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専門コラム「指揮官の決断」

第85回 

No.085 船乗りの皆様 ヨットにご用心ください

カテゴリ:コラム

小型船舶の船長の資格とは?

 
 あらゆる船舶の運航に関わる皆様に、とても残念なお知らせをしなければなりません。

 船舶の運航に必要な免許の更新に出かけて唖然として戻ってきました。
 更新に際して、講習を受けなければなりませんが、最近の海難事故の特徴や関係法令の改正等について説明してくれるので、私は比較的熱心にノートを取ったりして聞いています。
 ただし、このたびは呆れかえって帰ってきました。

 もともと総トン数20トン未満の小型船舶に関する法律は、おかしなものが多く、どうしてこのような法律が成立するのか理解に苦しむところが多いのです。
 
 例えば、小型船舶の船長になるためには、指定養成施設で講習を受けて修了試験に合格するか、試験場で筆記試験と実地試験を受けて合格するかしなければなりません。
 ところが、この実地試験は小型のモーターボートを使って行われ、帆走の試験はまったく行われません。
 つまり、ヨットに一度も乗ったことがない人でも、モーターボートでの実地試験に合格するとヨットの船長になれてしまうのです。
 
 どちらが扱うのが難しいか、説明の余地はないとは思いますが、あえて説明させていただきます。
 モーターボートは、車のハンドルのような操舵輪を回すと、回した方向に回した分だけ進路を変えていきます。
 また、スロットルのレバーを前に倒すと倒した分だけ速くその倒した方向へスピードを上げていきます。戻すとスピードが落ちてきて、反対側に倒すと逆のギアが入ります。
 車と違ってブレーキがないので、前進の勢いを止めるには、ギアを後進に入れる必要がありますが、慣れるとたいしたことはありません。慣れるのは試験に使うような小さなボートなら5分もあれば十分です。
 まあ早い話が気の利いた猿なら動かせます。
 
 一方のヨットはどうでしょうか。
 進路を変えるには、セールが張り出している舷を変えなければなりません。
 向かい風で走っている場合は、下手をすると船が止まってしまい、追い風で走っている場合にはブームと呼ばれる横木が思い切り勢いよく振り回って、ぶつかると大けがをしますので要注意です。
 スピードを落とすのはそれほど難しくはありませんが、早く走るには技術が必要です。
 後進をかけるのは小さなヨットではできないことはありませんが、キャビンの付いているようなヨットではまず無理です。
 やらせた経験はありませんが、ヨットの操船は多分チンパンジーには理解できないでしょう。
 
 このようにモーターボートより格段に難しい操船をしなければならないのに、モーターボートさえ扱うことができればヨットの船長になれてしまうのです。
 こんな免許は他に存在しないでしょう。
 私は飛行機の操縦資格を持っていますが、操縦できるのは陸上で離着陸する飛行機だけです。水上機の操縦はできません。飛行船も操縦することができません。グライダーも駄目です。
 ましてヘリコプターの操縦などとんでもないということになっています。
 
 つまり、総トン数20トン未満のヨットの船長は、全くヨットに乗ったことのない素人かもしれないのです。
 それだけでも十分に恐ろしいことで、他船は十分に気を付けなければなりませんが、最近の海上衝突予防法の改正で、もっと恐ろしい状況が生じているのです。

 

事故を防ぐための法律が改悪された?

 それは、小型船舶が港内や船舶の輻輳する海域を航行する際は、免許を持ったものが操舵しなければならないということなのです。
 
 船をご存知ない方は、何が変なのかといぶかっておられるかと思いますが、自動車と違い、船は船長が直接舵を取っていることはまずありません。
 
 内航の小さい船で乗組員が極めて少ない場合には船長が舵を取っていることもありますが、大きな船では船長が舵を取ることは無く、操舵員という専門の乗組員が舵をとっており、船長はその操舵員に対して指示を出しているのです。
 それはよほど小型の船でない限り、舵をとる場所からは外が見にくく、的確に操船の指示を出すためには、右や左を動き回り、あるいは後ろを覗き込んで四方の状況をよく把握しなければならないからです。一方の操舵員は、船の針路が触れ回らないようにしっかりと舵を取り、羅針盤とにらめっこしていなければならないのです。

 ところが、改正法では港内や船舶の輻輳する海域では免許を持ったものが操舵をしなければならないと定められており、船長しか免許を持っていなければ、船長が自ら操舵しなければならないのです。
 
 試験に使う全長5メートル程度の小さなオープンボートであればあまり問題はありません。
 しかし、総トン数20トン近い大型のモータークルーザーでは、ブリッジも相当大きく、操舵輪のところからは前ははっきり見えても左右の視界は必ずしもよくなく、まして後ろは左右のウイングへ出なければ見えない船もあります。
 つまり、周囲の状況を見てどのように走るかを判断すべき船長が、港内や船舶が輻輳する危険な海域で周囲を十分に見ることができない操舵員の位置にいなければならないということなのです。
 

ヨットは適切な見張りができないかもしれない

 百歩譲ってモータークルーザーの場合は我慢するとしても、この改正法は帆走するヨットにとっては致命的です。
 ヨットは帆走する際に風下に大きなセールを張り出しますので、船の後部にいる操舵員の位置からは前方の風下側が見えないのです。
 
 ヨットで前方の風下側をしっかり見るためには船の最後尾から風下側に身を乗り出すか、船首に行ってセールの前縁より前から見るしかないのです。
 
 この場合、誰がそれを見るのが正しいのでしょうか。
 行き交う船を観察し、衝突のおそれを見抜き、適切な回避動作を指示できる者が直接見るのが最も望ましいのは当然です。
 船長の資格を持ったものが一人しか乗っていない場合、船長が直接それらを見て判断しなければならないのは自明の理です。
 もちろん、いくら気が利いていてもサルには無理です。
 
