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専門コラム「指揮官の決断」

第204回 

役人の危機管理の限界とは

カテゴリ:危機管理

阪神淡路大震災では

当コラムでは以前に役人には危機管理はできないことを指摘し、その理由についても言及しました。詳しくは 専門コラム「指揮官の決断」第9回 「役人には危機管理はできない? 役人の三種の神器 」( https://aegis-cms.co.jp/291 )をご覧ください。

官僚制組織とは業務を最も合理的に遂行するためには極めて優れた組織ですが、その特性ゆえに危機管理には向いていません。

この度のコロナ禍を見ていてもその特徴が露見していますので改めてその点について考えてみたいと思います。

4月19日の読売新聞「緊急事態宣言 専門家に聞く」という欄に阪神淡路大震災の時に官房副長官を勤められた石原信夫氏のインタビュー記事が掲載されました。

石原氏は当時を振り返って、「被災地の正確な情報の把握に手間取った。非常時では政府が地域の状況を把握することが一番大事だ。」と述べておられます。

私はこの頃のことをよく覚えています。

当時私は海上自衛隊幹部学校指揮幕僚課程の学生として目黒にある幹部学校に通勤していました。任官から10年くらいの中堅幹部の中から選抜された者が将来の部隊指揮官や上級司令部の幕僚となるために必要な教育を1年間受ける課程で、旧海軍の海軍大学校に相当します。世界中の軍隊が似たような教育機関を持っています。

4月に入校し、翌年3月にその1年の課程を修了し、海幕勤務や第一線部隊司令部の幕僚として赴任します。私は連絡官勤務や内局への出向などで第一線部隊からかなり長い間離れていたので、いい加減に部隊勤務に戻して欲しいと思っていた頃でした。

家を出る前のニュースで神戸で大きな地震があったことを知っていたので、学校に着くと学生控室にあるテレビのニュースを観ることにしました。

画面には自動車専用道路の高架が落ちて、バスがギリギリのところで止まっている映像が映し出されていました。

そして昼休みに臨時の報道番組を観ていたところ出てきたのが石原官房副長官でした。副長官は神戸からの情報が入ってこないことに苛立ちを隠さず、しかし、「災害対策基本法適用の事態であることは間違いない。」とインタビューに答えておられました。

私たちは控室でこのテレビを観ながら、やはりこの人たちは役人で俺達とは違うなと言い合っていたのを昨日のように覚えています。

私たちは2か月後には海幕か第一線部隊司令部に配属され、様々な事態に際して作戦立案に携わらなければなりません。その覚悟はできていました。この事態を受けて、自分ならどうするだろうかを皆考えていたはずです。

その私たちが当時の石原官房副長官を見て、自分たちとは発想が根本的に違うと直感したのは次の二点です。

情報はないものと思え

まず、現地からの情報がないことに苛立っていることです。

危機管理上の事態において、現地の情報がないのは当たり前なのです。

淡々と詳細な情報がもたらされるのであれば、それは危機管理上の事態ではありません。

そのような事態においては現場は報告などしている余裕がないのです。

これが戦争であれば、現地部隊が全滅していることも視野に入れなければなりません。危機管理上の事態というのはそういうものであり、情報がないことに苛立つのは素人です。

根拠がなければ何もできないのか

もう一つは、現地からの情報がないと言っているにもかかわらず、災害対策基本法が適用される事態だと言い切っていることです。

さすがに官僚だと思いました。まず適用すべき法律が何かを考えるのです。根拠となる法律が無いと動けないのが官僚の発想なのです。

やはり役人に危機管理は任せられないという思いを強くしたこのシーンを鮮明に覚えています。

海上自衛隊では発想が逆です。

まず何をするのかを考えます。そして、それがコンプライアンス上の問題を惹起しないかどうかを考えます。この順序を逆にして考えると、たちまち上司から雷が落ちてきます。「貴様は役人か!」

