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専門コラム「指揮官の決断」

第196回 

敵地攻撃?

カテゴリ:

防衛省の杜撰な調整の結果

イージスアショアの配備計画が白紙撤回されました。

もともとこの問題は防衛省の杜撰な計画策定に端を発しています。

計画の策定の仕方そのものに無理があったのです。

防衛省においてイージスシステムを理解しているのは海上自衛隊だけと言っても過ちではありません。

海上自衛隊はイージス一番艦「こんごう」を就役させて以来、四半世紀にわたってイージスシステムを運用してきました。その先頭に立っていたのが、北朝鮮がミサイルを発射するとテレビで解説しているハーバード大学のフェローで元自衛艦隊司令官の香田洋二氏です。彼が現役時代に指導して育てたイージスシステムの専門家たちが運用に当たり、試行錯誤を繰り返すことにより本国である米海軍よりも同システムを使いこなせるようになってきています。

しかしその要員たちは米海軍の学校に留学して教育を受けています。幹部自衛官だけではありません。高校を卒業して入隊してきた一般隊員の乗員たちもイージス艦のシステム要員に選ばれると留学してきます。

そのようにして育てられたイージス要員は海上自衛隊にしかいませんでした。

ところがイージスアショアは陸上自衛隊が運用することになりました。

これには理由があります。

一つにはそれが陸上に装備される武器だからです。警備もしなければなりません。慢性的に定員割れしている海上自衛隊にそのようなマンパワーはありません。これからも増えるイージスシステムを始めとする先端システムの要員を確保するだけで手一杯なのです。

航空自衛隊は中距離迎撃ミサイルPac3の運用で手一杯です。

統合運用が始まった自衛隊においては、大きな作戦は統合部隊を編成して統合部隊指揮官が一元的に指揮することになっています。

尖閣諸島の防衛は自衛艦隊司令官が指揮を執り、逆上陸する陸上自衛隊と航空優勢の獲得により支援する航空自衛隊を指揮します。

大規模災害においては海上輸送を担当する海上自衛隊と航空輸送を担当する航空自衛隊を最寄りの陸上自衛隊の方面総監が指揮します。

ところが弾頭ミサイル対処では航空自衛隊の航空総隊司令官が海上自衛隊のイージス艦を指揮するのですが、陸上自衛隊にはその事態に参加するコンポーネントがありません。

そこで、陸上自衛隊にも弾道ミサイル対処における存在意義を与えるという見地からの考慮があったかもしれません。

いずれにせよ、陸上自衛隊にはイージスシステムを理解する自衛官は極めて少数です。いきなり振られたので要員の養成が間に合っていないはずです。

要員は実際にオペレーションにあたる隊員だけではありません。メンテナンスや補給に当たる隊員もシステムを理解していなければなりません。

私も1990年代初頭に米国に連絡官として赴任していたことがありますが、その任務の大きなものは、建造中だったイージス一番艦こんごうの建造に必要な部品と就役後のサポートに必要な予備品の調達に関する連絡調整でした。

イージスアショアもそうですが、イージス艦もそのシステムはFMSというシステムにより米国から調達されます。

通常の兵器は商社が介在するのですが、イージスシステムのように高度の秘密保持が必要な兵器については商社を介在させず、防衛省が国防省から買い付けるというシステムを取ります。したがって通常であれば商社マンが行うような調整を防衛省が行わなけばならず、こんごうの時は私が連絡官としてペンシルバニアで調整に当たっていました。私だけではなく、米軍のカウンターパートにそれぞれ連絡官が派遣されていました。このため、米国へ赴任前に海幕勤務となり、イージスシステムについていろいろと勉強しておく必要がありました。

そのような態勢がまだ陸上自衛隊には出来ていないはずで、細かい技術的な調整が出来ないのだと思います。

もともとブースター部分を発射基地である演習場内に落下させるということができるのかどうか私には見当もつかず、最近は凄いシステムになってきているんだなと思っていたのですが、やはりそれが技術的に大きな問題があったことが分かりました。

しかし、これは完全な情報交換のミスあるいは調整ミスであり、一番艦導入当時の海上自衛隊のような態勢ができていないことを示しています。

陸上自衛隊にそのような態勢ができていないのはある意味で当然ですが、内局にもそのような調整ができる態勢はないはずです。防衛行政に必要な範囲で専門的知識を持った技官等は内局にも多数いますが、イージスシステムの各論になるとさすがの内局にも手に余るはずです。

そこへさらに内局が候補地選定に際して国土地理院の測量を用いずにGoogle Eargh の写真などで測地するなどというとんでもない手抜きを行い、さらにその不祥事の釈明に行った説明会で担当者が居眠りをするなどいう不祥事の上塗りをしたのですから調整がスムーズに行われるはずはありません。

