TEL:03-6869-4425

東京都港区虎ノ門1-1-21 新虎ノ門実業会館5F

専門コラム「指揮官の決断」

第188回 

トップが陣頭に立つとき

カテゴリ:リーダーシップ

加藤厚労省大臣の視察

4月23日、加藤厚労省大臣が品川のコロナウイルスに感染した軽症患者を受け入れているホテルを視察した様子が公開されました。防護衣を着た職員から説明を受けています。

この写真を見て、いろいろ考えることがありました。

私はかつて30年間海上自衛隊に籍を置いていました。

防衛省には陸・海・空の三自衛隊がありますが、それぞれに性格が異なっています。

その性格の違いを見事に表す四文字熟語があります。

陸上自衛隊は「用意周到・頑迷固陋」、航空自衛隊は「勇猛果敢・支離滅裂」、そして海上自衛隊は「伝統墨守・唯我独尊」と言われています。言い得て妙という思いを抱きます。

何故海上自衛隊が「伝統墨守・唯我独尊」と言われるかということを説明するには、その創立期に遡らなければなりません。

戦後、自衛隊が発足したとき、三自衛隊は米軍から指導を受けていました。特に海上自衛隊は米海軍からPFと呼ばれる小型の艦艇の貸与を受けて運用を開始したため、直接指導を受けざるを得ませんでした。なぜなら、帝国海軍の軍艦には無かった「CIC:Combat Information Center :戦闘指揮所」が各艦に設置されていて、それをどう運用していいか分からなかったからです。帝国海軍は司令官以下戦闘時には艦橋を指揮所として戦っていたのですが、米海軍はレーダーやソーナーの情報機器を艦内の奥深い被害から守られる場所に設置し、艦長、司令官やその幕僚たちはそこで戦闘指揮に当たるという方式を取っていたのです。

三自衛隊には米国の三軍から指導官がやってきました。

陸上自衛隊にやってきた米陸軍の指導官たちは帝国陸軍を徹底的に批判し、あの戦い方では近代戦は勝てない、すべて米陸軍の方式で行えと指導しました。帝国陸軍が全否定され、初代の陸上幕僚長や各方面総監、師団長なども陸軍士官学校出身者ではなく旧内務官僚だった人たちが補職されました。

ところが海上自衛隊は当初から海軍兵学校・機関学校・経理学校の出身者たちが登用されたため、旧海軍の気風が引き継がれていきました。さらに、海上自衛隊を指導に来た米海軍の指導官たちの多くは東郷平八郎提督を尊敬する海軍軍人の一人に挙げており、帝国海軍に一定の評価をしていたこともあり、発足したての海上自衛隊に対し「新しい武器体系や戦闘の方法などについてアドバイスをさせて頂きます。」というスタンスを取ったため、余計に旧海軍兵学校出身者たちは自分たちのやり方は間違っていなかったのだという理解をしてしまったようです。このため、旧海軍の伝統や気風を良きものとして引き継いでいくという考え方が海上自衛隊で支配的になっていきました。幹部候補生学校を旧海軍兵学校の地である広島県江田島に開設したのもそのためです。

そのため、びっくりするほど旧海軍の習慣や言葉遣いが残っています。

幹部候補生は毎晩一日の日課を終える際に旧海軍兵学校の生徒たちが一日を振り返るために行った「五省」という反省を行いますし、何事にも五分前の精神が要求されます。

幹部には号令をかけないのも旧海軍からの伝統であり、幹部候補生学校の卒業式では、卒業証書の授与までは、卒業生がまだ海曹長という階級なので号令がかかりますが、幹部に任命されたとたんに号令が一切かからなくなりますし、幹部学校の指揮幕僚課程や高級課程の入校式や修了式では幹部の学生と教官たちしか参列していないので最初から一切号令がかかりません。そのような文化は陸上自衛隊や航空自衛隊にはありません。そのため、伝統墨守・頑迷固陋と言われるのです。

「指揮官先頭」

海上自衛隊にいるとよく言われる言葉があります。

「指揮官先頭単従陣」という言葉です。これは軍艦が一列に並んで進み、その先頭艦に指揮官が坐乗して指揮を執るということを言っています。

つまり指揮官は常に部隊の先頭に立って指揮を執れということです。

この伝統ができたのは日露戦争に遡ります。

日本海海戦において、連合艦隊は一列の縦隊を形成し、縦横に厚い層を作って進んできたロシア海軍バルチック艦隊と戦いました。

具体的には敵艦隊に対して単絨陣で突っ込んでいき、射撃開始直前になって左90度に舵を取って各艦が敵艦隊を右正横に見る陣形運動を行ったのです。その結果、各艦の前と後ろに装備されている旋回が可能な主砲と右舷に装備されている副砲の発砲が可能となるのですが、各艦が横っ腹を敵に晒しだしているので、当然相手からも狙いやすくなります。

