利な発言を期待していた司会の古館一郎氏が凍り付いたことがあります。

洋上で船と船の針路が交差して衝突するおそれがある場合、相手船を右に見る船が避けなければならないという規定があるので、相手が左側に衝突したということは相手が規則違反だという主張のようです。これは「横切り船の航法」と呼ばれます。

ところがこれは海上衝突予防法の規定であり、くらまの衝突事故が発生したのは関門海峡なので海上衝突予防法は適用されず、海上交通安全法が適用されます。つまり、横切り船の航法は適用されず、航路外から航路に入る船舶は航路内を航行中の船舶を避けなければなりません。田岡氏はこれを知らないのです。

察するところ、その前年に生じた護衛艦あたごと漁船の衝突事故において、あたごが相手船を右に見ていたにもかかわらず、これを避ける動作が遅かったことが問題となったため、海上では自動車と逆に相手を右に見る船が避けなければならないということを知ったのでしょう。

ただし、彼は船乗りではなく、かつ小型船舶の免許も持っていないらしく、それが海上衝突予防法の規定であり、関門海峡では海上交通安全法が適用されることを知らなかったのだと思われます。

プロの船乗りでなくとも、レジャーボートに乗っていて小型船舶の操縦資格を持つ人なら誰でも知っていることなのですが・・・。

サッカーボールを思い出してください

つまり、防衛問題の専門家に見える人であっても、自衛隊が絡む問題について何でも語ることができるということではなく、多面的な問題のごく一面しかまともに語ることはできないということです。その他の面については素人です。

サッカーボールは正五角形の皮をつなぎ合わせて作りますが、専門家といえどその対象の皮一枚分しかまともには語ることができませんし、逆に全体的には専門外であっても、その皮一枚分については語ることができる場合があるということです。

専門家のコメントというのはその程度のものであることを認識して聞く必要があるようです。