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専門コラム「指揮官の決断」

第439回 

シビリアン・コントロールの逆機能 その1

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参院選挙が終わりましたね

参議院議員選挙が終わりました。当コラムは与党惨敗の結果になっても、現政権トップはしがみつくだろうと予想していましたが、やはりそうなりました。ただ、最大野党と連立を組むだろうと思っていましたが、その予想は外れました。

よく考えるとそうですよね。次の選挙は衆議院で、最大野党と連立を組んだら、小選挙区で候補者の調整ができませんからね。

現政権トップが「比較第一党という言葉を使い始めたところで、「こいつは辞めないな。」と思いましたが、しかし、執行部の誰も責任を取らないということにはびっくりしました。

続投を表明する記者会見では、「今、最も大切なことは、国政に停滞を招かないということであります。」と言ったのですが、就任直後に、能登半島救済のための補正予算の審議も行わずに見捨て、総選挙で国政に1カ月の空白を作ったのが誰だか覚えていないようです。

就任直後に「信を問う。」と言って惨敗し、国政選挙の先行きを占うと言われた都議会議員選挙で惨敗し、衆参両院で過半数を割り込むという政権党の歴史になかった惨敗をしても、重要な国政上の課題を止めるわけにはいかないという訳の分からない理屈をこねて居座るという恥も外聞もない男を選んだのは、この国の民主主義です。

こいつがこのまま居座ったままであれば、次の衆議院議員選挙では大敗・惨敗どころではなく、この政党は瓦解してしまうでしょう。

それが本当の彼の狙いで、今はあらゆる非難を耐え忍んでいるというのであれば、日本史上の偉人として称えられるべき人物です。

しかし、そうでないなら、日本史上最も愚かで下品な指導者として伝え続けられるでしょう。そこまでして座り続けたい首相の椅子の座り心地とはどんなものなのでしょうか。

当コラムでも、豚と比べるなど、豚に失礼だろうという言い方で、この男の品格と知性について疑問を呈してきましたが、さすがに本来の危機管理の専門コラムに戻したいと思います。

シビリアン・コントロールの逆機能とは

当コラムでは前々回に、シビリアン・コントロールについて述べました。

すでにしゃべっているから、それを読み直せよな、という言い方は致しません。

必要なことについては、解説しなおします。

これは軍隊に対する政治の優越という原則を示しています。

軍隊に対して最終的な決定は政治が行うということです。                                     

帝国憲法下においては、軍部大臣現役制が敷かれ、陸軍大臣や海軍大臣は現役の軍人でなければならないということになっていました。そこで、内閣が軍の気に入らない考え方をしている場合には、軍部は大臣を辞任させ、後任の大臣を選任しませんでした。閣僚を欠いているため、その政権は内閣を維持できず総辞職せざるを得ない事態に追い込まれます。

そこで軍部の言いなりになる内閣ができてしまうのです。

ついには軍部出身の総理大臣までできてしまったことがあります。

軍人に政治を担当させることは危険です。

軍人は、どのように劣勢であっても何とか勝利を得ようとします。彼らはそう簡単にあきらめるようには育てられていません。士官候補生として、肉体的にも精神的にも徹底的に鍛えられているのです。

つまり、どのような犠牲を払ってでも勝利を得ようとするのが軍人です。

このため、軍人に政治を任せ、戦争になったりしたら、犠牲を顧みずに戦い続けるという恐ろしい悲劇が生まれます。誰かが、「もう戦うな。」と命令しなければならないのです。

筆者が軍人に政治をさせてはいけないと主張するのはこのためです。

ただし、このシビリアン・コントロールの原則は、正しく機能させる必要があります。

ところが日本では、このシビリアン・コントロールが誤解され、利権のネタにされていますので、何とか本来のシビリアン・コントロールに戻す必要があります。

シビリアン・コントロールの実例

シビリアン・コントロールが機能した典型的な実例をご紹介しましょう。

1991年1月に生じた湾岸戦争をご記憶の方も多いかと存じます。

前年の1990年8月にイラクがクェートに侵攻し、アッというまに占領してしまったことに端を発します。

この際、国連の集団的安全保障態勢が常任理事国の一部の不同意により国連軍は編成されませんでしたが、国連安保理が武力行使を容認する決議を採択し、多国籍軍が編成されました。多国籍軍は米軍を主力とし、米中央軍司令官だったシュワルツコフ陸軍大将が多国籍軍の指揮を執ることになりました。

米国のブッシュ大統領は、イラクに対し、無条件完全撤退を要求し、これを無視したイラクに対し、現地時間1991年1月17日に戦闘行動を開始しました。当初はトマホークや空軍機による爆撃が主でしたが、2月末に地上戦が開始されました。

地上戦は最初の100時間でほぼ決着がつき、シュワルツコフ司令官は、もう24時間でバクダッドを占領できると上申したのですが、ブッシュ大統領は「戦争の目的は、イラクのクェートからの完全撤退である。」としてその上申を認めずに停戦を命じました。

