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専門コラム「指揮官の決断」

第187回 

今こそ図上演習を

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考慮しなければならないことは山積み

新型コロナウイルスの猛威は収まるところを知らず、ついに感染者1万人を超えました。

今までのところ、日本はかなり頑張っています。最前線で戦っている医療関係者の必死の努力のお蔭をもって医療崩壊は起きておらず、オーバーシュートの状況にもギリギリで陥っていません。

これにはいろいろな理由があるかと思いますが、マスコミや野党議員の激しい攻撃にもかかわらず政府が当初に38.5度以上の熱が4日間続いたら検査という、一見すると早期発見早期治療という私たち一般人にとっての医療の常識とかけ離れた方針を堅持したことの結果かもしれません。医療崩壊が生ずる寸前に、東京都やその他の大きな都市ではホテルなどの準備を進めることができましたし、神奈川県なども体育館や公民館などに感染者を収容できる対策を整えつつあります。これは感染のピークをできるだけ後ろ倒しにしようとする施策により、ギリギリの時間を稼いだことによるものでしょう。

もしマスコミが騒いだように早期発見早期治療を目指していたら、病院の待合室での感染によって爆発的に感染者が増えて、早期に医療崩壊が起きていたかもしれません。MERSやSARSを経験しなかった日本は、新型ウイルスに対する備えも覚悟も無かったのです。

しかし、対策は後手後手に回り始めたようです。

当コラムは危機管理の専門コラムではありますが、感染症の専門的知見があるわけではないので細部に立ち入ることは避けており、感染症の伝搬についても感染症学の立場からではなく、危機管理の一般原則と推測統計やORの立場からのみ言及しています。

当コラムでこの問題を最初に取り上げた際に主張したのは、戦いの一般原則は初度全力と水際撃破であるということです。

どうも現政権はこの初度全力・水際撃破ということが好きではないようです。

どのような配慮があるのか承知していませんので軽々に批判はできないのですが、緊急事態宣言を出すにあたって極めて慎重であり、その挙句出した宣言はかなり抑制的でした。経済への打撃を極力減らそうとする意図なのかとは思われますが、不徹底であるがゆえに事態の早期解決が望めず、逆に事態が長引くことによる経済への打撃が深刻化するように見えます。これは経済政策の問題ですので当コラムが積極的に言及すべき問題ではありませんが、初度全力の原則からは逸脱しています。

政府には目の前の問題以外に考慮しなければならぬ問題が山とありますので、ある面から見ると合理的かつ合目的的である政策が別の面から見るととんでもなく不合理であることはよく起こりますので、総合的な判断が必要でしょう。しかし、この期に及んでプライマリーバランスにこだわる財務省というのはいかがなものでしょうか。小池都知事が早々に宣言した如く現在は平時ではなく有事です。有事に財政規律だのプライマリーバランスなどありえないでしょう。

私たちが批判しようとしまいと、この政権に委ねることしかできないのであって、それが選挙でこの政権を選んだ私たちの責任です。もちろん民主主義の本旨を理解していれば、現政権に投票した人々のみの責任ではなく、現政権の成立を許した野党の責任でもあることは明らかです。

図上演習の出番です

さて、このような状況下、現状を打開するために極めて有効な方法があります。

それが図上演習です。

図上演習がいかなるものなのかについては当コラムでは何回か解説を行っていますので、詳しくはそちらをお読みいただければと思いますが、皆さまご多忙と拝察いたしますので、ここでも簡単に説明をしておきます。

図上演習とは実働を伴わない机上において想定によって計画の実効性、問題点を把握するための作業です。

演習と訓練は別物

ここでご注意いただきたいのは、皆さまが「図上演習」という言葉を聞いてイメージするであろうものと私がここで言う「図上演習」とは多分別物だということです。

皆様のイメージにある「図上演習」とは、防災の日に首相官邸で首相が防災服に身を包んで行うものや、地方自治体が大きな体育館などに関係者を集めて行う防災訓練だと思われますが、それらは「訓練」であって「演習」ではありません。

