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専門コラム「指揮官の決断」

第125回 

No.125 真実を見極める眼 その2

カテゴリ:コラム

評論家は何を根拠としてコメントするのか

 以前、論理のすり替えや論者の無知、あるいはウソによって私たちが受ける情報にバイアスがかかっているおそれがあり、しっかりと真実を見極めなければならないと述べたことがあります。(専門コラム「指揮官の決断」No.120 真実を見極める眼 https://aegis-cms.co.jp/1406) 
 
 しかし、高度に専門的な内容について私たちが独自に判断することはなかなか難しいのも事実です。特に昨年末から今年の初めにかけて問題となった韓国海軍艦艇による射撃管制用レーダー照射事案など、マスコミで多くの評論家が様々な議論をしましたが、誰の意見が傾聴するに値するものなのか見極めるのが難しいところです。

 多くの政治や時事の評論家、あるいは単なるコメンテーターは軍事技術については素人ですので、元海上自衛隊の高官がテレビで解説をしているのを観て、それが技術的にどういうことだったのかを理解しているのだと思いますが、それで断定的に韓国政府の発表はとんでもないとコメントをするのはいかがなものなのかと考えています。

 受け売りだからです。

 これは本来、報道に関わる人々がやってはならないことです。
 
 韓国側の公表したビデオに映った海自機を見て、私たち経験者は一目で韓国の主張は根拠が崩れたと分かりますが、船乗りや飛行機乗りなどの関係者でなければ、あの映像の海自機が韓国側にとって脅しをかけるような飛行をしていなかったことが明らかだとは思えません。一般の方々は海上において軍用機による威嚇的な危険な飛行というものがどういうものなのかをご存じないはずだからです。しかし専門家が海自機の飛行はまったく威圧的なものではないことが明らかと言っているので、評論家もコメンテーターもそう言っているにすぎません。

 また海上自衛隊OBら専門家の解説が「これは非常に危険な行為であって、絶対にあってはならないことだ。」と言っているので、それらコメンテーターのコメントも、一触即発の危機であって、韓国海軍艦艇の行った行為は許されるものではないということになっていくのです。つまり自分で見極めているのではなく、専門家の意見を聞いてそう思っているだけなのです。なので、田母神元航空幕僚長が「あんなことはよくやっていることで危険なことではない。」などと呟くと大騒ぎになるのです。自分なりの論拠があるわけではないので、別の元自衛隊高官から別の見解が出ると判断できないのです。

 しかし、これらマスコミ上の評論などがどれほど的を得ているのか、それは慎重に考えなければなりません。私たちは誤解しやすいのですが、評論家やジャーナリストの多くが、それぞれの専門分野の報道に関する専門家ではあっても、その分野そのものの専門家ではないということを常に注意しておかねばなりません。あくまでも「報道の専門家」なのです。医療専門のジャーナリストが医師であるとは限らないのです。

専門ジャーナリストが専門家とは限らない

 実例があります。韓国海軍のレーダー照射事案に関し朝日新聞出身の軍事ジャーナリスト田岡俊次氏が、射撃管制用レーダーを照射しても、砲が指向されておらず、また垂直発射機のハッチが開いていない以上、即ミサイル発射ということではないので「引き金を引く寸前」ではないという論陣を張っていました。

 この田岡氏は軍事問題となるとよくテレビでもコメントを求められる軍事ジャーナリストなので影響力は大きいのですが、そもそも新聞記者であって軍事に関する報道は専門なのかもしれませんが軍事そのものの専門家ではありません。したがって、その論評にはびっくりするような素人の眼しか反映されていないことが多々あります。
 
 たとえば、海上自衛隊の護衛艦くらまが関門海峡で韓国船籍のコンテナ船と衝突した直後、報道番組でコメントを求められ、「相手船がくらまの左から衝突していますから、海上自衛隊にとっては有利でしょうね。」という意味のコメントをされています。この報道番組を観ていた方のほとんどは「そうなのか」と思われたはずです。

 しかし、私たちはこの人が海上法規というものを全く理解していないことを、この一言で見抜きました。

 結論として韓国船に非があったことは間違いないのですが、田岡氏の指摘はまったく誤りなのです。このコメントがあった時点は、本当に衝突直後で何が起きたのか分かっていませんでした。しかし、場所が関門海峡の航路内であったことは分かっていました。田岡氏のコメントは関門海峡の航路外であれば正しいのですが、航路内であったため、そのことだけで田岡氏のコメントが誤りであると船乗りや海事専門家は断定できます。

 一般的に海上で船舶が衝突を避けるための規則を定めた法律に「海上衝突予防法」という法律があります。これは海上の安全を確保するための国際条約を受けて制定された法律であり、その法律によれば、二隻の船の針路が交差して衝突する恐れがある場合には、相手船を右に見る船が他船を避けることが規定されています。つまり、そのまま行けば相手船の左からぶつかるおそれがある船が避けねばならないということです。これを「行き会い船の航法」と呼びます。衝突のおそれは追い越しや真正面でも生じますので、これらの場合には別の航法が適用されるのです。

 田岡氏はくらまの衝突事故の前に起きたイージス艦あたごの漁船との衝突事故で、イージス艦が漁船を右に見て航行していたのに避航動作が遅れて衝突したことを覚えていて、その時の海上衝突予防法の規定をくらまにも当てはめてコメントしたのかと考えますが、実は関門海峡の航路内ではこの規定は適用されません。ここは「海上交通安全法」という特別な法律が適用される海域だからです。つまり、相手が左からぶつかってきたから相手が悪いのではなく、韓国船に非があるのはこの特別法に違反したからなのです。船乗りや海事専門家なら知らぬ者のない法律ですが、田岡氏はこの法律を知らずにコメントしています。

