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専門コラム「指揮官の決断」

第342回 

危機管理とは その5

カテゴリ:危機管理論入門

危機管理論入門の議論に戻ります

1カ月ぶりに危機管理の入門的議論に戻ります。岸田首相の国旗に対する無関心さに呆れたりしていましたので話が横道にそれていました。(専門コラム「指揮官の決断」第340回 言いたくはないが国賊だろう https://aegis-cms.co.jp/2955 )

「危機管理とは その4」では、世間に誤解の多いリスクマネジメントとクライシスマネジメントの違いについて、実例を挙げて説明しました。(専門コラム「指揮官の決断」第337回 危機管理とは  その4  https://aegis-cms.co.jp/2940 )

事前に何が起きるのかを想定して準備するのはリスクマネジメントであり、想定外の出来事が生起した場合に対応するのがクライシスマネジメントであるというのが基本的な考え方です。

なぜ、このような「そもそも」論を展開しなければならないかと言うと、この国ではクライシスマネジメントとリスクマネジメントの概念が区別されずに、リスクマネジメントが危機管理だと勘違いしている方が極めて多いからです。

リスクマネジメントと危機管理の概念が混乱しているのは日本だけ?

実はこの概念の混乱が起きているのは、筆者の知る限り日本だけです。

筆者がこの概念の混乱に気付いたのは1990年のことでした。

この年の3月末、筆者は青森県八戸市にある海上自衛隊第二航空群隷下の航空補給隊の隊長として初めての指揮官勤務をしていました。自然豊かな青森県の生活を楽しんでいたのですが、突如幹部学校高級課程入校を命ぜられて、嫌々ながら東京に戻ってきました。

海上自衛隊の幹部学校は陸・空自衛隊の幹部学校、統合幕僚学校、防衛研究所などとともに目黒に所在しています。各幹部学校は同じ庁舎の中にあり、統合運用の時代にふさわしい統合教育も行われ、統幕学校や防衛研究所の図書室なども利用できました。

海上自衛隊幹部学校の特色としては、将来の上級部隊指揮官を養成するための教育が行われると同時に、各人に個別のスタッフスタディが課され、それぞれが諸外国の安全保障政策や国際関係論を研究しなければならないことです。地域研究と呼ばれていました。

学生はそれぞれにどの地域の研究をするのかを決めなければならず、例えば中東やアジアを研究することが決まると、それを専門としている研究者がいる大学などが紹介され、その先生の指導を受けたり、その先生が大学や大学院で開講しているゼミに参加したりすることができます。

このため、高級課程学生は自宅研修として学校に出てこずに、指導してくれる先生のいる大学に通っていることが多く、幹部学校に出てくるのは週1回ということも珍しくなくありました。

そして1年の教育を終わる際に論文を提出しなければなりません。

ところが筆者は入校と同時に他の二人の同期生と共に教育部長に呼び出され、「お前たちは地域研究ではなく学校長の特命研究をやってもらいたい。」と言われ、三人が別々のテーマを示されました。

筆者に与えられたテーマは学問の世界のものではなく、また海上自衛隊にもその専門家がおらず、誰にも指導してもらえない内容でした。詳しくは申し上げられないのですが、ちょっと面倒な課題で、かつ、入校前に楽しみにしていた大学で指導を受けられる機会がなくなったのでがっかりしました。

そのような理由で、高級課程の同期生が学校に出てこない日には図書室などをうろついて資料を集めたり、自宅でそれらの資料を呼んで暮らす日が多かったように思います。

逆にそのような機会を与えられたため、統幕学校や防衛研究所の図書室などでいろいろな発見をすることができました。

ジョージ・ケナンの「X論文」を読んだのもこの時ですし、ランチェスターの論文もこの時に統幕学校の図書室で発見しました。

クラウゼヴィッツの『戦争論』や海軍戦略の大家であったマハンの論文を読み直したり、ヒトラーの『我が闘争』を読んで旧陸軍が何故この壮大な愚か者と手を結ぼうと思ったのかが不思議だったり、石原莞爾が『最終戦争論』を書いたのが50歳の時だと知ってショックを受けたり(筆者はその時45歳でしたが、とてもではないがこんなものを5年後には書けない、と思いました。)、普段読まないような古典的な書物に数多く触れる時間が与えられたことがとてもいい経験でした。これらの古典的な書物や有名な論文を読むことができたことが、後の危機管理論の研究に大きく役に立つことになりました。

本来は入隊前に大学院の研究室で読んでおくべきものだったはずですが、筆者は、今でもそうですが、英語を早く読めないので(メールマガジンで度々告白していますが、筆者は中・高校生時代、英語の試験では毎回追試組でした)、研究室では次々に送られてくるアメリカの論文を読むのが精いっぱいで、なかなか古典的大著には手が出せずにいました。(論文は翻訳されることはありません。研究者が読むので翻訳の必要がなく、次から次へ出てくるので訳している時間もなく、翻訳しても売れないからです。)