「訓練」は個人や組織の練度を向上させるために行います。どういう時にはどうすべきかという正解があって、その「正解」に向かって個人や組織が動くことができるように指導していくのが「訓練」です。

一方の「演習」は、いわば検証作業です。何かが起きた時にどのような問題が生ずるのか、そのための計画は実効性があるのかをあぶり出すのが目的です。つまり、演習には「正解」はありません。

私はこのことを説明するのに、よく京浜地区のコンビナートでの消防訓練を例に挙げています。

京浜地区にある石油コンビナートにおいて防災訓練が行われるとします。

構内で火災発生という想定に基づいて自衛消防隊が動き始めます。同時に通報により地元の消防署が化学消防車などを出動させます。

ところが首都高速道路が交通事故で封鎖となり、その下を走る一般道が大渋滞していて消防車が現場へ進出できなくなりました。

これが防災訓練であれば失敗です。

消防車が現場へ進出できず、自衛消防隊との連携要領も確認できず、放水訓練も行えていません。したがって、次回、訓練を計画する際には、コンビナートの近くにあらかじめ消防車を進出待機させ、通報を受けたという想定で構内へ進入させるなどのシナリオにする必要があるでしょう。

ところが、これが演習であれば大きな成果を得たことになります。

道路の状況によっては迅速に現場に進出できないことが分かったのです。実際に火災が起きた時にも同じ状況が生起するかもしれません。その対策を検討しなければならないことが明らかになったのですから、やってみて初めて分かった成果です。

図上演習とは、各部門の専門家を集めて、様々な事態を想定して、そのような事態において生ずるであろう問題点を抽出し解決策を検討したり、あらかじめ立案されている計画が果たしてスムーズに適用できるのかを検討したりするために行われます。

図上演習はどのように使われたか

軍隊では作戦計画が立案されると、その計画に不都合な点がないかどうか、各部隊からの参加を得て図上演習を行います。

有名なのは太平洋戦争開戦直前に日本海軍が行った真珠湾攻撃の図上演習です。

連合艦隊司令部と実施部隊である機動部隊の間で行われた図上演習が行われて問題点が検討されました。

当初の計画では、米軍の航空部隊による反撃を制圧するために、最初に航空基地を爆撃することになっていました。ところが、この攻撃を先に行うと、陸上基地にある燃料タンクが破壊されて火災となり、その燃料が燃える時に生ずる濃い煙のために在泊中の艦艇が見えなくなり、雷撃や急降下爆撃が困難になるという指摘が雷撃隊や急降下爆撃隊から出されました。

これは作戦を立案した連合艦隊司令部では見落とした論点であり、実施部隊ならではの具体的な疑問点でした。この結果、攻撃の順序を入れ替えるという作戦計画の見直しが行われています。

このように、各部の専門家が集まって時系列で検討をしていくと、見落としていた論点や個別には合理的であっても、他の部門において不合理を発する問題などが分かってきます。

これが図上演習の意義です。

私たちは図上演習とはどのように使うことができるのだろうか

現在私たちの社会が直面している問題に図上演習はどう使うことができるのでしょうか。

例えば、GWにおける自粛がどの程度守られるのかについていくつか想定を作ります。

政府の意図通り80%の自粛がなされる場合、50%くらいしか達成できない場合、30%の達成に留まった場合などです。感染症の専門家はすでにその程度の計算はしているはずです。

その想定をもとに、GW終了後の各県ごとの感染者発生状況をシミュレートします。

その数を現在の医療態勢で受け入れることができるかどうか、その間に院内感染で患者を受け入れることができなくなった病院がいくつ発生すると医療崩壊が起こるのか、その後はどのような対策を取らなければならないのか、それらを各部門の専門家が一堂に会して検証することが図上演習では可能です。

 そして、いつ自粛を解除すべきかという検討を行います。5月中旬、下旬、6月上旬などの区切りごとに緊急事態宣言を解除した場合の感染状況をシミュレートしながら、同時にその場合の経済に与える影響をシミュレートします。そこで最適解が得られるはずです。

