専門コラム「指揮官の決断」
第84回No.084 都市伝説
伝説の跋扈する世界
ある都市伝説が跋扈しています。
都市伝説とは専門的にいうと民俗学の領域に関わるものですが、ここではより一般的に大辞林の定義を採用し、「口承される噂話のうち、現代発祥のもので、根拠が曖昧・不明であるもの」とでもしておきたいと思います。
何のことを言っているのか?と訝る方もいらっしゃるかと思います。
「危機管理」です。
専門家によって誤解がもたらされる重要な概念
かつて当コラムでも危機管理の概念について何回か言及しています。特に、クライシスマネジメントとリスクマネジメントの概念の違いについてイルカとサメの違いであると述べたものを覚えておられる方も多いかと存じます。(専門コラム「指揮官の決断」 No.033 「リスクマネジメント」VS「クライシスマネジメント」 https://aegis-cms.co.jp/590
私は当コラムにおいてこれまでも度々、ある重要な意味を持つ言葉の概念が、それを理解しない学者や評論家によって捻じ曲げられ、その結果、本来の意味とは異なる意味で解釈されるようになり、その言葉が持つ本来の重要な役割を果たせなくなっていくことの危険性に論及しています。
例えば「独断専行」です。詳しくは、専門コラム「指揮官の決断」No.067 「独断専行」の意味 https://aegis-cms.co.jp/1030 をご覧ください。
この中で、独断専行は現場指揮官が適切に事態に対応しなければならない際に行わなければならないものであり、それを行わなかった現場指揮官は当初の指示をいくら遵守しても免責されないと指摘しています。
ところが、多くの学者・評論家によって、あたかも「独断専行」が悪であり、やってはならないことのように論述された結果、世間一般がそのように誤解してしまったのです。
「独断専行」ができなければ、目まぐるしく変わっていく状況に対してもその都度指示を待つことになり、臨機応変に対応できないにもかかわらずです。
捻じ曲げられた「危機管理」
同じように「危機管理」の概念についても、それを理解しない学者や評論家により意味が捻じ曲げられ、その導入に大きな障壁となっていることに危機感を持っています。
私は本来の危機管理は、活気ある組織を作り、事業を伸展させ、危機に臨んでは毅然と対応し、その危機を飛躍の機会に変えていくものであるはずだとことあるごとに主張しています。
つまり、危機管理が適切になされていれば、組織は順調にその業績を伸ばし、危機にたじろがず、ピンチをチャンスに変えていくことができるというものです。
しかし、企業経営者の多くは、危機管理にはお金がかかる、行政や大企業が行うものと考えています。
専門部門を設立し、専従員を採用しなければならない、あるいは高額なコンサルティング料を払わなければならないとお考えなのです。
そして、その費用の掛かった危機管理が、本当に役に立つのかどうかもよく分からない、想定外だったらどうするんだ?というのが本音かと推察されます。
したがって、危機管理の重要性は理解するものの、まず収益を上げてから、とお考えの経営者が圧倒的多数です。
これは多くの経営者の方々が、危機管理の概念を誤って認識されているからにほかなりません。
このように危機管理の概念が消極的に認識されてしまった理由はたくさんあるのですが、やはり学者やマスコミの無知・誤解が原因となっていることが大きいように思われます。
一例をあげます。
リスクマネジメントを学問的に研究した先駆者に関西大学の故亀井利明教授がおられます。
この方の著書に次のような記述があります。
「それゆえ、リスクマネジメントと危機管理はどう違うのかということが往々にして問題となる。しかし、どちらも危険克服の科学や政策で、そのルーツを異にするに過ぎない。強いて区別するならば、リスクマネジメントはリスク一般を対象とするのに対し、危機管理はリスク中の異常性の強い巨大災害、持続性の強い偶発事故、政治的・経済的あるいは社会的な難局などを対象とする。
