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専門コラム「指揮官の決断」

第205回 

現政権の危機管理はどうだったのだろう

カテゴリ:危機管理

新型コロナの騒ぎは終息

安倍首相の突然の辞任発表には驚いたというよりも、来るべきものがついに来たという感があります。もともと難病を持病として抱え、いつ動き始めるか分からない時限爆弾を持ったままの長期にわたる総理大臣という最も厳しい仕事を続け、その挙句、新型コロナウイルス対応という戦後最大の難関に直面したのですから無理もないと言うべきかもしれません。

当コラムは危機管理の専門コラムですので、安倍政権の総括というようなことをするつもりはありませんが、この政権の危機管理はどうだったのだろうかということを振り返ることは必要かと考えています。

ただ、ここで申し上げることができるのは、新型コロナの騒動はこれで終息するということです。

当コラムでは繰り返し指摘してきましたが、このコロナ騒動の本質はテレビ局が作り出したウイルスが報道番組やワイドショーを通じて私たちの脳を侵し、「コロナ怖い病」をまん延させた結果生じたものであり、ウイルスそのものの本質はインフルエンザの方が怖いということです。

安倍首相の後任選びの話題のためにテレビがコロナでは視聴率が取れないと判断して話題の大半を政局に向けたため、社会はコロナの呪縛から解き放たれたので、結局、このコロナ騒ぎもまもなく、「あれは一体何だったんだろう?」という程度の話になっていくのではないかと思っています。

ウイルスの方も、いくら頑張ってもテレビが取り上げてくれないとなると頑張り甲斐が無くなっておとなしくなるのかもしれません。早くインフルエンザにバトンタッチしたいと思っていることでしょう。

この度の騒ぎではどうだったのだろうか

私は安倍政権に危機管理はできないと断言しました。(専門コラム「指揮官の決断」第44回 呆れてものが言えない https://aegis-cms.co.jp/654 )

この政権は、稲田防衛大臣の辞任後、安全保障に空白は許されないとして岸田外務大臣に防衛大臣を兼務させました。

ちょうど内閣改造を1週間後に控えていたこともあり、新たに閣僚を起用するのではなく、兼務させることを考えたのでしょうが、たとえ1週間といえど外務大臣と防衛大臣を兼務させるような安全保障に関する無神経な態度を有する政権に危機管理などできるはずはありません。

外務大臣と防衛大臣は日本を取り巻く国際情勢が緊迫してきた場合に、その職責として180度異なる業務をこなさなければなりません。

外務大臣は最後の最後まで外交交渉により事態の解決を図るべく、相手国との交渉や周辺国との調整に心血を注がなければなりません。一方の防衛大臣は外交交渉が成果を得なかった場合に備えて速やかな防衛出動の準備を整えるとともに、同盟国との調整に入らなければなりません。

互いに交渉すべき相手や内容がまったく異なるのです。一人の大臣に務まるはずはありません。

たとえ一週間かもしれません。しかし、その一週間に何も起こらないと誰も保証できません。

だからこそ、空白は許さないとして外務大臣を兼務させたのです。しかしよりによって外務大臣の兼務は最悪の決断です。副首相を兼務させる方が遥かにましでしょう。

もしトランプ大統領が国務長官と国防長官を兼務させるとTwitterで呟いたら、世界は米国が対中戦争を決意したと判断するはずです。

私はその論点を指摘せずに稲田防衛大臣のリーダーシップ不在や翌週に予定される内閣改造に伴う政局にのみにとらわれたマスコミや評論家たちを、芸能人のゴシップを追いかけるのが身の丈だと知るべきだと批判しました(はっきり申し上げるとバカにしました。)。

そこで、この新型コロナウイルスへの対応についてもあまり期待していませんでした。

事態が発生して半年過ぎ、現内閣の対応については評価しないという世論調査結果が出ていますし、評論家などの多くもそのような論調です。野党が評価しないのは当然なのですが、世論調査の結果については考えてみる必要があるかもしれません。

私は当初から、この問題への関わり方として、当コラムが危機管理の専門コラムではあっても感染症に関しては素人なので、これを危機管理の側面から見るとどう見えるのかという問題として取り上げ、報道がどう振舞うのか、それに対して社会がどう反応するのかに着目してきました。