まったくの防衛省の不手際です。

しかし問題はそれだけではない

ただ、問題はそこに留まりません。

その後喧しくなったミサイル防衛の議論には注意すべき点があります。

弾道ミサイル迎撃態勢の構築に穴が開くことになる結果として再び浮上してきた敵基地攻撃能力の問題です。この議論が新聞やテレビで取り上げられるようになりました。

6月25日に河野防衛大臣は外国特派員協会の要請に応じて会見を行いましたが、ここで外国人記者が関心を持ったのは「先制攻撃能力を日本が持つことになるのかどうか」という点でした。さすがに海外の特派員は軍事に関しては日本のメディアのような幼稚な議論はしません。敵基地を攻撃する能力などそもそもまともな軍隊が持つのは当たり前であって、問題は日本が憲法下の特殊事情において専守防衛という建前をとっている時に、先制攻撃をするつもりがあるのかどうかという点に彼らの関心が集まったのです。

河野防衛大臣は極めて慎重にこの質問に答え、「先制攻撃能力という言葉は「抑止力」という意味で使われることもあるので、この言葉を国際法に関連して用いる時には注意が必要であり、敵基地攻撃能力、反撃力、打撃力などという言葉を聞くこともあるが、それらが国際法上の抑止力という概念を含んでいるのかどうかよく分からない。人々がどのような意味で敵基地攻撃能力という言葉を使っているのか明確に定義されない限り、その件について申し上げるつもりはない。まず、それらの用語の定義をすることが先決である。」と述べています。

敵地攻撃能力なのか?

この回答は極めて重要な点を指摘しています。

河野大臣としては「敵基地攻撃能力」という言葉をまだ公式に使うつもりがないということです。

自民党の議員の中にこの言葉を使っている議員がいるとすれば、これまでの自民党の議論に参画しておらず、その経緯を知らないのか、あるいは極端に理解力がないかのどちらかでしょう。

防衛省の高官などもその言葉は使っていないはずです。

一貫して防衛省・自衛隊が使ってきたのは「策源地攻撃能力」という言葉でした。

敵基地攻撃能力を保有するということは、その河野防衛大臣が指摘するように、その意味を極めて狭く定義しなければ自衛のための必要最小限の能力を超えるおそれがあります。

厳密に言うと、その能力を持つこと自体が問題ではなく、そのような意志を持ってその能力を獲得することが問題になります。包丁を料理のために買うのと人を刺すために買うのでは意味が異なります。後者は殺人の準備行為と見做され、あるいは凶器準備集合罪に問われるおそれがありますが、それと同様です。

敵基地攻撃能力と策源地攻撃能力とは意味が異なります。

策源地とは敵の兵力が出動するための準備を行い、そこから出動してくる基地のことです。

その策源地を敵が出動してくる前に攻撃して出動できなくすることを策源地攻撃といいます。

一方の敵基地攻撃とは敵が基地として使用している施設を攻撃することです。

どう違うのでしょうか。

北朝鮮が我が国の安全を脅かす弾道ミサイルの発射準備を始めたとします。打ち上げられてしまったら撃ち落とすのが大変なので発射される前にその発射台を攻撃するというのが策源地攻撃です。あるいはそのようなミサイルを搭載した潜水艦が出港準備をしている港を攻撃するのも策源地攻撃です。

ところが、北朝鮮空軍の搭乗員を養成する訓練基地を攻撃するのは敵基地攻撃ではあっても策源地攻撃ではありません。

将来の戦闘機パイロットや戦闘に投入されるおそれのある練習機を攻撃するのも策源地攻撃の一種という拡大解釈は国際法上認められません。

ここでお断りしておかなければならないのは、策源地でなければ攻撃できないのかというとそうではないということです。交戦国の権利として敵基地の攻撃は当然に認められています。ただ、策源地でなければ自衛のための先制攻撃が認められる要件を満たさないおそれがあるということです。

まして敵地攻撃能力となると、基地ですらない一般市民が生活する場所も攻撃できる能力を指してしまいます。

メディアの印象操作に騙されてはいけない

河野大臣は「敵基地攻撃能力という言葉をしっかりと定義しなければならない。」と述べましたが、正にその通りであり、この言葉が独り歩きし始めています。

新聞はそれでも「敵基地攻撃能力」と記述していますが、テレビでは「敵地攻撃能力」と表記されている場合があり、また、そのようにコメンテーターが述べている場合も散見されています。多分、多くのコメンテーターはそれらの言葉の概念の違いを理解せずにコメントしているものと思われますが要注意です。

察するに、これはテレビが得意な印象操作でしょう。政府が何も言っていないのに勝手に次に出てくるのは敵基地攻撃能力の議論であると決めつけ、それが専守防衛に反するものであるということを視聴者に刷り込むという意図を感じざるを得ません。

そのためにはコメンテーターが「敵地攻撃」と表現しても放置するのです。むやみなPCR検査はするべきではないというコメントをした現場の医師の発言は徹底的に切り刻んで反対の見解になるように作り変えるのですが、テレビ局にとって都合のいい発言は放置され、あるいは助長されていきます。

私たちはテレビをはじめとするメディアが使う言葉の意味はしっかりと理解しなければなりません。メディアに騙されたままだと大局の判断を誤ります。