特に先頭艦である連合艦隊旗艦三笠には司令長官が乗っているのを相手艦も知っていますので、当然、その先頭艦に射撃が集中します。連合艦隊はこの海戦の間中、この陣形を維持して敵艦隊の頭を押さえる運動を続けていました。

連合艦隊司令長官の東郷平八郎提督はその海戦が行われていた数時間、旗艦三笠の艦橋上部の露天の指揮所に立ち尽くし指揮を執っていたと言われています。

つまり、先頭艦の一番前で一番上にある露天の指揮所の最前部にいたのですから、全艦隊の一番前にいたことになります。ロシア艦隊の射撃は旗艦三笠に集中したため、三笠はロシア海軍の砲弾により穴だらけになりましたが、東郷提督は艦橋トップに立ち続けました。

これが日本海軍の伝統になり、後に海上自衛隊に引き継がれた「指揮官先頭単絨陣」と言われる伝統です。指揮官は部隊の最も前に出て指揮を執れということです。

これは勿論大きな危険を伴います。もっとも前にいるのですから敵の砲火を浴びやすく戦死する確率も高くなります。

しかし、この伝統が私たちに訓えているのは、そこで例え自分が倒れても、すぐに次席指揮官が取って代わって指揮を執り、全軍が一糸乱れずに戦闘を継続できる態勢をあらかじめ育てておけということでもあります。その上で指揮官は最も危険な位置に自らを晒して、全軍の士気を掌握せよということなのです。最高指揮官が最も危険な位置に自らを晒しだしていることを見せて将兵の勇気を奮い起こさせよということです。

東郷司令長官にとっては、その海戦で敗れれば日本は終わりなので自分が生き残っていることに意味はないし、作戦中に戦死しても司令部の参謀たちがしっかりと指導できることを知っていたので、自分の生死など問題ではなかったのです。

海上自衛隊はこの言葉が大好きなようで、何かというと引用されますし、指揮官も日常的に「それでは前に出るぞ。」とよく言います。私も指揮官配置にあったときにはよく使った言葉です。もっとも私は自分の執務室でじっとしているのが嫌いだったのでこの言葉を使っていただけかもしれませんが。

とにかく海上自衛隊は指揮官が最前線で指揮を執ることを良しとしている風潮があります。

確かにこれは悪いことではありません。指揮官が直接現状を把握しつつ、現場の部隊の士気を鼓舞しながら作戦を遂行するというのは理に適っています。

最前線に行けばいいというものではない

ところがこれを勘違いしているトップがいます。

トップが常に最前線に出ればいいというものではありません。

最前線に出るべきトップと出てはいけないトップがあるのです。

東日本大震災に際し、メルトダウンを起こした福島原発に菅直人首相はヘリコプターで乗り込みました。情報が錯綜してどうなっているのか分からず、ひょっとして現場から東電職員が総員退去するかもしれないという不安があったからです。菅首相は自分は大学で物理を勉強したので「僕は原子力にはものすごく詳しいんだ。」と豪語して東電に乗り込んでいったそうです。

菅首相は財務大臣であったとき、ある集会で「霞が関はバカですから。」と発言しています。これは伝聞ではなく動画が残っています。要するに官僚は頭が悪いから自分たち政治家が主導を取らなければならないということなのでしょう。

ところがその3か月後、財務大臣として国会で当時の民主党が看板にしていた子供手当の政策効果に関して乗数効果はどの程度を見込んでいるのかを質問された時に「消費性向は0.7だ。」と答えています。質問した林芳正議員が乗数効果と消費性向の違いを説明してほしいと要求したのに対して答えられず、質疑が4回にわたって中断し、そのたびに財務官僚が駆け寄って説明しているにも関わらず理解できないという醜態を演じたのもこの菅直人氏でした。

物理が専門なら数学も少しは勉強したはずなので、限界消費性向が分かっていれば、その等比級数の和である乗数効果も暗算でそう大きくは違わない数値を出せるはずなのですが、そもそも限界消費性向と乗数効果の違いを理解していないので計算のしようもなかったのでしょう。経済学部の一年生なら誰でも勉強しているはずの概念を財務大臣が知らないというのもびっくりですが、そもそも彼にとって「詳しい」というのはその程度のことなのでしょう。つまり、彼は義務教育の範疇でものを言っているにすぎません。

その程度の知識しかもたないトップが現場に現れたらどうなるか。

火だるまになっている現場は対応を一時止めて素人への説明を準備しなければなりません。専門家が専門家に現状を説明するのはそれほど難しくはありません。素人が聴いていると何が何だかわからない会話が交わされるのですが、説明している方も聴いている方もそれほど難しいとは思っていないはずです。ところが、素人にも分かるように分かりやすい説明をするのは専門家にとってもなかなか難しい技を必要とします。そして準備に恐ろしく手間がかかります。