結果としては良かった

弊社の見解としては、現政権がどう対応したのか内部事情がよく分からないのでその意思決定が正しかったのかどうか判断できませんが、少なくとも結果的に見てうまくやっていると考えています。

当初、中国からの入国制限が限定的であり全面的でなかったことが中国人の入国を許して感染を広めたと批判されました。また、緊急事態宣言の発出も野党からは遅きに失していると酷評されました。

しかし、感染症の専門家ではない当オフィスが純粋に数字だけから観測するに、これらの一見スローモーに見える措置のためにウイルスがシャットアウトされずに静かにまん延し、社会全体に免疫を作っていたのではないかと考えています。

社会全体が免疫を獲得するためには多くの人々の体内にウイルスが侵入しなければなりません。4月から5月にかけて感染者が増え、死者も一挙に出てきたのはその影響だったと考えられます。

当初政府は感染のピークを可能な限り後ろ倒しすることを考えていました。それは医療態勢の崩壊を防ぐためだと説明されましたが、それだけでなく、感染のピークを可能な限り後ろ倒しすることにより社会全体に免疫を広め、陽性となっても感染に至らない人々(要するに抗体を持った人)を増やそうという狙いもあったはずです。その狙いよりも感染の方が早かったのが4月であり、現在はその狙いが的中していて、陽性判定者は激増しているにもかかわらず重症者数は激減しており、死亡者数も増えていません。

重症者数が減っているのは亡くなる人がいるためで、そのため死者が出ていますが一定数であり、増えているわけではありません。一方で新規に重篤化する人が少ないため重症者数全体は増えていないのです。

つまり東京大学の児玉龍彦名誉教授が東京は眼を覆う事態になると予言しようがミラノやニューヨークのようになると言おうが、結局そうはなっていないのです。

マスコミが作る「空気」

当初、日本における致死率が5%と高いことからPCR検査を拡充して実態を掴む必要があると主張する評論家が多かったのですが、これは私たちのように感染症の専門家でなくとも数字が少しでも読めれば素人の戯言だとすぐに看破できました。

当初のPCR検査は、症状が出て本格的に新型コロナウイルスへの感染が疑われる人々に対して行っていたので、当然のことながら陽性と判定されるだけでなく、実際に感染が始まっている人が多かったため亡くなる人も多かったのですが、現在は症状が出ていない人たちも多数検査を受けるため致死率は1.9%以下という低さになっています。

このPCR検査はむやみにやっても意味が無いだけでなく、本当に必要な人が迅速に結果を判定できなくなることから、むやみにやって検査に時間がかかるような事態にしてはならないと当コラムではかなり早い時期から主張してきているのですが、この簡単な理屈がテレビ局は理解できないらしく、未だにすべての人々に検査をすべきという主張がまかり通っていますし、視聴者の多くもそう信じています。

当コラムを注意深く読んでおられる方ならお分かりかと存じますが、テレビ局の情報操作の悪質さは留まることを知らず、とにかく恐怖を煽って視聴率を稼ごうとするため、単なる陽性者が増えているだけなのに感染者が激増しているかのごとき報道を続けています。その結果として世論が形成され、GoToトラベルから東京から除外されるという事態まで引き起こしています。

単なる陽性判定者が感染者であるのなら、私たちの大半は結核の感染者であり、ほとんどが結核予防法の対象である法定伝染病の罹患者として隔離入院させられなければなりません。しかし誰も結核は怖がらず、隔離もされないのに新型コロナだけを怖がるのはテレビが作ったコロナウイルスに我々の脳が侵されているからです。しかしそれで世論が形成されていくのですから、その過程を見過ごすことはできません。

この問題は山本七平氏の指摘する「空気」の問題を含みますので、別に論じることにしますが、冷静に数字だけを見ていると、結果としてこの政権は上手く対応したと評価してもいいかもしれません。

もしこれが東日本大震災の時の政権だったとしたらと考えると寒気がします。

あの時、政権は予算の2次補正を8月まで行わず、その規模も2兆円に留まり、かつ、その財源とする公債の償還に充てるためと称し復興特別税なるものを新設し、さらにはやらないと公約していた消費税の増税を行い、バブル崩壊から何とか立ち直ろうとしていた日本の経済にとどめを刺しました。

