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専門コラム「指揮官の決断」

第448回 

教訓を生かせ:コロナ禍から何を学ぶか

カテゴリ:危機管理

重要なことは?

仕事もそうですし、いろいろな目標に向けた努力もそうなのですが、必ずしもうまくいったり、目的を達成できたりすることばかりではありません。

どころか、筆者自身を振り返ってみると、最近はことごとくうまくいかないことばかりのような気がしています。

そのような場合には、何が原因なのか、失敗したのは何故かを探求し、その過ちを繰り返さないことが重要です。

中でも、何を教訓とすべきなのかを誤ってしまうと、その失敗を繰り返します。

広島の方はよくご存じですが、原爆死没者慰霊碑には、「安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬから」と刻まれています。ただ、問題なのは、何が過ちなのかが明確でないことです。

勝てもしない戦争を始めたことが過ちだとすれば、次は絶対に負けない戦争をすることになりますし、戦争自体を始めたことが過ちだとすれば、確かにそうなのですが、当時の国際関係の基盤に立って考える必要があります。本当に戦争に訴えなければ解決できない状況だったのかという議論が真剣に行われているとは思えません。日本の侵略戦争であるという結論は、真剣な議論の末に到達した結論ではなく、そう主張する勢力によって押し付けられた見方に過ぎないようにも思われます。

そもそも、1945年の8月現在ですら、原子爆弾の使用は国際法違反ですから、過ちは米側にあるのですが、無条件の降伏ですから、その主張もできません。

つまり、何が過ちで、何を繰り返していけないのかの議論がしっかり行われていないことが問題なのです。

危機管理の立場から、この社会を見ると

当コラムは危機管理の専門コラムですから、国際関係論や安全保障論上の議論をしようとしているのではありません。

実はこの言い方も自己撞着に陥っています。危機管理論は、もともと国際関係論上の議論だったからです。いかに核戦争を回避するかという議論から始まっています。

しかし、弊社が関心を持っているのは、そのような国際関係論上の危機ではなく、企業経営や日常生活における危機といかに対応するかという課題です。

そこで、今回取り上げるのは、コロナ禍に対して、何を反省すればいいのかという議論です。

専門外の領域について、何をどのように語るか

コロナ禍については、当コラムにおいても何度か言及してきました。

医学を専門とせず、感染症はまったく専門外なので、しばらくは沈黙していましたが、あるとき、当時北大に在籍された西浦博教授の論文(俗に、新型コロナウイルスの流行拡大を防ぐため人との接触を8割減らすことが求められているとしたと言われる論文)を読み、医学的な問題は分からないものの、その統計学的処理があまりにも稚拙であることに驚き、感染症の問題を数字から見ていこうと考えました。数字だけ追っても、当時の議論は出鱈目なことが多かったのです。

まず目につくのは

まず最初にPCR検査に関する議論がおかしいことに気付きました。

テレビ朝日の情報番組で、玉川徹という同社社員がコメンテーターとして出演しており、彼が全国民にPCR検査を実施すべきであり、37.5度以上の熱が4日間出ないと検査を受けられないというのはとんでもない、という議論を繰り広げていました。

このPCR検査を受ける基準については、厚労省が保健所を通じて、全国の病院やクリニックに通達として流した文書に示されています。

筆者は、当時、ある業務のためにコロナ感染者数を追跡しており、この通達も読んでいました。

あらゆるメディアが間違って報道していたのですが、ある一定の熱が4日間出なければPCRを受けられないというのは誤りです。

当初は検査態勢が整っていなかったので、現実的には高熱が4日以上続いた人が優先された傾向はありますが、通達自体には、基礎疾患のある人や高齢者は熱がある場合には、発熱外来などに早めに受診するように、4日も続いた場合には必ず検査を受けるようにと書いてありました。玉川氏はこの通達自体を読んでいないか、読んでも意味が理解できなかったようです。