お分かりになったかと思いますが、海上自衛隊では役人扱いされるということはバカにされているということなのです。

危機管理の失敗を恐れるな 教訓を残せ

感染症の専門家を集めた政府の専門家会議の議事録が残されていないことが明らかになりました。

また報道によれば地方自治体においても同様です。40の都道府県で感染症の専門家を交えた会議が招集され、うち9県で議事録が作成されていなかったことが分かりました。

政府の専門家会議で議事録が作成されなかったのは、議事録を作成すると自由な討論が阻害されるためと説明されています。

この説明で納得できる国民はいないでしょう。

問題は責任問題が生ずる恐れがあることでしょう。役人の発想です。

つまり、誤った議論が展開され、誤った方針が打ち出された場合にどう責任を取るのかということです。

しかし、集まっているのは政府が選んだ選り抜きの専門家たちです。彼らが未知の敵と英知を結集して相対するとき、そこには誤った結論だってあるでしょう。それは誰にも責めることはできません。ただ、もし責任問題に発展するかもしれないとすれば、どこかの利権を代表するような見解が述べられる場合などでしょう。集まっている専門家が、その専門家としての道に恥ずることのない議論を行っているのであれば、議事録を取られることを恐れるはずはありません。

むしろ、しっかりとした議事録を残すことにより、自分たちがどれだけの貢献をしたのかを後世に残すことができるはずです。

議事録が残されないことの問題はマスコミが指摘するように後で検証できないということではありません。それはマスコミが好きな責任追及物語の話です。

議事録がないことの問題は、後に続く世代が参考にすることができないことです。

新型ウイルスによる感染症騒ぎは10年に一度程度やってくることが経験的に知られています。

10年も経つと担当者はまったく別の人たちに入れ替わっています。退職している人もいるかもしれません。つまり、ドキュメントが残っていないと、どのように対応して、何が良かったのか、何が失敗だったのかが分からないのです。つまり、教訓を生かせず、同じ失敗を繰り返すことになりかねません。

私がいた海上自衛隊は東日本大震災に際し、それが終結する以前に教訓の収集を始めました。出動した隊員一人一人に聞き取りを行い、それをLLD(Lessons Learned Database)と呼ばれるデータベースにまとめる作業を幹部学校を中心に行いました。以後の災害派遣計画や事態対処計画の立案に際してはこのデータベースが活用されることになります。

ところが議事録すら残さないような態勢では、そのような教訓を生かすことが期待できません。

役人は自分の任期が無事に終わればいいので、後世のことを考えて面倒な作業をするのが嫌なのでしょう。

政策官庁の限界

この件に関し、最近、東日本大震災の時に統合幕僚長であった折木元陸将がインタビューに応えた記事が印象的です。彼はダイアモンドプリンセス号に対して自衛隊が災害派遣の要請に応えて延べ2700名の隊員を派遣したにもかかわらず一名の感染者も出さなかったのに厚労省のスタッフは感染者を出したことを指摘し、厚労省は政策官庁でありオペレーションには向いていないと述べています。

自衛隊は様々な場面を想定して準備し、訓練を積み重ねていますが、厚労省の派遣したDMATの医療関係者や検疫官たちは訓練どころか完全な防護服すら持っていませんでした。

DMATは大規模災害時に投入される緊急医療チームですが、特に夏場の大規模自然災害においては感染症対策は当然だと私のような医療の素人は思ってしまいますが、厚労省の担当者たちはそこまでは考えていなかったようです。検疫官が防護服を持っていないなどというのは、むしろ職務怠慢でしょう。

つまり、役人が机の上で考えたプランはあっても、それが訓練もされていなければ図上演習で検証もされていなかったということでしょう。

それでは自衛隊は何故防護服を持っていたのでしょうか。

彼らは政策を立案すればいいという配置ではありません。実際に体を張って対応しなければならないので、訓練もしていますし、図上演習を重ねて、どこで何が必要になるのかを研究してきています。

そして、彼らが当面戦うかもしれないと想定している相手をよく観察すれば、化学兵器であろうが生物学兵器であろうが躊躇わずに使うであろうし、国際法で使用を禁じられていようがいまいがお構いなしの相手であることも知っていますし、現に、それらの兵器を開発中であることも知っています。そこで防護服を準備していたのです。

戦争でそれらの兵器が使われる蓋然性と、10年に一度は発生するといわれる未知のウイルスによる感染の蓋然性を比べた場合、どちらが高いかといえば明らかなのですが、政策官庁には具体的に準備して訓練しておくという発想はないようです。

海外での医療支援の実績のある日赤も250人を派遣しましたが、さすがに一人の感染者も出していません。現場を知っているということはそういうことです。

役人には危機管理ができないというのは悲しい現実のようです。