専門コラム「指揮官の決断」
第22回No.022 リーダーシップ論の変遷
私が学生の頃、ずいぶん昔の1970年代ですが、学問としての経営学を尊重していた経営者はほとんどいなかったのではないでしょうか。学問と実践は別だということで、大学で勉強した経営学が実業で役に立つと思っていた学生もほとんどいなかったように思います。もっとも、今でも実務家が経営学を尊重しているかどうか、極めて疑わしいものがあります。この経営学の実学性という問題に研究者の立場から取り組んでいるのは、私の知る限り中部大学経営学部長の辻村宏和教授だけかと思います。
私自身、経済学部経営学科に籍をおきながら、こんな学問が何の役に立つのだろうという思いを払しょくすることができず、他の学部への再入学を考えたこともあります。もともと私は考古学や天文学といった現実の社会とはあまり直接の関係を持たない学問に関心があったので、そちらに変わろうかと思ったことすらありました。
その理由は、当時の経営学が、どう見ても現実を説明しておらず、学者の机上の理論にすぎないように思えて仕方なかったからです。
会計学などはもちろん現実に即した学問だったのでしょうが、私が専攻しようとしていた組織論などは、どの論文を読んでも胡散臭く、社会科学としての方法論に従っているように見せてはいるが、やはり科学ではないと思っていました。
特にリーダーシップ論にはその匂いが濃厚で、当時の私は組織論を専攻することに決めておりながら、リーダーシップ論を毛嫌いしていました。「あんなものは科学じゃない。」と。
それではリーダーシップ論というのはどういう学問なのでしょうか。
リーダーのあるべき姿をめぐる議論は新しいものではなく、プラトンは『国家論』において、英知を持ったリーダーが国を治めるべきだと述べていますし、古代エジプトのパピルスにも似たようなことがいろいろ書いてあるそうです。
リーダーのあるべき姿について学問的な研究がなされ始めたのは20世紀初頭からで、当初はリーダーの持つ人間的な属性とリーダーシップの有効性との関係を巡っていろいろな調査がなされました。背が高い方がいいのか、髪は黒い方がいいのかなどの身体的特徴や精神的、性格的特性、知性などあらゆる項目について、成功しているリーダーと失敗したリーダーについて比較がなされました。その結果、皆が驚いたのは、それらの属性とリーダーシップの有効性の間に顕著な相関関係はないという事実でした。つまり、リーダーシップにおける特性論は否定されたのです。
特性論の失敗を受けて1940年代に登場してきたのは「リーダーシップ行動論」と呼ばれる考え方であり、有効性をリーダー個人の特性に求めるのではなく、どのような行動がリーダーシップの有効性をつくり出しているのかを明らかにしようとするものです。
この議論は極めて活発に行われ、経営学史に残る様々な有名な実証研究がなされました。レヴィンのアイオワ研究、リッカートのマネジメントシステム論、ブレイク及びムートンのマネジリアルグリッド論などが有名です。
これらの理論は大方が、リーダーシップをタイプ別にいくつかの類型に分類し、その有効性を比較検討するものであり、当時の世相を反映したものか、独裁的・専制的リーダーシップよりも参加的・民主的リーダーシップをとるほうが有効性が高いという研究結果が数多く発表されています。
私はこれらの論文をうんざりしながら読んでいました。どの研究を見ても、それが信頼のおける社会調査の技法を用いて調査された結果なのかどうかわからず、結論ありきでこじつけているようにしか思えなかったからです。「参加的・民主的」リーダーシップスタイルと「専制的・独裁的」リーダーシップスタイルとを比べて、「参加的・民主的」スタイルが有効であるというのがこじつけでなくて何であろうというのが私の感想でした。
ある論文などは米陸軍の高射砲部隊の訓練射撃の成績とその指揮官のリーダーシップスタイルについて研究し、民主的リーダーシップをとった指揮官の部隊の成績が一番良かったと結論付けていて、さすがに大学生だった私でも「いい加減なことを言うな!」と思っていました。
後年、私は海上自衛隊に入隊し、幹部となって艦隊勤務に就くことになります。ある船の射撃の配置に就くことになり、広島県江田島にある海上自衛隊の術科学校で射撃理論や射撃指揮装置の構造、射撃指揮法などを学ぶことになるのですが、ここでわかったことは、あの論文の研究が行われた頃の高射砲は命中しないのが普通であるということでした。