また、PCR検査を全国民に行うということにはまったく何の意味もありません。

検査をした時点で、コロナウィルスが検出されるかされないかだけであり、その30分後ですら分からないからです。

したがって、前日に受けたPCR検査の結果では、その人の当日の感染状況は分かりません。

つまり、少なくとも毎日、全国民のPCR検査を行わなければ、大まかな感染状況すら把握できないのです。

しかも、PCR検査結果を報道は感染者数として発表していましたが、実はこの検査では感染していたかどうかは分からないのです。

検査で分かるのは、検査する検体(唾液だったり、綿棒だったりします。)にコロナウィルスが付着していたかどうかであり、感染とは別です。

感染というのは、寄生と増殖が始まっている状態であり、コロナウィルスの場合は、肺の奥底を見ないと分からないのです。

報道は、正しく検査陽性者数と呼ぶべきでした。

この検査を全国民に行えとしつこく迫ったのが玉川氏です。

彼は統計学というものをまったく理解できないのでしょう。統計学を駆使すれば、全国民に検査を行うという馬鹿げた方法よりも正確に、この感染症の蔓延譲許を把握できます。

現実に検査するよりも正確に分かるということが重要です。

PCR検査では、感染しているかどうか分からず、また、検査した瞬間の状態しか分からないからです。

当時、経験豊富な医師数人に訊いたのですが、風邪・インフルエンザ・新型コロナなのか、その他の内科的あるいは外科的な問題によって発熱しているのかは、患者を見れば分かる。ただ、新型コロナの場合は、受け入れる枠組みが他と異なるので、検査が必要だと言っていました。治療方法は風邪と変わらないということでした。どうせ治す薬はなく、対症療法しかないので、呼吸が苦しければ酸素投与をするだけということでした。

検査はそういうために行うのであって、むやみやたらにすればいいというものではありません。むしろ、本当に必要とする人がすぐに検査を受けることのできる態勢でなければならないのですが、玉川氏の言うとおりにするとその整備ができないということになります。

病床の逼迫というウソ

その頃、筆者が疑問に思っていたのが、病床のひっ迫度合いでした。

コロナ専用病床が一杯であり、救急車でたらい回しにされ、診察を受けるまでに7時間かかったという報道があり、私たちは病床が足らないと思い込まされていました。

ところが、筆者たちは、ある毎日更新されるデータを見ていました。

そのデータは、全国のコロナ専用病床における酸素呼吸器、人工心肺の使用数を記録していました。全国のコロナ専用病床の80%をカバーしていました。

8割のデータが手に入れば、全国の状況を類推するのは簡単です。

ECMOの使用に関しては、いろいろな考え方があり、ある一定の年齢以上には使用しないとする医師も多く、30代、40代などでECMOで乗り切れば、完治することのできるという場合に使われることが多いかと思いますが、酸素呼吸器は、年齢や症状に関わりなく、患者が苦しがっていれば使用されるはずです。

その酸素呼吸器の全国での使用数を見ていたのですが、びっくりするほど少ないのです。

そこから類推して、コロナ専用病床のひっ迫というのは、なにか機能不全が生じているのではないかと考えていました。

私たちが連日情報番組で観るのは、救急病棟で医師や看護師が必死になって治療に当たっている様子でした。そのような映像が繰り返し繰り返し流されました。

ところが、コロナ禍が終わってからの会計検査院の検査で、コロナ専用病床は、コロナ患者がピークに達したときですら60%しか埋まっていなかったことが指摘され、国会に報告されました。

このことは、報道と大きな乖離があります。

何故、そのような乖離が生じたのでしょうか。

弊社ではその原因を追究しました。その結果、分かったのは恐るべき事実でした。

コロナ専用病床を整備するというのは簡単なことではありません。

そこで、病床一つ当たりかなり高額の補助金が出されました。

専用病棟を準備することを申し出た病院は、多くの犠牲を払わざるを得ませんでした。風評被害もありました。

ところがせっかくコロナ専用病床を整備しても、コロナ患者がどんどん入ってくるような状況にはなりませんでした。

そのため、専用病床用に待機していた医師や看護師などを通常のシフトに戻したのです。コロナ患者が入ってくれば、それなりに補助金などが出るのですが、待機しているだけでは通常の診療がおろそかになるだけで収益を生まないのです。

その結果、近くでコロナ患者が発生して受け入れを要請されても、ベッドは空いていてもスタッフがシフトに入っているのを急に引き抜くことができず、受け入れを断らざるを得ないという事情になっていました。

そのような対応をしなかったのが、私立病院、日赤病院、徳洲会の病院などです。それらの病院にはコロナと疑われる患者が次々に運び込まれ、たしかに戦場の様相を呈していました。

メディアは、コロナ禍の不安を煽りたいばかりにそれらの病院の様子を取材して繰り返し繰り返し流し続け、一方で同じ時期にガランとしてスタッフすらいない病床は撮影しませんでした。

当初、コロナ専用病床を整備してくれる病院を見つけるだけでも大変でしたので、そのような高額の補助金を準備する必要はあったでしょう。

ただ、その後、実際のコロナ感染者数に応じた対策を国が取らなかったため、収益が上がらない状況に対応できず、結果的に一部病院に過剰な負担となったということを教訓として、次に備えるべきです。

コロナ禍から教訓を導き出すのは専門家やメディアに任せてはならない

新たな感染症は10年に一度くらいは生まれますので、早急な対応が必要です。

コロナ禍から学ぶことについて、弊社は医学を専門としておりませんが、社会学の見地からもうんざりするほどの教訓が導き出せますので、それらは次回以降とさせていただきます。

医学的知識なしにコロナ禍を顧みることができることをご理解いただくとともに、それを巡る報道に騙されず、過ちを繰り返さないために必要なことをお考えいただきたいと願っています。