専門コラム「指揮官の決断」
第113回No.113 感性の劣化がもたらすもの
国会の審議に見る官僚の感性の劣化
出入国管理法改正案についての国会審議が続いています。
衆議院法務委員会での審議を聞いていて「アレ?」と思ったことがありました。
山下法務大臣が提案提出理由の中で、多くの外国人技能実習生が失踪している理由として「最低賃金以下を含む低賃金に不満を持ち、より高い賃金を求めて」と説明したのです。
「エッ?」と思っていたところ、質問に立っていた立憲民主党の山尾志桜議員が「契約賃金や最低賃金以下というのは正当な権利主張をしているのであって、それを不満と表現するのは不適切だ。」と指摘しました。
この指摘は極めて妥当です。
「現賃金に不満があってより高い賃金を求めている。」というのと「最低賃金すらもらえないために逃げ出した。」と言うのはまったく異なる印象を与えてしまうので、言葉を慎重に選ばなければなりません。
まして論戦の場は法務委員会です。法務委員会において最低賃金が守られていない状況に「不満をもった」という程度の認識で臨んでいる法務大臣というのも恐るべきです。
しかし、これは答弁を書いた法務省の官僚の不始末です。大臣がどんな間抜けでも、国会でしっかりと答弁できるように資料を作るのが役人の仕事なのです。
さらに付言すれば、このところ国会に提出する各省庁の資料の数字の誤りが多いように思われます。
技能実習生の実態に関するデータが改ざんされていたり、各省庁における身体障碍者の雇用数が水増しされていたり、超過労働時間に関するデータがどう見ても辻褄が合わなかったりという事例が続出しています。
これは官僚のチェック能力が落ちているか、データ改ざんを隠し通す能力が低下しているかのどちらかであり、いずれにせよ官僚の能力低下の証左です。
私はかつて一時制服を脱いで防衛省の内部部局へ出向していたことがあります。
装備行政を司る部局の総括課での勤務であり、当然、国会の会期中は毎晩、防衛省への議員の質問に備えて待機していました。
前日中に送られてくる議員の質問の事前通告を受け取って大臣の答弁書を書くのです。
数字については関連資料を基に何度も何度も計算が繰り返され、関連資料も何種類も集めてクロスチェックを重ねました。データを誤るなどという基本的なミスで 大臣に謝罪させるわけにはいかないという官僚のプライドがあったのです。
また文言についても、それぞれの表現が与える影響などが議論され、国語辞典を常に脇において、適切な表現がないかを探し続けました。
そして、その結果の案を合議すべき関係省庁に送ると、そちらでも同様の検討が加えられ、明け方近くになって戻ってくるのです。
内部部局での出向を終わり、海幕に戻っても同様の作業を行いました。内部部局で答えることのできない専門性の強いものについては各自衛隊の幕僚監部で回答案を作成するからです。
この「等」には何が含まれるのか、「である。」と断言すべきなのかどうか、など一言一言について慎重に検討していたものです。
自衛隊も例外ではなかった
ところが、私の出身母体である自衛隊においても、とんでもない誤りが平気でなされているのを発見し、暗澹たる思いに駆られています。
平成30年度の自衛隊観閲式のビデオを観ていた時のことです。
冒頭に「只今、防衛大学校学生隊を先頭に観閲部隊が入場してまいりました。」という女性のアナウンスが流れたのです。
さらに驚いたのは、部隊が勢ぞろいした後、勢ぞろいした部隊を当日指揮する総指揮官が栄誉礼を受けたのですが、その時の号令が「観閲部隊指揮官に対し敬礼」という号令だったのです。
観閲式を詳しくご存じない方のためにちょっと説明させて頂きます。
観閲式とは自衛隊の最高指揮官である内閣総理大臣が観閲官として事態の部隊を観閲(軍隊などの状況を高官がその目で見て確認すること)する儀式であり、陸・海・空自衛隊が持ち回りで開催します。統合運用が始まっているので陸上自衛隊が担当する観閲式にも海上自衛隊部隊が徒歩行進で参加し、海上自衛隊の観艦式にも輸送艦に陸上自衛隊部隊が戦車などを搭載して総理大臣の観閲を受けています。
観閲式の次第は、まず、観閲を受ける部隊が観閲式会場に整列し観閲官である内閣総理大臣の到着を待ち受けます。
内閣総理大臣が到着すると部隊の栄誉礼を受けます。その後、整列した部隊に対して観閲官である総理大臣が巡閲を行います。これは整列している部隊の前を通りながら部隊の威容、服装容儀などを点検する儀式です。
基本的には観閲の行事そのものはこれだけなのですが、通常はその後に各自衛隊の部隊が徒歩行進や車両による行進などを音楽隊の演奏に合わせて披露します。
海上自衛隊の実施する観艦式はどうでしょうか。
