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専門コラム「指揮官の決断」

第178回 

For the Fleet 艦隊支援に徹せよ

カテゴリ:意思決定

組織は理念を掲げなければならない

前回、当コラムではトップが持つべき覚悟に言及しました。

今回はトップが組織に対して示すべき理念についてです。

企業のウェブサイトを見るとその企業の理念が掲示されています。

理念の書き方にはいろいろあり、四文字熟語で決めているもの、キーワードを巡って解説しているもの、かなりの長文で説明しているものなど様々です。

読んでみると、相当議論を重ねて一言一言にこだわって書かれたものもあれば、借りてきた美しい言葉を羅列しただけにしか見えないようなものもあります。

コンプライアンス違反でマスコミを賑わした企業のウェブサイトを見て、その理念を確認すると、見事なくらいその理念に反した行動を取っていたことが分かります。

そのような企業の理念は多くは借り物の言葉の羅列に過ぎないのですが、しかし中には必ずしも借り物の言葉で書かれているとは思えないものもあります。

これはどういうことかというと、借り物の言葉を羅列した理念には当然のことながら社員は頓着せず、理念が徹底的に考えられて記載されたものはトップだけが熱い思いを持っていて、それが社員に伝わっていないということなのでしょう。

数年前に軽自動車の排ガス規制に関する優遇税制の枠を得ようとしたある自動車メーカーが掲げていた理念は「大切なお客様と社会のため、走る歓びと確かな安心を、こだわりをもって、提供し続けます。」というものでした。今となっては一言一言が虚しく響いてきます。

理念の表し方はどうすべきだと申し上げるつもりはありません。ただ、どのような表し方であろうと理念は掲げなければなりません。

組織には共通目的が必要です。その理念はその共通目的の究極の姿です。

理念がない組織は行き当たりばったりの対応しかできません。首尾一貫した組織行動など望むべくもありません。(専門コラム「指揮官の決断」第162回 漂流 理念なき行政の末路 https://aegis-cms.co.jp/1789 )

組織は理念を徹底させなければならない

ただ、理念がどれほどしっかりと書かれていても、それが全員に浸透していなければ意味がありません。その観点から申し上げると、簡潔明瞭に書かれていて、誰もが暗唱できるくらいの長さ、量であることが望ましいかもしれません。

いやそうではない。思いのたけをしっかりと書き込んで、それを総員に確達させてみせるという自信のある経営者の方は、それなりにしっかりと書き込まれればいいかと考えます。

一般的には誰もが暗唱できる程度の言葉で作ると、折に触れてそれを使うことができるので、より一層浸透しやすいかと思います。

どうすれば理念は徹底されるのか

一例を挙げましょう。

合衆国海兵隊です。

海兵隊員たちは「名誉・勇気・献身(Honor Courage Dedication)」を合言葉として教育を受けます。ある時、海兵隊の下士官の表彰式に出席したことがあります。5人の隊員がアフガニスタンでの任務を終えて帰還し、その間の功績に対する名誉勲章の授与式でした。

授賞理由を聞いていると、「~の勇気を称え」「~の献身に対し」などの表現が使われ、海兵隊員の名誉を高めたとして授与されているようでした。つまり、「名誉・勇気・献身」が彼らの価値であり、それが彼らの理念として掲げられているのです。そして、その言葉は新兵教育期間中に何百回も聞かされ、何百回も暗唱させられるのです。

極めてシンプルですが、軍人として必要な価値を見事に凝縮させたモットーだと考えます。

それでは自衛隊はどうしているでしょうか。

陸・海・空を問わずに入隊教育中に嫌になるほど聞かされる言葉があります。「自衛官の心構え」と言われるもので、訓練検閲などの際には若い隊員はその心構えを暗唱できるかどうかを必ずチェックされています。

それは「使命の自覚、個人の充実、責任の遂行、団結の強化」というものです。

これを繰り返し繰り返し暗唱させることにより、深層意識への刷り込みを図っています。

使命の自覚とはどういうことか、個人の充実とは何を指すのかなどの解説はちゃんとあるのですが、入隊教育の時にはそのような解説を教育することはなく、この言葉をただ暗唱させます。