それでもケインズの『一般理論』は読んでいましたし、ドラッカーやハーバート・サイモンは学部のゼミで鍛えられました。なので、これらを読んでいないコンサルタントや大学教員などはちょっと話をすると見分けることができます。筆者の我が国の経済政策や企業トップのリーダーシップに関する議論はこれらが基礎になっていることはほぼ間違いないと思っています。

幹部学校では大学院で専攻していた組織論や意思決定論を新たに学び直そうとしていろいろな論文も漁っていました。軍事組織にいる者としては当然のことながら危機管理論に及ぶのは時間の問題でした。

ところが、国内で発表されている危機管理論の論文がどうも筆者に言わせるとテーマすら納得のいかないものばかりでした。

当時筆者が見つけた危機管理論の論文やその他の文章は主として三つの分野に関わるものでした。防災、企業経営、国際関係です。

このうち国際関係論の研究者が発表している論文には違和感を感じなかったのですが、防災や企業経営に関する危機管理の論文や記事には違和感を覚えることばかりでした。

何故かというと、それらの筆者達がその文中で「リスクマネジメント」という言葉と「危機管理」という言葉を混在させているからです。

防災関連の記事を書いているのは元消防官や警察官などが多く、その受けてきた教育や訓練、あるいは経験から話をしており、それらが役に立たない想定外のことが起きた場合にどうするかというダイナミックな話はあまり見受けられませんでした。

また、経営関係の論文や記事は、ほとんどが経営コンサルタントが書いたもので、彼らは研究者ではないので外国の文献を読んだりすることはあまりないようです。したがって、リスクマネジメントを日本語で表現すると危機管理だと思い込んでいるのかもしれません。

国際関係論の研究者たちの論文にあまり違和感がなかったのは、彼らはさすがに海外の文献をたくさん読み込んでいるからだったと思います。。日本で発表される危機管理の書物や論文が極めて少ないからです。

彼らは危機管理という言葉がクライシスマネジメントを和訳したものだと知っているので、リスクマネジメントとの混乱を起こさず、リスクマネジメントの概念について述べる時には、しっかりとリスクマネジメントと書き、「危機」と「危険」の概念を分けていました。

諸外国ではどう捉えられているか

筆者は、この頃に抱いた違和感の原因を考えました。

つまり、この国ではリスクマネジメントとクライシスマネジメントの概念が混乱しているのは何故かを考えたのです。

日本語にすると両者の違いは歴然としています。「危険」と「危機」ですから、両者の違いは明らかです。

あらゆる危険性を排除することはできません。あらゆる危険を避けようとすると何もできないからです。ハイリスク・ハイリターンが許容できないならローリスク・ローリターンを選択するなどの必要があります。それがリスク・マネジメントです。

つまり、「危険性」はそれを評価して許容するかどうかを判断することが必要です。そして許容すると決めたなら、その危険性が現実になった場合に備えて準備を行います。

一方、「危険性」として評価していなかった事態が生じた場合には「危機的」状況になります。事前に評価していないので準備がないため、スムーズに対応できないからです。

このように「危険」と「危機」はそもそもの意味が異なるのに、何故概念が混乱しているのかが当時の筆者には謎でした。

幹部学校には韓国海軍と米海軍からの留学生がいました。

彼らにそれぞれの母国でクライシスマネジメントとリスクマネジメントの概念がどのように扱われているのかを尋ねたのですが、彼ら自身が混乱していないのはもちろん、一般的にもまったく異なる概念として扱われているはずだということでした。試しに、それぞれの奥様にも訊いてみてくれと尋ねたのですが、やはり彼女たちも両者は異なる概念であるとの認識だそうでした。

その後の勤務で海外の軍人たちと話をするときには、二つの質問をするようにしていました。

一つは、この「クライシスマネジメント」と「リスクマネジメント」の概念が明確に区別されているかどうかで、もう一つは「海上自衛隊では司令官の女房は司令長官と呼ばれるが、貴国海軍では如何に?」という質問です。

今まで多くの海軍軍人と話をしましたが、答えはいつも同じで、前者については「馬鹿なことを訊くな!」という顔され、後者についてはビックリしたような顔をされます。「自分のところだけでなく、サムライの国でもそうなのか。」という顔です。

例外は中国海軍で、前者については明確に否定したものの、後者については質問の意味が理解できないようでした。

中国については、退官後に母校の非常勤講師として危機管理の入門的講義を行った際、韓国と中国の留学生がいたので尋ねましたが、両国とも明快に「それは別ですよ。」という答えが返ってきました。

つまり、この概念の混乱が起きているのは、どうも日本に特有なことのようなのです。

さて、それでは何故そのような混乱が生じたのか、筆者は様々な資料をあたって原因を追究しました。そして一つの仮説に行きついたのですが、それはまたの機会に譲ることにいたします。

今回は、この国においては危機管理の概念とリスクマネジメントの概念の混乱が生じており、それは極めて日本にユニークな現象であるということを御認識いただければ結構かと存じます。