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専門コラム「指揮官の決断」

第179回 

危機管理の眼から見た新型コロナウィルス対応

カテゴリ:危機管理

新型コロナウィルス対応の新たなフェーズ

新型コロナウィルス対策はいよいよ大きな節目を迎えました。

感染症対策はある一定の時期に必ずこの節目を迎えます。この時期に感染拡大の勢いを削ぐことができれば収束の目途がつきますが、それに失敗すると別の強力な一手を打たなければなりません。

それは人が病気になったときも同様で、風邪に罹患した際、極めて初期の頃に強力な解熱剤などを投与すると体が本来持っている抵抗力を削ぎ、副作用の方が大きくなるため、発熱の弊害が大きくなってきた時に解熱剤の投与が行われます。しかし、機を逸するといわゆるこじらせたという状況になって完治するのに長引いてしまいます。

当コラムでは執筆者が感染症の専門家ではないため、政府の対策などについてのコメントなどは避けてきました。ただ、危機管理の一般的な原則について述べたにとどまります。(専門コラム「指揮官の決断」 第174回 戦いの原則 初度全力・水際撃破 https://aegis-cms.co.jp/1872 )

そこで私は「初動全力、水際撃破」が大切であると述べています。

政府は初動を失敗したのだろうか

それでは政府は失敗したのでしょうか。

「初度全力」については疑問があります。ただしあと知恵で批判するのは誰にでもできますし、コロナウィルスの伝染が止まればその他の何を犠牲にしてもいいということでもないので、人権への配慮、経済への影響、法律の不備など考慮しなければならない事項は山ほどあり、外野があと知恵で批判出来るほど簡単ではありません。

検疫には優先順位がある

特に感染者の検査態勢が整わないことに政府の対応が後手に回ったと批判する方が多いのですが、これは現状をもう少し理解してものを言う必要があります。

国の検疫機関はここ数年、鳥インフルエンザや中東で相変わらず猛威をふるっているMERSへの対応に必死でした。これらの国内への感染を何としても防がなければならず、その優先度はコロナウィルスの比ではありません。なぜなら、鳥インフルエンザの致死率は軽く50%を超えますし、MERZも20%近い致死率であり、対するコロナウィルスは現在の中国を見ても3%弱だからです。

検疫の優先順位としてはコロナウィルスはそれほど高くありません。

韓国と比べて貧弱な検査体制の問題

韓国の検査態勢に比べて日本の検査態勢があまりに貧弱であるという批判もマスコミだけでなく国会でも行われています。

これには厚生労働大臣の立場からは発言できないであろう事情があるかと思っています。

確かに韓国の一日の検査可能数は日本よりはるかに多く、また、車で乗り付けて乗ったまま検査できる体制が整っていることがテレビでも登場しています。

一方で、日本は医師が検査が必要だと判断しても保健所が検査してくれないなどの問題が起きています。

この理由は専門家でなくとも推測できます。

コロナウィルスに感染しているかどうかの検査は、喉の奥から検体を採取して、検体に温度変化を与えて培養することにより行われます。一人分につき6時間程度かかるそうです。

しかし、この喉の奥からウィルスを採取するという作業は簡単ではありません。喉の奥を採取棒で相当ひっかきまわさないと取れないので、被験者はつらい思いをします。

専門家に聞くと鼻の奥から採取する方が簡単なのだそうですが、これをやると大抵の人がくしゃみをして採取している人が飛沫を浴びてしまって危険なのだそうです。

つまり、車に乗ったまま簡単にサッサと検体を採取できるようなものでもないのです。

いい加減な検査をいくらたくさんやってもほとんど意味はありません。

さらにウィルスは肺の奥の方に潜んでいるので、喉まで出てくるのには相当体内で数が増えている必要があります。政府が一定の体温が4日以上続いている場合と言っているのはこのためです。怪しいかなと思ってすぐ検査しても検出されないことの方が多いのです。

日本の感染者数が韓国に比べて少ないのは検査を韓国ほど行っていないからだと言う評論家もいますが、死亡者数を見ればそれが見当違いであることが分かります。

韓国の国民性は日本人のそれよりも敏感です。何か起きるとすぐに反応を起こし、私たちにはそれが過剰反応のように見える場合があります。

そこでちょっと変だなと思うと車で検査場に乗り付けてきて検査を受けます。しかしまだ喉にウィルスが出てこないので検査結果は陰性と判断されます。それが怖いのです。感染しているのに感染者ではないというお墨付きをもらってしまうことになるからです。