海軍の観艦式は通常、湾内に錨を打って停泊している艦隊を観閲官である最高指揮官(国王や大統領)が専用船に乗って観閲して回るという形で行われますが、海上自衛隊は他の国とは全く異なるやり方で行います。
観閲を受ける艦艇部隊と観閲官が乗っている船の双方が動きながら行うのです。
海上自衛隊の観艦式では、東京湾各地から出向してきた艦隊が城ヶ島の南東の海域で集結して隊形を整え、進路を真西に向けて航行を開始します。
そしてその先頭艦が定められた時刻(正午)に城ヶ島灯台の180度5マイルのポイントを通過します。15秒とズレることはありません。
一方、観閲官を乗せる船はあらかじめ初島の東方に進出し総理大臣がヘリコプターで乗り込んできます。艦内で栄誉礼を受けた総理大臣は艦橋のトップに上り、東から部隊が近付いてくるのを待ち受けます。
定刻(通常は正午)、艦艇部隊が城ヶ島の真南5マイルのポイントに差し掛かった瞬間、観閲官が乗った船もその真南の一定距離のポイントに達しています。つまり、正午ピッタリに真西に向かう艦艇部隊の先頭艦の艦橋と真東に向かっている観閲官が乗っている船の艦橋が城ヶ島の180度5マイルのピンポイントですれ違うのです。
この瞬間に登舷礼式により乗員が甲板に整列している艦艇部隊から観閲官に対し敬礼が行われ、以後、各艦が順次敬礼をしながら通過していきます。
全ての艦艇の敬礼が終わった瞬間に逆方向から航空部隊の航空機が観閲官の真横を通り過ぎて前方に飛び去って行きます。
これが海上における観艦式です。
この動きながら行う観艦式を秒単位の正確さで行うことのできる海軍は現在、世界で海上自衛隊だけなのです。
なぜ、冒頭のアナウンスが問題になるのかを説明します。
海上自衛隊の観艦式においては観閲を受ける艦隊と観閲官が乗った船が異方向に走っています。観閲官の乗った船は単艦ではなく、何隻かの随伴艦を伴っています。
つまり、この観閲官の乗った船の集団が観閲部隊であり、観閲を受ける艦隊部隊の方は受閲部隊なのです。観閲部隊とはあくまでも観閲官の側の部隊を指すのです。
したがって観艦式ではその違いをはっきり観閲部隊と受閲部隊として分けて表現しています。
朝霞駐屯地の陸上自衛隊の担当する観閲式では観閲官である総理大臣はひな壇に上って観閲しています。つまり、そこには観閲する側の部隊が存在せず、受閲部隊がいるだけなのです。
したがって、最初に入場してくるのも観閲部隊ではなく受閲部隊であり、指揮官も観閲部隊指揮官ではなく、受閲部隊指揮官なのです。
陸上自衛隊はこれを理解していないのかもしれません。
敢えて言えば、「観閲式部隊」あるいは「観閲式参加部隊」という表現なら間違いではありません。しかし、「観閲部隊」という表現は明らかな誤りです。
多分、最近は自衛隊においても私たちが若い頃のように言葉に対する厳密な使い分けの意識が無いのかもしれません。
何が問題なのか
先に当コラムで「独断専行」という言葉の意味が誤って使われていることを指摘しましたが(専門コラム「指揮官の決断」 No.067 独断専行の意味https://aegis-cms.co.jp/1030 )、誤って使われていることが日常的になると、それが正しくて、言葉の意味が変わったのだと考えられてしまうおそれがあります。
「独断専行」に関しては学者ですら誤って使うことがあることを指摘しましたが、誤りが定着すると誤りではなくなってしまうのです。
言葉の意味が歴史的に変遷してくるのは仕方のないことで、その言葉が新しい概念を表現するために意味を変えていくことは当然なことかもしれません。
しかし問題なのは、概念の変遷によって言葉の意味が変わっているのではなく、単に感性が劣化して誤って使われていることが多いことです。
危機管理上の問題を惹起しかねない
このような感性の劣化は危機管理上の問題を惹起します。
状況が変化していることへの気付きがない、あるいは大きく遅れてしまうことです。
危機管理を担当するためには、このような僅かな変化などに敏感に反応できなければなりません。ちょっとした情勢の変化、音、匂いなどあらゆる感覚に訴えてくる微妙な変化を見逃さず、それが何なのかを確認していく感性がなければ危機に対応できないのです。
私がプロトコールを危機管理上の重要なファクターと位置付けているのはそのためです。
一流のおもてなしのできる旅館の女将は、いかなる変化も見逃さず、あるべきものをあるべきように整えてお客様を待ち受け、お客様の表情や言葉のニュアンスなどから様々な情報を得ていきます。
この感性が危機管理にも大きく役に立つのです。
国会で大臣が答弁する資料に用いる言葉にすらそのような神経を使うことのできない官僚に危機管理ができるとは考えられないのです。
観閲式のアナウンスについては次のURLでご覧いただけます。
https://www.youtube.com/watch?v=lq9XwviEJRk&t=4071s