つまり、戦争を始めるタイミングと終わるタイミングを政治が判断し、どう戦うかを軍人に任せたのです。

これがシビリアン・コントロールです。

ブッシュ大統領は軍歴を持っており、第二次世界大戦に従軍した経験も持っていましたが、作戦に介入はしなかったそうです。

日本の現状

いずれにせよ、制度としてのシビリアン・コントロールが機能していました。

ところが、日本では制度としてのシビリアン・コントロールが誤解され、とんでもない運用がなされてきました。

日本では、シビリアンという意味が理解されず、「文民統制」と訳され、制服を着た防衛省(設立当初は防衛庁)の役人が制服組に対して優位を占めるという解釈がなされたのです。

今でもそうですが、政治家にはまともに安全保障問題について語ることのできる者がほとんどいません。そこで、本来のシビリアン・コントロールが機能できないという問題があることは事実なのですが、その代わりに防衛官僚が君臨したのです。

さすがに防衛官僚たちは少しは防衛問題について勉強はしていたとは思いますが、しかし、彼らは軍事技術の専門家ではありませんし、戦争になったときにそれを使って自分で戦場に出る者たちでもありません。つまり、しょせん評論家にすぎないのです。

逆機能の例

それでは、政治によるシビリアン・コントロールの逆機能の典型例をご紹介しましょう。

1992年、カンボジアに陸上自衛隊のPKO部隊が派遣されました。

これは国連の平和維持活動に初めて自衛隊が参加するというエポックメーキングとして重要な活動でしたが、1992年6月に「国際連合平和維持活動等に対する協力に関する法律」が成立するまでには大変な道のりがありました。

当時の社会党が同法の成立に反対で、国会で牛歩戦術などを取るなどしており、壮絶な労苦の下に成立した法律でした。前年まで社会党の委員長は土井たか子という人が務めていましたが、この人の反対で湾岸戦争に日本は130億ドルという巨額の供出金を負担したにも関わらず、一人の人的貢献もしなかったため、戦後クェート政府が新聞の両面を使って出した感謝の意を表する広告に日本の名前が記載されないという事態を招きました。

その党が、カンボジアPKO法に関し、陸上自衛隊が持っていきたいと言った装備品に関して異論を唱えてきたのです。個人が自分の身を守るのに小銃を携行するのは仕方ないが、部隊の装備品として機関銃を二丁持っていくのは多すぎるというのです。

これが素人議論なのです。

社会党は機関銃がどのように用いられるのかを理解していませんでした。

機関銃は、狙って振り回す銃ではありません。

部隊の両端において、一方的に撃ち続ける武器です。

部隊の正面の両端において、それぞれが斜めに撃ち続けます。右端に置かれた機関銃は左前45度方向に一方的に撃ち続けます。左端は右斜め前に打ち続けるのです。

そうすると、部隊正面に左右から弾の帯ができます。敵はその帯よりも内側に入ってくることができません。これを突撃破砕線といいます。

片方だけだと斜め前方は侵入しにくいのですが、その機関銃の直前までは簡単に入ってくることができます。なので、両端においてそれぞれを斜め前に撃たせて正面で交差させるのです。機関銃以外の小銃は、その正面から入ってくる敵を狙えばいいだけになります。

これが一丁しかないと中央において左右に振り回さなければなりません。当然、隙が生じます。

本来は機関銃は弾詰まりに備えて、予備銃が必要ですが、陸上自衛隊は予備銃を計上せずに最低限の銃だけを要求したのですが、それを理解できなかったのが当時の社会党です。

後年、筆者は土井たか子さんの講演を聴く機会がありました。

出張に行った先のホテルの近くで彼女の講演会があり、当日券もあったので暇つぶしに聴きに入ったのですが、びっくりしました。

彼女曰く、PKOの1年後にカンボジアを視察したのだそうですが、陸上自衛隊の施設部隊が造った道路など、ボコボコでまともなものはどこにもなかったのだそうです。あのPKOは何だったのかという話でした。

筆者がびっくりしたのは、陸上自衛隊の道路がボコボコだったことではなく、土井たか子という人がPKO法を読まずに反対していたことです。

PKO部隊は恒久的なインフラを整備しに行ったのではありません。民主的な選挙を滞りなく行うために、バスが運行できるように道路を整備しに行ったのです。

ゼネコンではなく、陸上自衛隊の施設部隊が出かけた理由はそれです。恒久的なインフラは陸上自衛隊には造れませんが、とにかく戦車が通る道路や橋を急いで造るということになるとゼネコンにはできませんが、施設部隊は得意です。

だからこそ、陸上自衛隊の施設部隊が選挙に際して住民をバスで移動させるための道路を造りにいったのです。

そのような法律であることを理解せずに牛歩までやって反対したのが社会党でした。

現在の社民党の母体です。一世を風靡した「おたかさん」というのは、その程度の人です。

とにかく、国会議員であるにもかかわらず議会で審議されている法律案もよく読めない政治家が持っていく機関銃の数に口出しするのが、日本のシビリアン・コントロールです。

機関銃一丁だと憲法が禁ずる武力による威嚇にはならないけど、二丁なら威嚇になるということなのだそうです。彼らは武器の使用と武力の行使の違いが理解できていません。

日本の政治家の安全保障に関する認識など、一部の本格的に勉強している人を除くとその程度です。

次回は、このシビリアン・コントロールの逆機能の実例についてご紹介します。