その辺の事情について、厚生労働大臣は他国の検査態勢についての説明は憚られるでしょう。

韓国は感染症対応を理解しているとは思えません。ニュースを見ていると、除染液を空中散布しているシーンが度々出てきますが、コロナウィルスに除染液の空中散布は無駄遣いです。

クルーズ船への対応はどうだったのか

また、クルーズ船での対応にも批判が相次ぎ、特に海外メディアの批判が目につきました。

しかし、これらの批判のほとんどは事実誤認に基づくものであり、マスコミが不勉強なのは日本だけではないことが分かります。

なにより、日本がクルーズ船の乗客の上陸を足止めしたのは検疫が終わっていないからです。検疫が終わらない船からの上陸を差し止めるのは常識であり、批難される理由はありません。それどころか、日本政府はその特殊性に鑑み、当該クルーズ船の大黒ふ頭への入港を認め、様々の支援活動が円滑にできるよう措置をしています。

法的には港外の検疫錨地に錨を入れて検疫終了を待つように指示することすらできたのです。

さらに、検疫が終わらずに外航船から内航船への切り替えが終わっていない船舶は外国扱いであり、様々な法的な制約があります。例えば、外国で外国人に感染検査を強要したりすることができないのと同様、外国扱いの船の乗員・乗客にそれを強要することはできず、さらに任意で応じたとしてもその費用をだれが払うのかという問題が起きます。国が負担するということになるとそれは私たちの税金から支払われることになります。

本来それは船の船籍国である英国の責任であり、使用事業者である米国企業にも責任の一端はあるのですが、それらに触れたマスコミはありません。というよりもマスコミはその論点を誰も知らないのかもしれません。

指定感染症の指定が行われて初めて様々な措置が可能となるのですが、それでも純然たる国内とは異なる状況が存在します。

乗客の扱いについても、日本以外の外国の船客について、政府がそれぞれの国に対して特別機を飛ばすのであれば、特別措置をもって上陸を認め、自衛隊により航空機機側まで乗客を運ぶと打診したにもかかわらず、米国はじめ各国が受け入れ準備がないのでしばらく船内に留めおいてほしいと要請されたのですが、それも各国のマスコミは触れません。

当初、尖鋭な批判を行っていた韓国メディアも、自国の感染状況が日本の比ではなくなった現状に日本批判は鳴りを潜めました。

この韓国ではソウル市が感染の元となった宗教団体の教祖を殺人罪で告発しています。どう考えても、この感染が殺人罪の構成要件を満たすとは思えないのですが、この程度の法感覚の国なのですから、条約を守れなどと要求する方が無理なのかもしれません。

政府の初動に関し、反省すべきところ、今後に備えて検討し教訓とすべきことは山ほどあるはずです。ただ、誰がやってもパーフェクトゲームはできませんし、韓国やイタリアの例を見れば、かなり初動がうまくいっているものと考えるのが妥当かもしれません。

水際撃破は成功したのだろうか

「水際撃破」は、一般の方々のお考えと異なり、現時点ではほぼ成功したのではないかと考えます。

国内での感染者数は3月1日の夜現在で242名であり、3月1日に新たに感染が判明した人数は14名です。

感染力の強い感染症の場合、このようにポツポツと感染者が出てくることを防ぐことはできません。しかし、集団で感染している事例がまだありません。スポーツクラブでの3人の感染が目立つ程度です。

水際で失敗した例は韓国とイタリアです。韓国では連日、日本国内の総感染者数を超える新たな感染者が増大しています。イタリアも同様になりました。

初動全力に疑問がある我が国で水際撃破が功を奏している理由は私にはよく分かりません。武漢が閉鎖された時点で国内にいた数万人の中国人旅行者の中に感染者がそれほど多くなかったのかもしれませんし、私たちの会合の自粛などの対応が早かったのかもしれません。

ただし、繰り返しますが、私は感染症に関しては素人です。今後の事態の推移は注意して見守る必要があります。

危機管理というものの実態 

しかし、政府の初期対応の遅れを指摘する評論家の多くが今回の小・中・高の休講要請について、一転して唐突だと批判しているのは理解できません。熟慮すれば遅きに失したと批判し、速攻すれば唐突で説明不足となるのです。野党も方針が頻繁に変わっていくことを国会で追及しています。