高射砲が航空機を狙って撃墜できるようになったのは、レーダーが実用化され、レーダー情報により高射砲をコントロールする射撃指揮装置が実装されてからです。射撃用レーダーが開発されるまでの高射砲の射撃は弾幕を作るだけであって、当たるのは偶然にすぎず、リーダーシップの類型によるものではないのです。私の学生時代の直観は正しかったのです。
当時日本ではリーダーシップ論と言えば、三隅二不二氏が大御所であり、そのPM理論を批判するなどということは私のような若造にはとてもできることではありませんでした。
PM理論というのは、リーダーの計画を立てたり指示を与えたりする目標達成機能であるP機能と、集団の雰囲気を良好に保ち、維持しようとする集団維持機能であるM機能に着目し、その要素が強い時に大文字、弱い時に小文字を使い、リーダーシップをPm, pM,
pm , PMに分類するものです。そして、集団の意欲が低い場合にはPm型リーダー、メンバーにP気質が多い場合にはpM型リーダーシップによってまとめることが望ましいが、理想的にはどちらにも力を注ぐPM型が最も望ましいと主張するものです。
これを説明するために三隅氏はある工場の女工さんのパフォーマンスなどを丹念に調べて論文を著されているのですが、私には最初から結論ありきの出来レースにしか見えないのです。どちらにも力を注ぐPM型が理想だという結論は、小学生だってそう思うでしょう。
さすがにその後、学会はリーダーシップ行動論の限界に突き当たって、リーダーシップの有効性は状況依存だと言い始めるようになります。いわゆるリーダーシップのコンティンジェンシー理論です。しかし、これらもリーダーシップの類型論の限界を超えておらず、ただ、参加的・民主的なのがいいというようなステレオタイプの結論ありきではなく、時と場合によって有効なリーダーシップのスタイルは異なるという当たり前のことを言っているだけであり、ここにいたって私はリーダーシップ論の研究に見切りをつけたのでした。ちょうどその頃、グレアム・アリソンの『決定の本質』を読み、組織論の中での専攻を、あっさりと意思決定論にすることに決め、リーダーシップ論に別れを告げたのです。
後年、海上自衛隊に入隊した私の前に、リーダーシップ論は全く別の形で現れてきました。一年間の幹部候補生学校の教育を受けて幹部自衛官に任官し、自分の父親のような年齢の部下を率いて戦場に出なければならない候補生たちの前に、それは「統率論」として現れてきたのです。ただし、候補生学校で統率のノウハウを教えることはありませんでした。ただひたすら、幹部としての自覚をすることを要求され、どうやって部下を戦場に率いていくのかは自分で探し求めることが要求されたのです。これは学問ではなく、実践でした。私にとっては学会の議論よりもしっくりくる課題でした。
私は組織学会の会員ですので、組織論の動向については大学院を離れた後も見てきました。組織論の研究において、その後のリーダーシップ論には見るべきものがありません。最近の学生の論文などを見ても、いまだにPM理論などに論及しているものも見受けられます。社会科学の議論としてのリーダーシップ論は停滞期に入っているようです。
近年、部下のやる気を引き出す方法としてコーチングと呼ばれる研究が大きな進展を見せています。ただし、これも注意しないと机上の議論に終始しているものが見受けられます。部下をいかに引っ張っていくかというのは、人と人のあり方についての考察ですので、単なるテクニックでできるものではありません。コーチングのガイドブックにはそれを勘違いしているとしか思えないものが多々あります。
しかし、人を率いていくための黄金律が無いわけではありません。私が確信をもってお伝えできる黄金律が一つだけあります。
出し惜しみはいたしません。
それは、部下に関心を持ち、可愛いと思うことです。たとえ会ったことのない遠方の支部にいる部下に対しても、深い関心を持ち、可愛いと思えること、そうなることが自信を持ってお勧めえきる黄金律です。
本コラムを訪れておられる指揮官の皆様には釈迦に説法なはずです。しかし、将来の指揮官を目指している皆様には、是非、この黄金律を実践して頂きたいと思います。一人一人の部下に深い関心を持つ。そうすると、部下が可愛くて仕方なくなってくることを保証いたします。そして、部下が可愛くて仕方なくなってきたその時、皆様は部下にとって、尊敬してやまない上司になっていることをお約束いたします。
怖気を振るうような難しいことではありません。一人一人に関心を持てばいいだけなのです。
このコラムでも度々申し上げておりますが、危機管理に強い組織を作るために必要なのは、膨大な予算でも、新たな部門でも、専門家でもありません。指揮官の皆様のちょっとした気遣い、気配り、心構えなのです。