「門前の小僧習わぬ経を読む」とはよく言ったもので、とにかく何百回も何千回も暗唱しているとそういうものだと思うようになります。

大切にすべき価値などを伝えるにはそのようなやり方がいいのかもしれません。

先に挙げた自動車メーカーの理念は、かつてその会社のトラックのタイヤが外れて転がり、死亡事故を起こしながらも、そのメーカーがその事実を認めず、欠陥があったことを隠ぺいしたとして大きな社会的非難を浴びた後、会社を再生させるため全社を挙げて議論して作った理念なのだそうですが、喉元を過ぎて熱さを忘れたのか、結局、データを偽装して排ガス規制を乗り切ろうという姑息な手段を取るに至りました。

やはり無理やり浸透させる方がいいのかもしれません。

何故組織は理念を掲げなければならないのか

理念を掲げ、それを組織全体に徹底させることがなぜ大切なのでしょうか。

そこにその組織の使命が記述されているからです。

そして組織のあらゆる意思決定は、すべてその使命達成のために行われなければなりません。

すべての意思決定が、使命のどの部分を達成するための意思決定なのかが説明できなければならず、組織の使命達成に貢献しない意思決定はしてはならないのです。

かつて海上自衛隊に在職中、ある時私は広島県呉市で造修補給所長という配置にいたことがあります。それは呉港を母港とする艦艇部隊の整備・補給、呉警備区に所在する部隊の補給支援、呉警備区を航行する艦艇の修理支援などを任務とするロジスティクス専門の部隊でした。

その指揮官は通常はそれらの部隊に何回か勤務したことのある補給や整備を専門とする幹部が補職されるのですが、私は全くその経験なしにいきなり所長に補職されました。艦船の整備などは乗組み士官として艦上で行う整備くらいしか経験したことがなく、また、補給も実務経験が全くないままの異動でした。

造修補給所は地方総監の指揮を受けますので私のボスは呉地方総監(昔でいえば呉鎮守府司令長官)でした。所長はその呉地方隊の最も大きな部隊の指揮官であると同時に、総監部の技術補給監理官という総監に対するアドバイザーでもあり、また分任物品管理官として財務大臣の指揮を受ける物品管理職員でもありました。

指揮官は指揮官交代の儀式を終えて前任者を見送ると、直ちに総員を集合させ、着任の訓示を行います。その際に、自らの指導方針を伝えなければなりません。それが「理念」です。

その配置に全く何の経験もなく着任した私は、その道のプロであった歴代造修補給所長のような指導方針を掲げることはできないと考え、簡潔明瞭な指導方針を示すことにしました。

私が掲げた指導方針は” For the Fleet (艦隊支援に徹せよ)“というものでした。

そして「艦隊の要求に対してノーと言ってはならない。」と申し渡しました。

所員たちは私が造修補給所の勤務を経験していないことを知っていますので「これだから素人は困る。」という顔をしていました。

しかし、私はその配置に先立つ数年前に海上幕僚監部の監査官として全国の部隊の監査をしていたことがありました。当然、呉地方隊の監査も行い、呉造修補給所にも何度も足を運んでいました。

その経験から、造修補給所に対する艦隊の不満がかなりあることも知っていました。

艦艇部隊が欲しいものがあって造修補給所に調達要求を出すと、「そんなものは不要だろう。」、「そんな予算はないから海幕と調整して予算を持ってこい。そうしたら買ってやる。」とか、「そんなものを買ったら会計検査院の検査で指摘されてとんでもないことになる。」などという理由で、正規分の正規に予算要求して調達が認められているもの以外の調達をなかなか行わないのを知っていたのです。

しかし、造修補給所の任務はそれら艦艇部隊を完全に整備し、十分な補給品と燃料を搭載して彼らが100%の実力を発揮できるよう支援することです。

艦長が「それは造修補給所に頼んで買ってもらえ。」と調達要求に判を押すのはそれなりの理由があるからです。

艦隊は独自の予算などほとんど持っていないので、何かが欲しい場合には造修補給所や総監部の経理部に頼まなければならないのですが、その艦艇部隊に対して「海幕から予算を取ってこい。」などと言っていたのです。そう言われると艦長は海幕勤務の自分の同期などに電話して「何とかならないか」などと余計な神経を使わなければならなくなります。

