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専門コラム「指揮官の決断」

第430回 

危機管理の視座 その4

カテゴリ:危機管理

シンポジウムにて

先日、あるシンポジウムの席で、筆者がパネリストの一人として発言する機会がありました。

そのシンポジウムではあらかじめの申し合わせで、冒頭に簡単な自己紹介をすることになっていました。

筆者は、「現在は、危機管理のコンサルタントです。」と言っておきました。

現在の職業が問題になるシンポジウムではなかったからです。

シンポジウム散会後、シンポジウムに関心を持った方々が、筆者たちパネリストのところにやってきました。

筆者のところにまず近寄ってきたのは、新聞記者二人でした。

どう考えても、記事の立場が相反する二社だったので、二社が一緒に来たのが興味深かったのですが、うち一人が「海上自衛隊をお辞めになってから、リスクマネジメントの専門家になられたんですね?」と切り出してきたので、いきなり筆者の荒っぽい洗礼を浴びることになりました。

「だから、あんたがたメディアはダメだって言うんだ。オレが何と自己紹介したのかもわからんのか?」

すると、もう一社の記者が「危機管理のコンサルタントとおっしゃいましたよね。」と割って入りました。最初の記者は、何が違うんだ?という顔をしていたので、「勉強して出直しておいで。」と言われて、ムッとしていました。

後者の記者は、「今の議論を含めて、いろいろと教えて頂きたいので、どこかでお目にかかれませんか?」と言ってきたので、この会社も筆者の手荒な洗礼を浴びることになりました。

「なぜ、私が君に教えなければならんのだ?俺は教師じゃないぞ。新聞記者なら自分で勉強すべきじゃないのか?取材対象から教えてもらってどうするんだ?」

すると、その若い記者もキョトンとしてしまいました。

実は、この言い回しは、メディア嫌いの筆者がメディアに対応せざるを得なくなった時の常套句で、たいていの相手は黙ります。

ところが、その記者は、「記者になりたての頃、石原都知事にもよくそう言われましたが、それでもいろいろと教えて頂きました。懐かしい感じです。」とへこたれません。

筆者は学生時代に石原慎太郎さんのヨットのクルーとして、何回か外洋レースに乗ったことがありますが、石原さんというのはそういう方でした。

まぁ、こいつとはしばらく付き合うことになるかと思っています。

想定して備えて何が悪いのか?

その後、荷物をまとめようとしているときに、ある代議士の秘書から声をかけられました。

シンポジウムが参議院議員会館で行われたので、参議院議員も何人か参加されていましたし、秘書も何人か参加していました。

筆者に声をかけてきた秘書は、当日のパネリストのバックグランドをあらかじめ調べてきたらしく、筆者のコラムも最近の分を読んでいるようでした。

そこで、筆者がコラムにおいて、岸田元首相の「危機管理の要諦は、最悪の事態を想定して、それに備えること。」という言葉を批判して、それは危機管理ではない、と切り捨てたことについて意見を述べ始めました。

曰く、「最悪の事態を想定して、備えるというのが、何がいけないのですか?」

筆者は、「備えることが悪いと言っているのではない。それが危機管理だというから、それを否定しているだけだ。」と答えると、その意味が分からないようでした。

「ここ5年間の我が国を襲った危機を三つ挙げてみて。」というと、「三つですか?エーっと」とすんなりと答えてくれません。

もちろん、何を危機と捉えるかはその人によって異なるのでしょうが、国会議員秘書なら、コロナ禍の緊急事態宣言やウクライナ戦争による世界的な物価高がまず指摘できるでしょうし、能登半島地震なども上がるかもしれません。

そう言うと、意外に素直に「そうですね。」とうなずいています。「その三つの中で、どれか一つでも、前の年に貴方のセンセイが想定していたものがありますか?」と聞くと、「イエ、どれも想定外でした。」ということです。

「そうでしょう。想定外だったから、備えがなかった、ということになるでしょ?想定外の事態だったらあきらめろ、と言うんですか?」

「そんなことを言うつもりはないけど、想定外の事態にどう対応するんです?」と聞いてきたので、彼も筆者の手荒な洗礼を浴びることになりました。

「政治家の秘書が、国民の一人に尋ねることじゃないでしょ。あんたの先生に訊いたらどうだ?もっとも、政治家に危機管理が理解できるとは思えないけど。」と言うと、彼はいきなりそのような無礼な口をきかれたことがなかったらしく、「どういうことですか?なぜ、政治家に危機管理ができないんですか?」と訊いてきました。