 今回の韓国艦艇によるレーダー照射の件についても、田岡氏のコメントは先に田母神元航空幕僚長が「それほど危険なものではない。」と述べた際に根拠としたものをほぼそのまま鵜呑みにしています。

 この田母神元航空幕僚長の発言もいろいろ誤解されているのですが、彼が「射撃管制用レーダーの電波照射自体は世界中で日常的に行われているので別に危険なことではない。」というのは必ずしも間違いではありませんでした。ただ、これもしっかりと真実を見極める眼をもって読まないと誤解するのです。世界中で日常的に行われているのは訓練であって、お互いに合意の上で行っているか、あるいはレーダー警報装置が搭載されていない民間機に対して行われているのです。その意味でたしかに射撃指揮装置の追尾訓練をしたり、システムに故障がないかどうかを実機を目標にして照射することはよくあることだったのです。またレーダーで照準することと射撃を準備することは別のプロセスなので、照準したからと言って次にボタンを押すとミサイルが発射されてしまうわけはないことも事実です。
 私が「でした。」「だったのです。」と表現しているのは、田母神氏がまだ若く部隊で勤務していた頃にはそういうこともやっていただろうということで、2014年に西太平洋の14か国の海軍の代表者が集まった西太平洋海軍シンポジウムで採択されたCUESという洋上で不慮の遭遇をした場合の行動基準により禁止されたからです。田母神氏が退官した後のことなのでご存じないのでしょう。

 また田岡氏は砲が指向されていないこと、ミサイルランチャーのハッチが開いていなかったことをもって危険ではなかったという田母神氏の主張をそのまま述べていますが、またしても生兵法で怪我をしています。

 私も韓国艦が実弾の射撃準備までしていたとは全く考えていませんが、それは現在の国際情勢や日韓関係を踏まえ、かつ、レーダー照射と砲やミサイルの実弾射撃とはプロセスが違い、いくら韓国海軍でも一担当者の判断でできることではなく、韓国艦の艦長にそれほど愚かなものがいるとは考えていないからであり、田岡氏のいう状況だからではありません。
 
 かつて砲塔の中に操作員が入って射撃をしていた時代、砲の旋回速度は中にいる人員が耐えられる速さでした、現代は無人砲となっていますので狙うと瞬時に砲が指向されます。もし中に人がいたら脛骨を折るかムチ打ち症になってしまう速さです。また、ランチャーのハッチもミサイル発射の直前に空けられるので、あらかじめ開けて待機しているものでもないのです。つまり、実弾を撃つと決めたら次の瞬間に砲は向いていますし、ハッチが開いた次の瞬間にはミサイルが飛び出すのです。とても近くを飛んでいる哨戒機などが逃げ切れるものではありません。砲が指向されていないとかランチャーのハッチが開いていないから射撃準備をしていなかった、したがって危険ではないという論理は明白な誤りです。

 さらに、田母神氏が述べているから田岡氏も同じことを主張しているのでしょうが、日露の海上事故防止協定でも砲の指向は危険行為としたが射撃管制用レーダーの照射は危険行為とされていないことをもって、今回の事案を韓国に厳重抗議するのは無理としていますが、これも田岡氏の生兵法でした。先に述べたように環太平洋21か国の海軍代表が集まって行動規範を作成し、その中で射撃管制用レーダーの照射はトップクラスの危険行為と認定されていることをご存じないのです。その田母神氏の見解をそのまま自分の見解とする軍事ジャーナリストというのも、報道は専門であっても軍事は素人という馬脚を露してしまっています。

 繰り返しますが、軍事ジャーナリストとは軍事に関する報道を専門にしているのかもしれませんが、軍事の専門家とは限らないのです。

それでは何を信ずればいいのだろうか

 何を延々と説明しているのかと言えば、このような問題では専門家の見解が無ければ私たち一般庶民はなかなか何が起きたのか理解できないのですが、元空幕長の見解も著名軍事ジャーナリストの評論もまったくあてにならないことが示すように、何を信ずればいいのか分からないということなのです。たまたま私はかつて護衛艦で射撃指揮装置を担当したことがあるので事情を推測することができるのですが、そうでなければ私も途方に暮れるところです。

 韓国の世論調査によれば、韓国国民の80%が日本は謝罪すべきだと考えているようですが、彼らも韓国国防省の発表やそれらに基づくマスコミの論評のみで判断しているからなのでしょう。冷静に見れば、韓国国防省が公表した映像を見れば海自機の飛行が韓国の主張するような行動になっていないことが歴然なのですが、韓国国民は国防省の発表が不自然だと思っていないのです。

 何故、韓国国民があの映像を見てもその国防省の発表を不自然だと考えないのか、それを社会心理学の観点から説明するとすれば、フェスティンガーの認知的不協和でしょう。
つまり、日本側発表と韓国側発表の間に不協和が生じている時に、その不協和を除去するために心理的圧力が働いているので、真実を見極める眼が曇ってしまっているのです。

 以前にも指摘しましたが、私たちは真実を見極めなければなりません。評論家の論評やジャーナリストの報道は参考にはしても鵜呑みにしてはなりません。また、専門家のコメントも鵜呑みにするのは危険です。いつの時代の専門家なのか、どの程度の経験と判断力のある専門家なのかが分からないと自称専門家に過ぎないかもしれないからです。

デカルト的方法懐疑に立ってみよう

 その観点からすれば、この専門コラムも同様です。かなりいかがわしいのではないかという前提を持ってお読みいただくのがこのコラムの正しい読み方です。

 私の基本的スタンスがデカルトの方法的懐疑なので、このコラムを読まれる方々にもそのようなスタンスを持って読んで頂きたいと思っています。そこで皆様の検証にも耐えうる内容のコラムにしていくことが私の張り合いでもあります。