私は艦隊にはそんな思いをさせないよう、彼らにはひたすら訓練と装備品のメンテナンスにより全能発揮に努めてもらいたいと思っていました。

そこで私は造修補給所の主要職員を集め、「君たちはプロだろう。プロなら金がないからできないとか会計検査院が煩いからやらない、などということは口にしてはならない。艦隊の要求にノーと言うな。」と申し渡したのです。

艦隊が要求してくるものを調達する予算がなければ、造修補給所の工作技術を生かして作ればいい、作ることが出来ないのであれば、艦隊が欲しているもの本質を理解して、その本質を実現できる方法を必死になって探せ、それがプロだ。会計検査院は予算執行が適切でない、規則に反するということを見ている、であれば、規則に反しないやり方で、適切な予算執行になるような工夫をせよ、ということなのです。

それでも私の意図をしっかりと理解しなかった職員もおり、「所長がノーと言うなというからなんでもあり。」ということで、米国派遣訓練に参加するある護衛艦から上がってきたゴルフクラブのセットの調達要求を認めていた者がいました。

その程度の金額の調達要求は通常は所長まで上がらず、部長や科長の専決になっているのですが、その時はたまたまその部門を私がブラブラしていて調達要求書を見つけ、その事実に気が付いたのです。

私は直ちに担当した職員を呼び出し、調達手続きを中止するよう申し渡し、このゴルフクラブの調達要求が結局何を求めているのかを考えるよう命じました。

さらに当該要求を出した艦長を造修補給所に呼び出して叱り飛ばし、「俺は艦隊の要求に対してノーとは言わないつもりだ。艦隊もそのつもりで真剣に調達要求を上げてこい。真剣な要求であれば、俺自身が海幕に乗り込んで予算を取ってきてやる。」と伝えました。

その若い艦長はハワイやサンディエゴに入港すると米軍からゴルフの招待があることを知っていました。そこで自分も含めゴルフをやらない幹部の多かったその船の現状に鑑み、何セットかは必要だと思ったのでしょう。つまり入港中のホストシップとの交流を円滑に行いたいという思いから調達要求を上げてきたのでした。

しかし、海上自衛隊ではゴルフは正式な体育の種目として認められていませんので、教育訓練の名目で道具を買うことはできません。やるとすれば福利厚生の予算を使うことになりますが、社会通念上、自衛隊にそのような予算執行が許されるとは思えませんでした。

私は艦長に、ホストシップとの交流を円滑にするという目的であるのなら、士官室の一部だけが参加するゴルフではなく、船同士でサッカーや野球、バレーボールの交流試合をすればいいだろうと伝え、そのためのユニフォームや道具を一式調達して渡しました。

また、その際に米軍も招待してBBQでもやればいいとアイデアを授け、そのためのBBQセットやビールも届けました。

叱られてしょげていた艦長はそれを聞いてニコニコして帰っていきました。結局その船は米国派遣訓練に参加して3か月後に戻ってきました。

入港後その艦長が再び造修補給所に挨拶に現れ、私の部屋に来て交流行事の写真などを見せてくれたのはいいのですが、お土産ですと言ってチョコレートだのウィスキーだのを取り出してきたので、また私の雷の直撃に会いました。

「余計な下らんことを考えるな!」

この一連の騒ぎを見ていた造修補給所の隊員たちは私が何を言いたかったのかを理解したようでした。

その半年後、海幕に出張して戻ってきた私のボスである呉地方総監が「お前のところはノーと言わないんだってな。護衛艦隊司令官から礼を言われたよ。」とニコニコしていました。

私は私の掲げた指導方針が部隊に浸透したのを確認しました。

誤りのない意思決定のために

組織の使命達成に少しでも貢献する意思決定は少なくとも誤った意思決定にはなりません。

誤りのない意思決定を次々に下していくために、使命をしっかりと理解しておくことは重要であり、それを忘れた意思決定は誤った意思決定になるおそれが高いと言わざるを得ません。

その使命の理解を組織全体に徹底するためには、簡潔明瞭に記述する方が効果が高いと考えていますが、そこはトップの個性次第かもしれません。

自分の思いを切々と綴っても伝わるものは伝わるでしょう。

自分の指導方針や理念を組織に確達させることができるかどうか、そこに経営者としての実力が問われるとも言えます。