専門コラム「指揮官の決断」
第481回言葉
気になる言葉があります
近年、気になっている言葉がいくつかあります。
当コラムでは、これまでにメディアの「独断専行」という言葉遣いが間違いであると指摘してきましたし、某全国紙がコンプライアンスという言葉を使うためにカッコ書きで、(法令遵守)と入れるのが、この国のコンプライアンスの理解を間違わせる大きな原因であると指摘しました。
多くの方が「コンプライアンス」という言葉を「法令遵守」という意味だと思っています。
筆者が自衛隊を退官後再就職した商社で、あるとき社長が「それはコンプライアンス的に問題はないのか?」と訊いた際、総務部長が「顧問弁護士に確認します」と言ったので、筆者が「弁護士に聞いても分からないでしょう」と発言したら、参会者が一斉に「?」という顔をされました。つまり、皆さん「法令遵守」だと思っていたようです。
また、危機管理とリスクマネジメントの違いがこの国で理解されないのは、メディアが不勉強なためであると指摘してきました。
確かにこれらの言葉は、注意深く聞いていないと間違う怖れがあります。
しかし、筆者が最近気にしている言葉は、日常用語であり、その使い方や意味がしっかりと理解されていないのではないかと思うことが度々あるものです。
撤回という言葉
簗農水前大臣の自分を支持しなかった市町村長の自治体の予算を削ってやったという発言を巡って、農水大臣の資質を巡る議論が喧しく行われ、結局大臣の辞任ということになりました。
政治家がそんな発想であることなど常識の範囲であり、元々グレーだったものが、ちょっと黒に近付いただけでしょう。野党にしてみれば、政権攻撃の絶好の口実です。
農水政策に関しては、かなりの論客だったと聞きますが、その前大臣の顔を見れば、どの程度の男か一目瞭然です。
こんな奴に期待していた方が間違いです。
筆者は、こいつはもうちょっと狡賢いと思っていました。
ところが、もう逃げきれないとなると、当初と大きな変化を見せ「発言を撤回する」と言い出しました。
この政治家は「撤回」という言葉の意味すら理解していない頭の持ち主です。
政治家が過去の発言を撤回できるのは、将来について述べた場合のみです。
例えば公約です。公約を掲げて選挙を戦ったが、よく勉強してみると、その公約は実行できないことが分かったりした場合、その公約を撤回したりするのは筋が通っています。できもしないことをそのままにせずに正直に支持者に説明するのは論理的には間違いではありません。ただ、石破元首相が「公約を掲げて当選したからと言って、その公約どおりの政策を実施するということにはならない。わが党はそういうことをやったことはない」と述べたのは、最初から嘘をつくつもりの公約ですから許容されません。もっとも、彼は前言を翻す名人でしたので、その発言は一切信用できませんでしたが。
将来の予想や約束は撤回できても、過去にあった事実は撤回できません。それを「撤回します」というのは、「撤回」というのがどういう意味なのか理解できていないということで、こいつは狡賢いだけだと思っていたのですが、腹黒いだけでなく、狡賢くもない単なるバカであることが分かりました。要するに、当時、筆頭副幹事長という役職にあって、それを威張りたかっただけの話です。
とにかく、撤回というのは、無かったことにするということですから、簗前農水大臣の発言を撤回することは筋が通っていません。「自分を支持しなかった市町村長の自治体の予算をカットした」と発言したので、それは撤回ではなく、間違った発言であったと認めるなら筋が通っています。彼は、カットしたという事実はなかったと弁明していますから、それなら間違っていたのではなく、支持者に対して「嘘をついた」と認めるべきです。
筋が通っていないというのは怖ろしいことなんです。論理的な一貫性がなく、合理的な説明ができないからです。
筋を通すということは、反社の連中でも大切にすることであって、筋を通さない親分さんの組は早々に潰れていきます。
この政治家のバックグランドをよく知っている識者には、「本当の彼はそんな人間ではない、今回、辞任したのは、政権にこれ以上迷惑をかけたくないという苦渋の決断であり、日本を救った決断である」と評する人もいますが、冗談ではありません。
この政治家のお陰で、今国会において重要な消費税減税法案が審議未了に終わるかもしれなかったのです。
どんなに立派な思想を持っていようと、単に自分の権力を誇示したかっただけの卑しい政治家にすぎません。
すでに死語になっていると思ったのに
先の衆議院議員総選挙で、すでに死語になっていると思っていた「命がけで戦ってまいります」という立候補者の言葉を久しぶりに聞きました。
昭和の時代の選挙では乱発されていた言葉です。
筆者が政治家の言葉を全く信じなくなったのは、そもそもがこの言葉のためです。
筆者は、日本の憲政史上、公約を実現できずに自決した政治家を一人も知りません。汚職がバレそうになって自殺した閣僚は知っていますが、公約が実現できずに自決した政治家は、多分一人もいないはずです。
この連中の「命がけ」という言葉はその程度のものです。
せめて政治生命だけでも自分で絶てよと思いますが、そういう奴もいません。
その言葉を誰から聞いたかというと、たまたま街を歩いていて候補者の宣伝カーが走ってきてスピーカーががなったのです。
候補者は、それまで野党第一党だったのが突然別の党になり惨敗した党の候補者で、やはり落選しました。比例でも通りませんでした。
そいつが「皆様の日常生活を守り、皆様とのお約束を実現するため、命がけで戦ってまいりますので、是非、私を国会に送ってください」と声を限りに叫んでいました。
絶滅したと思っていた希少生物を発見したような感動があり、思わずスマホを取り出して 録画をしたのですが、その先で入ったカフェで見直して気持ち悪くなったので、あっさりと削除しました。
この一言に、連中の言葉の軽さが凝縮しています。
軍人が「命がけ」と言ったら、失敗したら帰って来ません。筆者たちが「命がけ」と言ったらそういう意味です。だから、めったにその言葉は発しません。ところが、昭和の時代の政治家は乱発していました。連中を信じなくなったのにはそういう背景があります。
政治家の言葉が軽くて信ずることができないということは、実は怖ろしいことです。特に軍人にとっては怖ろしいことです。
なぜなら、現代社会では軍は完全に政治がコントロールするからです。
軍人は政治の命令により、命がけの戦いを展開します。
その軍人が政治を信じないとき、訪れる帰結は二通りのいずれかです。
一つは、不本意ながら戦うことです。
嫌々ながら戦うわけですから、勝てるはずはありません。
もう一つは、軍が政治を信用せず、独自の判断で動き出すことです。つまり、軍の暴走です。
二・二六事件が典型です。この事件に関与した陸軍将校が愛唱したという「青年日本の歌」の歌詞には次のようなくだりがあります。
権門上に傲れども、国を憂うる誠なし
財閥富を誇れども。社稷を思う心なし
二・二六事件を首謀した陸軍の青年将校たちは、この歌を好んで歌っていたそうです。政治を軍人が信じないと怖ろしいのです。
現在の自衛隊が二・二六事件のような事件を起こすとは到底考えられませんが、嫌々ながら戦うという事態は予想されます。
特に、高市内閣の前の内閣のように、制服組から忌み嫌われている首相が最高指揮官なら、命がけで戦うという気力も出ないでしょうから、70年間積み重ねてきた防衛力整備が無駄になります。
政治家の言葉の軽さがこの国を亡ぼすのです。