 しかし、改正法はそれを許さないのです。
 資格保持者が舵を握っていなければならないと規定しています。
 つまり、小型のヨットでは、しっかりとした知識・経験のある者が見張りをしているとは限らないのです。
 
 海上における衝突事故を防ぐために海上諸突予防法という法律があります。国際的な条約を受けて制定されているので、この法律に規定される船舶の運航方法は万国共通となっています。
 その海上衝突予防法には、次のように規定されています。
 「船舶は、周囲の状況及び他の船舶との衝突のおそれについて十分に判断することができるように、視覚、聴覚及びその時の状況に適した他のすべての手段により、常時適切な見張りをしなければならない。」
 つまり、周囲の状況について十分に判断できるような見張りが行われなければならないと規定されています。
 
 衝突のおそれを判断するというのは、かなりの経験と洞察力を必要とします。
 2隻の船の関係だけでも、注意深く観察しなければ衝突のおそれがあるかどうかわからないのですが、衝突のおそれがあるとして回避行動を取ると、今度は新しい針路上で別の船との衝突のおそれが発生するかもしれず、それらを見越したうえで適切に回避しなければならないからです。
 この法律を改正した当事者たちは、見張りよりも舵を取ることの方が技量が必要だと思い込んでいる節があります。船に乗ったことの無い者の発想としか思えません。
 サルにできることとできないことの違いが分からないのです。

 ヨットの付近を航行する際、船乗りの皆様はこのことをよく肝に銘じて操船されるようお願い申し上げます。
 
 

ヨット乗りを育てることすらできなくなった

 さらにこの法律の問題は、横浜、東京、名古屋、大阪など大きな港の中にあるマリーナに係船されている船にとっては致命的です。
 
 この海域では常に有資格者が舵を持たなければならないため、若いクルーに操船の指導をすることができないのです。実際に舵を持たせて操船させる訓練ができません。
 この法律改正には海上保安庁も関わっているのだろうとは思いますが、小型帆船の特殊性を全く理解しない役人の発想での改正(改悪?)です。自動車しか運転したことの無い役人が考えそうな法律です。

法律の改悪はなぜ行われるのか

 私たちが気を付けなければならないのは、この程度のことはあらゆる分野で起きているおそれがあるということです。
 ご承知のとおり、法律は国会で成立します。議員立法というものもないわけではありませんが、大多数は内閣が法律案を国会に提出して審議してもらいます。行政府は根拠となる法律が無いと行政事務が執りにくいからです。
 つまり、行政府の業務執行がしやすいように法律が作られて行きます。
 
 例えばこの度の小型船舶の操縦に関する改正は、一方的に取り締まる側の便宜で行われた改正であり、将来のヨット乗りを育てようなどと言う発想は全くありません。
 
 何故私がこのように断言をするのか。

 実は、この小型船舶に対する訳の分からぬ規制をしておきながら、それ以前の改正で、全長3m未満、機関出力1.5Kw以下のエンジンを搭載するボートを操縦するのには免許を不要としているのです。
 これらのミニボートと呼ばれるおもちゃのようなモーターボートを操縦するのには免許もいらず、安全検査を受ける必要もなくしてしまいました。
 これがどういうことかと言うと、ミニボートがエンジンで走っている時、そのボートを操縦している者は、他船と衝突の恐れがある場合に、どのように衝突を回避すべきか知らなくてもいいということです。
 
 船舶が他船と衝突する恐れがある場合、法律によってどのように避けるかが規定されています。
 具体的には針路を保持すべき船と相手船の針路を回避すべき船とに分かれ、その回避動作だけは衝突が回避できないと判断される場合には針路を保持すべき船も最善の協力動作を取らなければならないことになっているのですが、ミニボートを操縦している者はそれを知らないおそれがあるのです。
 針路を保持する義務も回避する義務も知らないので、衝突のおそれがある場合にどのような動きをするか分からないというのは、相手船から見ると恐ろしい存在です。

 そのような改正をした一方で、それより大きな船では、資格を持った者が、もっとも見張りに適した場所ではなく、舵を取っていなければならないという改正をしたのです。海上交通の安全確保という観点からは全く矛盾です。

 背景は極めて明白です。
 
 ミニボートを無免許にし、安全検査を免除すると、マーケットが拡大するからです。
 長く続いた不況のため、バブル期のように高価な大型モータークルーザーが飛ぶように売れた時代が終わり、景気が戻ってきてもボート人口が戻ってきません。
 一方ヨット乗りはほぼ絶滅危惧種と言われるほど減少しました。
 
 つまり、業界が期待をかけている海洋性レジャーは釣りであり、湾内で手軽に釣りができるミニボートの免許や安全検査に関して、業界の要望があったことは間違いありません。

 行政の便宜や業界の圧力によって法律は成立したり改悪されたりしているのです。

すべては私たちの責任

 先に私は当コラムで、権力に責任を追及すると彼らに権限を与えることになることについて言及しました。(専門コラム「指揮官の決断」 No.082 誰の責任? https://aegis-cms.co.jp/1137をご覧ください。)
 権力は自らの業務のやりやすさ、あるいは業界の要望などにしたがって、どのようなことでもやってのけます。

 それをしっかりと見据え、将来に向かってこの国と社会の行く末を考えて選択し、行動するのは私たちに課せられた義務でもあります。
 この国と自分たちの将来には自分で責任を負わねばなりません。

 誰の責任でもありません。