「覚悟がないからですよ。」

「覚悟って、どういう覚悟?」

「何が何でも、この国と国民を救ってみせる、そのためにはわが身を顧みない、という覚悟ですよ。」

「そのような覚悟なら、うちの先生にも私にもある。」

「あるなら、危機管理は出来るはずですし、私の言っている意味もご理解されるはずです。覚悟がないと理解できないけど。国の危機管理は私利私欲のある者にはできない。だから、政治家に危機管理は無理だと言っているんです。」

以上で、もの別れになりました。

これも、政治家嫌いの筆者が、政治家やその秘書たちと話をしなければならなくなった時の常套句です。ただし、この「覚悟のない者に危機管理はできない。」という言葉は、筆者の本音です。

逆に言えば、危機管理に必要なのは、この「覚悟」だけかもしれません。

繰り返しになりますが、想定外の事態に対応するのが危機管理ですので、何が起きるのかが分かりません。つまり、教科書が書けないマネジメントなのです。

その危機管理を巡って専門コラムを書き続けるというのもつらいものがあります。

教科書や参考書に載っていないのですから、試験でいい点を取れる秀才が危機管理で腕を発揮できるかどうかは別問題ということになります。

専門分野での知識や経験は非常に重要です。例えば、軍人には戦場での危機管理は出来るかもしれませんが、経済市場での危機管理は難しいでしょう。

しかし、危機管理の本質はそう違わないはずなので、その分野での「相場観」と「相場感」を作っていけば、それなりの意思決定は出来ていきます。

しかし、「覚悟」がなければ、いくら知識・経験があっても対応はできません。

初動で想定外の事態に毅然と対応しなければならないのですから、「唖然」としたり、「ビックリ」したりしていてはいけないのです。

危機管理に必要な指揮官の覚悟とは?

それでは、その「覚悟」とは、何でしょうか。

これはかなり哲学的な困難な問題なのですが、海上自衛官として約30年間暮らしてきた経験から申し上げると、何が「覚悟」であり、何が「勇気」なのかを絶えず追い求めていく「姿勢」が「覚悟」であり、「勇気」ではないでしょうか。

ビジネスの世界で、判断を間違って失敗しても、命を奪われることはそう滅多に起こることではありませんが、軍隊では、自分だけではなく、多くの部下の生命も失います。したがって、文字通り命がけの判断をしなければならないのですが、その覚悟が十分にできたと納得できる境地に入るのは、並大抵のことではありません。

しかし、真摯に「覚悟」を求めていると、そこには「私心」が入らなくなります。

この「覚悟」において、最大の邪魔ものが「私心」です。

この私心というのは、責任を回避する「保身」と、金や権力を欲しがる「執着心」と、その保身や金や権力の為には恥も外聞もない「廉恥心」の欠如の結合体として現れてきます。

筆者が、政治家には危機管理はできない、と主張するのは、政治家はその「私心」しかないからです。

筆者はその例外の政治家を何人か存じ上げていますが、しかし、あえて断言します。ほとんどの政治家には「覚悟」など微塵もなく、あるのは「私心」だけです。

軍人が大切にするのは「名誉」ですが、政治家にとって重要なのは「名声」です。

そのような「私心」をもって、想定外の事態に立ち向かうと、まず考えるのは「責任の回避」なので、そもそも危機管理に必要な「毅然とした対応」などできるはずもないのです。

東日本大震災当時の政権の対応を見れば一目瞭然です。

当時の政権は、二言目には「想定外」と言って、対応できないのは自分たちの責任ではないことを主張し続けました。

東京電力の福島原発の事故に関しては、設置当時の考え方の甘さが原因とまで言い切りました。

前の政権の責任にするのは、韓国と同じ発想で、とても日本の責任政党とは思えません。

阪神淡路大震災当時の政権は、「何せ、初めてのことだから。」と言って、投げ出してしまいました。しかし、前進司令部を被災地の近くに設置し、そこの判断にゆだねるという姿勢を示し、その責任だけを自分が取るという姿勢を取ったのは評価してもいいでしょう。

原発事故の情報の無いのにイライラして、現場にヘリを飛ばして、現場での対応を邪魔して、しかし責任だけは回避するような東日本大震災当時の政権とはそこが異なります。

いずれにせよ、その危機に何とか立ち向かって、この国と国民を自分で数ってみせるという覚悟がなかったことは間違いありません。

トップにとって最も重要なことは「私心」を捨てること

現場に関する知識・経験はあるに越したことはありませんが、何よりも指揮官にとって重要なのは、私心のない覚悟です。

トップが私心のない覚悟を持って対応できていれば、スタッフは事態対応に余計な配慮をせずに打ち込むことが出来ます。そうやって、スタッフの能力を最大限に引き出すのが危機管理におけるリーダーの役割です。

繰り返します。

「私心のない覚悟」がトップには必要なのです。