当日の福島原発の吉田所長は、原発が吹き飛んで日本が窮地に陥るのを何とか防ごうとして所員を総動員して必死の戦いをしている最中でした。

そこへ素人が乗りこんできて、面倒な説明をしなければならなかったのです。

軽症者の受け入れを行っているホテルの視察をした加藤大臣は元々は財務官僚です。医学の専門知識は持ち合わせていません。やはり現場は素人への説明を準備しなければならなかったはずです。

現場で指揮を執れないトップは最前線に出てはならない

まったくの一般論でいえば、トップが現場を知らないよりは知っていた方が良く、もし現場を知らないのであれば現場を見てくるという方が望ましいでしょう。しかし、危機管理上の事態においては必ずしもそうではありません。現場サイドの事情を考慮する必要があります。

現場は死に物狂いで戦っている真っ最中です。素人への説明の準備しているような状況ではありません。東日本大震災の福島原発のそのような時に、首相が乗りこんできたのです。これで現場の対応が遅れてさらに惨事が拡大したら首相はどうするつもりだったのでしょうか。現場で指揮が執れたのでしょうか。

加藤厚労省大臣も自らが感染者を受け入れている施設に足を運び、そして自分も感染して閣議で他の閣僚にさらに感染させたらどうするつもりなのでしょうか。現に西村経済再生担当大臣は側近が感染して、隔離状態の勤務を余儀なくされました。

海上自衛隊が大切にしている「指揮官先頭」の精神はこのようなことを指しているのではありません。指揮官は陣頭で指揮を執れと言っているのです。現場へ行って見て来いと言っているのではありません。

連合艦隊の東郷司令長官が旗艦三笠の艦橋トップに立ち続けたのは彼が指揮を執ったのであって、現場を見に来て幕僚から現状の説明を受けていたのではありません。

東郷提督は薩摩藩士として英国海軍と戦ったことがあります。明治維新後は海軍に身を投じ、英国留学を通して国際法に通暁し、日清戦争にも艦長として参戦して闘っています。つまり、当日対馬海峡にいた帝国海軍の誰よりも海での戦いを知っていた海軍軍人でした。

さらに彼は他の参謀たちが海軍が標準的に使用していた2倍の双眼鏡しか持っていなかったのに対して、自腹を切ってツァイス製の8倍の双眼鏡を持っていました。つまり、艦隊の最前部にいて、もっとも遠くが良く見える双眼鏡を持っていました。したがって、ロシア艦隊を視認したのは東郷提督が最初でした。

現場で指揮を執ることが出来るトップは現場で指揮を執ることが望ましいでしょう。しかし、視察だけのトップや説明を受けなければならないトップは火だるまになっている現場に出てはなりません。

そのような場合、現場にとってトップは邪魔で足手まといにしかなりません。

また、そのトップが現場に行くことによって現場の士気が舞い上がるようなトップでなければ現場に出てはなりません。現場が「面倒だな」とか「何でこんな時に来るんだ?」などと思うようなトップは現場に姿を現してはならないのです。百害あって一利ないからです。

トップが行けば現場の士気が上がるのか?

困るのはトップが自分がそのように部下から思われていると勘違いしがちなことです。特に政治家にはこの勘違いが多いようですが、自身が最前線に出ることによって現場の士気が上がるトップというのは極めて希にしか存在しません。特に政治家にはほとんどいないはずであり、政治家は自分が行くことによって激励できるなどと考えたら大間違いです。現場にとっては迷惑なだけなのです。

何故政治家にはほとんどいないと自信をもって断言できるかと言えば、現場との関係が希薄だからです。政治家は当選してある地位を得て初めてトップの地位につきます。それまで経験がまったくない配置であることがほとんどです。菅直人元首相は原発で勤務したことも電力会社の社員であったこともありません。加藤厚労省大臣も病院勤務の経験はありません。軍隊の指揮官と決定的に違うのがその点です。大佐である連隊長は少尉の時に小隊長だったことがあるのです。

現場に現れると現場の士気が高くなるという政治家を私は歴史上二人しか知りません。英国宰相ウィンストン・チャーチルと米国大統領ジョン・F・ケネディの二人です。そのようなトップが大混乱している現場に姿を現すことには大きな意味があるでしょう。

もし政治家が、ご自身がチャーチルやケネディに匹敵する信頼を国民から得ているとお考えなら、どうぞ最前線へ出てください。

ただし、「御目出度い奴だ」という評価がなされるのを覚悟する必要があるのですが、そのような政治家は「俺が行ったらみんなが喜んでくれた。」と御目出度い勘違いをするのがオチなので困ったものです。