それゆえ、危機管理とは家計、企業あるいは行政(国家)が難局に直面した場合の決断、指揮、命令、実行の総体をいうが、とくにリスクマネジメントと異なるところはなく、その中の一部を校正しているにすぎない。」
「リスクマネジメントという言葉が一般に知られるようになると、その内容の十分な展開なしに、言葉だけが一人歩きをし、リスクマネジメントが企業の発展ないし成長のための何か有難い特別のマネジメントやノウ・ハウのように思ってしまう人がいる。これはとんでもない誤解である。リスクマネジメントは決して企業成長や収益増大を志向した攻撃のマネジメントではなく、企業保全や現状維持のための企業防衛のマネジメントである。それは決して積極的に収益や利益の増大には機能しない。しかし、収益にチャージされる費用(とくに危険処理費用)の節約を通じて間接的に利益増大に機能する面は有している。」(『危機管理とリスクマネジメント』同文館出版 P8)
リスクマネジメント研究の先駆者、第一人者がこのような主張をされるので、多くの方々が誤るのも無理はありません。
亀井教授は危機と危険性の根本的な相違を認識せずに議論されています。
リスクは評価して取るか取らないかを慎重に判断しなければなりません。あらゆるリスクを排除すると企業は何もできないからです。
一方の危機(クライシス)は、取る、取らないの判断をすることができません。避ける努力をすべきですが、避けられないものもあります。
両者は根本的に異なる判断をしなければならない性質のものであり、それを先にサメとイルカの違いという言葉でお伝えしたのです。
また、亀井教授はリスクマネジメントの専門家でありながら、リスクマネジメントにより企業が何を得るのかも理解されていないようです。
企業は適切なリスクマネジメントを行うことにより、リスクを味方につけて競業に対して優位に戦いを展開できるようになります。つまり、リスクマネジメントは企業成長や収益増大を志向した攻撃のマネジメントであり、企業保全や現状維持のための企業防衛のマネジメントでないのです。
ただし、リスクマネジメントは高度に専門的な内容を含みますので、素人が手を出すべきものではありません。つまり、専門分野に専門家を配置することが必要です。
その専門家たちの役割は、危機を回避することではありません。
危険性を評価し、経営に生かすことが彼らの使命です。
取らなくともよいリスクを避け、負担すべきリスクを見極め、ビジネスチャンスを逃さない、これが彼らの使命です。
都市伝説に惑わされてはいけない
いずれにせよ、リスクマネジメント研究の先駆者の段階から、危険性(リスク)と危機(クライシス)の意味を理解せずに議論がなされてきたので、経営学における危機管理の概念が捻じ曲げられたのは致し方ないと言わざるを得ません。
ちなみに危機管理の概念がこのように誤解されているのは経営学の分野だけであり、国際関係論などの分野においてはこのような誤解は見られません。
この危機管理、リスクマネジメント、クライシスマネジメントの概念の混乱は、阪神淡路大震災の後に顕著になり、現在ではその誤った概念が定着してしまいました。
その結果、危機管理はお金がかかる、専従の部門が必要といった誤解も定着してしまい、中小・零細企業は、私から言わせれば、潰れる必然性など全くない些細な理由であっという間に消えてなくなってしまいます。
「独断専行」の場合も同様ですが、高名な学者や評論家がしっかりと理解せずに言葉を使うと凄まじい悪影響を及ぼします。
都市伝説は、自ら検証せずに信じてはならないのです。
デカルトを追いかけよ
しかし、何が都市伝説なのかを見極めるのは極めて難しいことです。
かつてデカルトは、「我思う。ゆえに、我あり」と述べました。
彼は世の中で公理とされているあらゆるものを疑い、それらを自分で検証しようとしました。そして、あらゆるものを疑い、それを検証しようとしている自分がいることだけは間違いないことに気付いたのです。
このデカルト的立場が、極めて重要な意味を持つ世の中になりつつあるようです。