現在、政権の諮問機関である専門家会議は一人の弁護士を除いて医療関係の専門家ばかりですし、対策本部は政治家と官僚ばかりです。

そこで総合図上演習を開催し、感染症の専門家、経済政策、金融、流通・産業行政、安全保障、公安、報道対応などの専門家により、政府提出の叩き台を徹底的に検証することにより、様々な問題点が抽出され、その解決策が案出されるはずです。

これまでのところ、感染症の専門的見地から意見を述べる専門家会議と経済政策を見ている政府与党の意見を踏まえた政権の政治的決断にしか見えないのですが、図上演習を行うことによってより広く専門的知見を集めることが可能となり、感染症対策と経済対策という相反する問題を同じ土俵の上で同時に検討することができます。

そして、さらに重要なことは、政府の意思決定がどのようなプロセスを経て行われたのかが可視化されます。このことは後に新型コロナウイルスへの対応から何らかの教訓を導き出そうとする際に非常に重要です。決断に当たって何を検討し、何を検討しなかったのか、それぞれについてどのような検討がなされ、あるいはなされなかったのかがはっきりと残っていくからです。

元の社会には戻らないかもしれないので・・・

この図上演習はもちろん政府や軍隊の意思決定に用いることができるだけはありません。あらゆる組織や個人の意思決定に用いることができます。

この事態に際し、休業や自粛を要求されている企業、世界的な経済の停滞により営業が止まっている企業など数知れない企業が苦しんでいます。

それらの企業や個人営業のお店、飲食店などが覚悟しなければならないのは、この事態が終息した後、元の社会には戻らないかもしれないということです。

元の顧客が帰ってくると期待すると大きな誤算となるかもしれません。

終息した後には新たな社会が生まれると考えた方がいいかもしれないのです。

世界経済を見ましょうか。

ひょっとすると、世界が大打撃を被っている間に、そもそもの元凶であった中国が先に回復して、一人勝ち、世界一強の存在になるかもしれません。

国内を見ても同様に、昨年とは異なる日本になるかもしれません。

テレワークがより一般化し、それなりの実力のある人々にとっては在宅勤務がより一般的になることは間違いないでしょう。逆にそれが出来ない人々との間にこれまでになかった格差が生まれるでしょう。

子供たちはオンラインの授業に慣れていき、学校教育が大きく変わるとは思いませんが、予備校の在り方は相当変わっていかなければならないでしょう。

余暇の過ごし方も大きく変わるかもしれません。この自粛期間中にオンラインで映画を観ることのできるサービスへの加入者は飛躍的に増えたでしょうし、オンラインのゲームで人とつながることも子供たちは覚えたはずです。

一方で、自然に親しむことの素晴らしさを再認識したかもしれません。学校が休業になってすぐ、普段あまり子供たちがいなかった住宅街の公園で私たちが昔やったような遊びをしている子供たちをたくさん見かけました。外で遊ぶことの楽しさが見直されたかもしれません。

つまり、コロナウイルス終息後の社会がどのような社会になり、そこで戦っていくために自分たちはどうあらねばならず、そのために今どのような準備をすべきかという検討をもう始めていなければ、終息後の社会のスタートラインに立てないかもしれないのです。

組織の問題には組織で対応する仕組みが必要

その検討は一人で行うと独りよがりの客観性の無いものになってしまいます。コンピュータのプログラミングを経験した方はお分かりかと思いますが、プログラムの文法上のエラーはデバッカーの手を借りずとも簡単に発見できますが、論理エラーはなかなか見つけることができません。ところがそれを他のプログラマーが見ると、その部分で何をやっているのか分からず、問題があることが一目瞭然ということがよくあります。

事業計画も同様で、様々の部門の衆知を集めることが重要であり、そのためには図上演習以上のツールは存在しません。

図上演習については弊社で出版いたしました小冊子にその概要が説明されています。また、導入をお考えの方には弊社でコンサルティングを行っておりますのでご相談ください。