しかし、危機管理というものは本来そのようなものです。

予測不能の事態に際し、十分な情報や経験がないままに次々に判断していかなければなりません。じっくりと議論し、熟慮を重ねている余裕はないのです。政府が右往左往するのは当たり前です。かろうじて得られた情報から起きている事態を判断し、それに対して最も適切とその時点で考えられる措置を遅滞なく取っていかなければなりません。周知徹底などしている余裕はありません。

その時点で最善と思われる措置を果敢にとり、功を奏しないとわかったら直ちに修正していくことの繰り返しになるのが危機管理です。パーフェクトゲームができるようであれば、それはたいした危機ではなかったということなのでしょう。

しどろもどろ、満身創痍になりながらでも必死になって次々に変化していく状況に対応していかなければならないのです。

マスコミでもSNSでも批判は山ほど聞くことできます。しかしそれら批判のほぼ100%は対案のない批判であり、あと知恵の批判です。あるいは、一点しか見ていない総合的視野を欠いた批判でしかありません。

あと知恵に基づく批判や対案なしの批判は猿より少しましな知能を持っていれば誰にでもできます。実際に危機管理の現場に立ち、修羅場をくぐったことのある者はそのような批判をすることはありません。危機管理の現場の恐ろしさを知っているからです。それを知らない無責任な立場の者は怖いものを知らないので勝手な批判をします。

心配なのは厚生労働省の担当者の気力・体力です。ほとんど尽きかけているはずです。

社会心理学上の問題 

危機管理の専門家として、この事態の社会の反応に興味を持って見ています。

はやり起こったのが買い占めです。

アッという間にマスクが無くなったのは理解できます。歌舞伎町で中国人の若いカップルがマスクの大きな箱を一人10箱くらい買い込んで、店の外の路上でどうやって運ぼうかと考えているのに出くわしたのが2月上旬でした。彼らが中国へ持ち込んだマスクの量は半端ではないでしょう。

一方、最近、ティッシュペーパーやトイレットペーパーが店頭から消えたのはデマによるものです。

この件を巡っては社会学的な検証を誰かにしてもらいたいと思っています。社会心理学上の大きな実験だったはずです。

かつてのオイルショックの頃を彷彿とさせる事態ですが、ティッシュペーパーがなくなるというデマに踊らされた方が多いのですが、当時と異なるのはもうちょっと困った事情が加わっているからだと考えます。

このティッシュの店頭からの消失にはデマに踊らされた人だけが関与しているわけではありません。かつてのオイルショックの頃には存在しなかったネット特有の事情が絡みます。

デマだと理解している人たちも、ネット上でデマが流されたのを見て、デマに踊る人たちが買い占めを図り、結局店頭からティッシュが消えるであろうから、それに対して事前に買っておこうとして、結果的に本当に店頭からティッシュが消えるということになっているのではないかと考えます。この辺は社会心理学の専門家の方にご教示いただきたいと思います。

ネット上で無神経にデマを流す輩の犯罪行為

ネットが発達しSNSが普及した結果、デマの位置づけが過去とは比べ物にならないくらい大きくなりました。

関東大震災では朝鮮人が暴動を起こすというデマのために虐殺が起こりました。しかし、この頃にはネットがありませんでしたので、その状況は東京を中心としており、全国津々浦々に拡がったとは言えません。

しかしネットの普及に伴ってそうも言っていられなくなっています。

しかも、始末の悪いことに自分の発言に責任を持たず勝手な憶測をネット上に乗せる輩が後を絶ちません。

私も先輩のある方がネット上で「外出禁止令が出されるかもしれないので食料を買っておいた方がいい。」などと発言されたので、さすがにたまりかねて苦言を呈したりしました。

この方は社会的地位もあり、現在就いておられる配置からもその影響力は無視できず、その方が「外出禁止令が出されるかもしれない。」などとネット上で発言されると、その辺の事情をよく知らない人は「それは大変だ。」と思ってしまうかもしれません。

その結果それらの人々がスーパーに食料の備蓄のための買い出しに走ります。そして、先に述べたように、それがデマであることを知っている人も、デマに踊らされる人々による買い占めが行われるという予測のもとに買い出しに走ることになるので本当にモノが消えてしまうという凄まじい連鎖を引き起こします。

もしその方が「戒厳令が出されるかもしれない。」というようなレベルで発言されていれば冗談として聞く方が多いかと思いますが、なまじ「外出禁止令」などと発言されるとそれを信じてしまう人が出てきかねません。(ちなみに念のために申し上げておきますが、我が国には戒厳令の規定はありませんし、外出禁止令もありません。たしか、大阪で夜間に未成年を外出させてはいけないというような条例があったように思いますが、一般に外出を規制する法律はありません。)

