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専門コラム「指揮官の決断」

第115回 

No.115 海を舐めるな

カテゴリ:コラム

シュノーケリング体験で起きた事故

 当コラムでは以前に「海を恐れるな、畏れよ」というタイトルの記事を掲載いたしました。(専門コラム「指揮官の決断」 No.096  海を恐れるな、畏れよ https://aegis-cms.co.jp/1229 
 今回はもっと強く、「海を舐めるな」です。

 12月5日、オールトラリア・ケアンズに研修旅行中であった新潟県の私立高校の生徒がシュノーケリングの体験中に死亡するという事故が起こりました。
 楽しみにしていたであろう海外研修旅行で若い命を落とした本人の無念さや送り出した親御さんの胸中を思うとやり切れません。

 この事故について、私は報道されている範囲でしか承知していません。
 報道されている内容は次のとおりです。
・オーストラリア・ケアンズへの研修旅行に213人が参加し、ケアンズ沖のグリーン島で70人がシュノーケリングを体験していた。
・70人のシュノーケリング体験を教員7人が引率していた
・浅瀬での体験のためインストラクターなどはつけていなかった
・付近を泳いでいた人が男子生徒が沈んでいるのを発見した
・ライフセーバーが救助に当たったが、死亡が確認された。

 事故原因や安全管理態勢についてはこれから究明されていくのであろうと思いますが、現時点で報道されている以上の内容が事実であるとすれば、恐るべきことです。

 70人のシュノーケリング体験を7人の教員が引率したということがまず信じがたいことです。 
 引率にあたった7人の教員がどの程度のシュノーケリングの経験を持っていたのかは不明ですが、彼ら7人が全てシュノーケリングのインストラクターができるほどの経験を持っていたとしても、70人を引率するのに7人では人数が少なすぎます。
 一人が10人を見なければならないのです。海で一人が10人を見ることは困難です。
 まして、彼らのうち何人かが泳ぐことができるだけでスキューバダイビングの経験が無かったり浅かったりするのであれば、ほぼ絶句しなければならないほどの安全管理です。
 未経験者相手であれば、インストラクターレベルの経験を持った者でも5人くらいを見るのが限度でしょう。
 
 浅瀬であったのでインストラクターを付けていなかったというのは呆れてものが言えません。
 四つん這いになって顔を水面から出せる深さならともかく、立たないと顔を出せない水深であれば、素人にはインストラクターが必要です。
 この学校が、どの程度の水深を浅いと判断したのか承知していませんが、人は、踝より深い海では溺れるおそれがあるのです。
 それが分からないのは素人であり、素人は何が安全で何が危険かを判断してはなりません。
 
 生徒が沈んでいるのを見つけたのが引率した教員ではなく、近くを泳いでいた人だということは、引率に当たった教員は生徒が事故を起こしていること自体を認識していなかったということです。
 一人が10人をしっかりと見ていたのではなく、底に沈んでいることすら気が付いていないのです。
 またこのことから、この学校がシュノーケル体験に際してバディシステムを採用する基本的な安全管理をしていなかったことは明らかです。これは二人を一組として絶えずお互いの安全を確認し合うシステムであり、これを採用していれば、二人が同時に遭難しない限り事故が起きていることがすぐに分かるはずです。
 その程度の安全策を講じることなくシュノーケル体験をさせるなど私に言わせれば素人判断の極致です。
  

シュノーケリングで事故など起こるものではないはず

 シュノーケリングとは何を行うのかをご存じない方のために若干説明をさせて頂きます。
 これは、水中メガネと足にフィンを付け、シュノーケルというパイプ状の呼吸器を口に咥え、先端を水面上に出した状態で、水面を移動しながら海中の景色を楽しむ方法です。
 口から呼吸ができるので息を止める必要がなく、息継ぎをせずに水中の様子を楽しむことができます。
 基本的には水面で2次元の運動しかせず、水中に全没して泳ぐということはしません。それはスキンダイビングと呼ばれ、シュノーケリングよりは高度なテクニックが必要となります。
 シュノーケルには何種類かあり、この学校が体験にどのようなシュノーケルを使っていたのか不明ですが、もし、浸水防止弁がついていないタイプのものであれば、内部に侵入した海水を排水するためのシュノーケルクリアという動作をしっかりと教えなければなりません。これができないと空気を吸うことができないからです。
 浸水防止弁がついているタイプであれば多分今回の事故は起きていないものと思われます。しかし、これは高価なので、初心者の体験などで使われているのはあまり見かけません。
 初心者は夢中になるあまり、パイプ内に侵入した海水を吸い込んで肺に入れてしまうことがあります。
 陸上では気道に水が入ると咽かえって肺まで入ることはないのですが、海中で咽かえるとほかに吸い込むものがないので肺に水が入ってしまうことがあります。そうするとさらに事態が悪化してパニックになり、酸素が脳に送られずに意識を失うことがあります。

 つまり、例え足がつく水深であっても、膝をついて顔を水面に出せるような浅いところであればともかく、溺れるおそれがあるのです。まして足がつかない水深であったのであれば論外です。
 

自然への畏敬の念を忘れた教育

 学校教育において、大自然に対して畏敬の念を持つことを教えず、このように舐め切った態度で教育に当たったとすれば由々しきことです。
 
 先のコラムでも主張していますが、海は「恐れる」必要はありません。しかし、海は「畏れ」なければなりません。

 海を畏れ、基本に忠実であれば事故になることはありません。
 船も、設計と建造が適切であり、整備がしっかりとなされ、訓練の行き届いた乗組員が基本どおりに運行すればけっして事故にあったり遭難したりすることはありません。
 スキューバダイビングやスキンダイビングでも同様です。
 まして小さな子供でも、さらには泳ぐことのできない人にも楽しむことのできるシュノーケリングで死亡事故を起こすなど、よほどいい加減な安全管理をしない限り起こりえないはずなのです。
  
 このような基本的なことも知らず、海への畏敬の念も抱かずに平気で海を教育の場としようなどという態度に私は呆れるどころか怒りを覚えます。
 英語で言えばABCも知らない教員に英会話の授業を行わせるようなものです。
 この無神経さは立派に業務上過失致死の構成要件を満たすはずであり、それを視野に入れた事故原因の究明が行われるべきと思料します。
 少なくとも、この学校が海に関わる教育を行うのは私流に言わせると「100年早い。」ということになります。

ソーダ水の中の貨物船でも見ていたら?

 この程度の認識しか持てない人々には海に関わってもらいたくありません。それは海への冒涜に他ならないからです。
 
 たびたび主張していますが、我が国は海洋国ではないので、海洋文化が育っていません。海というものが日本人のDNAに書き込まれていないのです。
 私たち日本人は体質的に海を理解していないのです。
 
 教育者は、まず、海を畏れることを教えなければなりません。にもかかわらず、恐れることのみ教え、しかし、舐め切った態度で関わろうとします。
 
 私たち日本人は、せいぜいソーダ水の中の貨物船を見ているのが身の丈なのです。(分かるかなぁ?) 

 危機管理の専門コラムで、これほど低レベルの話をしなければならないことに暗澹たる思いをしています。