私はこのネット時代において、それらの無責任な発言をする人を許容できません。社会に与える影響の大きさの自覚なしにそのような不用意な発言をするのは、現代では犯罪行為です。

落語の熊さん八っつぁんが銭湯でお上の悪口を言うのは他愛もないことと笑えるのですが、ネット時代に根拠なくデマを飛ばすのは厳に慎むべきです。

対案を出さない批判は誰にでもできる

マスコミも同様です。当コラムではマスコミについて度々言及し、せいぜい芸能人のゴシップを追う程度が身の丈と申し上げてきておりますが、今回もそのレベルを超えておらず、あと知恵と対案のない批判ばかりです。さすがに事の専門性に鑑み、対案を出せないのでしょう。どの局も専門家を呼んで解説をしてもらっています。

それら専門家の方々でも微妙に解説や論評が異なるのは、この新型ウィルスに関する情報がまだまだ不足していることを物語っているように見えます。

政治家の覚悟も問題

私も感染症の専門家ではないので政府の個々の対応について言及するつもりはなく、むしろ危機管理の専門家として政府の姿勢や社会の対応に関心をもって事態を見ています。

その観点から見ると、政府の対策会議の初会合に政務官を代理出席させて本人は地元の新年会に出席していた環境省大臣の対応は大問題です。

こともあろうに、国会で追及されて「危機管理の態勢は万全でした。」などと答弁しているのは論外です。危機管理というものをこの政治家がまったく理解していないことが披瀝されたにすぎません。代理を立てていいのは公務がバッティングしたり病気などの事情がある場合であり、プライベートを優先させていいということではありません。それを譴責処分にもしないこの内閣の覚悟は問題視すべきでしょう。

元々私は外務大臣と防衛大臣を平気で兼務させるこの内閣に危機管理はできないと申し上げておりますが(専門コラム「指揮官の決断」第44回 呆れてものが言えない https://aegis-cms.co.jp/654 )、しかし、このコロナウィルスへの対応はいろいろな問題を含みつつ、しかしできる限りの手を尽くしているのではないかと評価しています。少なくとも批判を強めている野党には金輪際できない対応をしているように見えます。

国会で批判の先頭に立っている野党の責任ある立場の方々が、かつて東日本大震災の際に政権内にいてどうのように対応されたのかを覚えている私にとっては、「よくそんな批判が出来るねぇ。」というところでしょうか。

教訓を纏めよ

ことが沈静化したのち、政府は一丸となって教訓を纏めるべきです。

東日本大震災の後に海上自衛隊がやったのがこれでした。直接災害派遣の任務に就くことのなかった海上自衛隊幹部学校を中心として、何があったのか、何をしたのか、何をすべきであったのか、何が良かったのか、何を反省すべきだったのかを徹底的にまとめたのです。

当然、次に来るであろう首都直下型地震や南海トラフに起因する大規模災害への教訓を得るためです。

予測していなかった未曽有の事態に際してパーフェクトゲームは望んでも意味がありません。60点の対応ができれば何とかOKであり、65点の対応ができれば評価すべきでしょう。

私たちの社会は2009年の新型インフルエンザを忘れてしまっているかもしれません。

我が国でも推計で160万人以上が罹患し200名以上の死亡者を出したこのインフルエンザに比べると、私たちの社会はうまく対応しているのではないでしょうか。

政治家は自ら範を示せ

しかし、ちょっと許しがたい状況があるのも事実です。

政府は不要不急の会合や集会を自粛するように要請しています。不要不急の会合の自粛を要求しておきながら国会では不毛な議論をしている、不要不急はダメだが不毛はいいのかなどとその辺のマスコミに登場するコメンテーターのようなことを申し上げるつもりはありませんが、しかし、国会の議場で総員がマスクを付けていないのは何故でしょう。多人数が集まり、長時間にわたり密閉された空間で口角泡を飛ばす議論をしていれば、飛沫感染の恐れが高いはずですよね。質問する議員側と政府側の間に2メートル以上の距離があるということなのでしょうか。

そこで政府の閣僚も質問する与野党の議員が一斉にマスク着用であれば、国民の危機感もより現実的になり、政治家が自ら範を示すことにもなると考えるのですが。