そして、始めた議論は再生可能エネルギーの議論であり、電力の買い取り価格でソフトバンクだけに特別な優遇措置を与えるという始末であり、東北の農村が痛めつけられているにもかかわらずTPPの議論を進めていったのです。あたかも東北での地震は無かったの如くでした。

その挙句、海上保安庁の巡視船に体当たりした中国漁船の船長を起訴もせずに送還しておきながら、現場の検事の判断にしてしまいました。そこで中国に日本の対応をみくびらせた結果が現在の尖閣で生じている中国公船の居座りです。

この時期、誰が政権を担当しても完璧な対応を行うのは困難だったでしょう。しかし少なくとも東日本大震災の際の政権にいた人たちが作る政党が政権の座にいなかったのが日本にとって不幸中の幸いだったと思っています。

激務に耐えて前代未聞の長期政権を維持し、この国に安定をもたらせた安倍首相には、やり残したことの心残りはあろうかとは思いますが、ゆっくりと静養され、後進の育成に尽力されることを期待しています。

意思決定のプロセスを見ると

いろいろとバタバタはしました。初めて経験する事態にあってパーフェクトゲームを望むことはできません。

危機管理はどのように準備しても失敗の連続となります。戦争においては失敗の少ない方が勝つと言われるのはそのためですが、とにかく機敏に対応し、間違ったと分かったらすぐに態勢を立て直し、同じ間違いをしないことが重要です。

その意味で蓮舫議員が学校の休校措置に対して「科学的根拠があるのか?」と国会で質問したのは、彼女が危機管理を知らないことを披歴したものです。科学的根拠などあろうはずはありません。だから専門家会議ではその議論が結実しなかったのです。専門家は科学的根拠がなければ結論を出せません。専門家は冷静に根拠に基づいた判断をしなければなりません。

しかしトップはたとえ根拠がなくとも決断をしなければならないことがあります。それが政治家や経営者の役割です。

科学的根拠なしに政策判断をしてはならないというのであれば政治家は不要であり、スーパーコンピュータにAIを搭載してこの国を統治すればいいということになります。

彼女が危機管理を知らないということは、先に起きた熊本県球磨川における洪水で多くの犠牲者を出したことによっても明らかです。

事業仕分けという派手なショーをやってダムの造成を取りやめ、その後のフォローを全くしなかった結果です。次の政権がフォローしてダムの建設を再開した八ッ場ダムはその機能をいかんなく発揮し、昨年の大雨や台風に際して下流の地域を守り通しました。

事後的にいろいろなことが分かってから、現政権の対応の評価が改めてなされるとは思いますが、現時点では、とにかく結果的に上手くやってきていると評価できるかと考えています。

これが現政権が最初から意図したことなのか偶然なのかは分かりませんが、厚労省の立ち振る舞いを見ていると、表面的にはそう見えないかもしれませんが、相当な深謀遠慮を巡らせていることが分かります。

これは役人暮らしをしたことのない評論家風情には理解できないのですが、内部でどのような議論をした結果、どういう政策が立案されてくるのかという省庁における意思決定のプロセスを直に見てきたものには、厚労省の政策の一つ一つがいろいろな考慮をして作られていることが分かります。

しかしながら、マスコミのミスリードにより社会が誤解し、大きな批判を招いたことも事実であり、厚労省の説明不足と言われても仕方はないかもしれません。

いい例がPCR検査です。マスコミはPCR検査は発熱が4日続かない限り検査を受けさせてもらえないと批判しましたが、厚労省の通達にはそのようなことは一言も書かれていません。むしろ4日続いたら相談に来るようにと書いてあります。そして、帰国者外来などの感染症の専門家がいる機関や保健所などで判断してPCR検査の必要があると判断されれば検査を受けるという体制になっていました。

これは当時の貧弱な検査態勢で重篤化した人の治療法を判断するために必要だった措置です。しかしテレビ局はこれを理解できず、また登場した専門家と称する人々もこの通達をまともに読まずにコメントをしていたのです。

そもそもまともな医師であれば細菌性の肺炎とウイルス性の肺炎は見分けられますし、日本は世界で一番CTスキャナーの普及が進んでいる国ですので、PCR検査などしなくとも怪しい患者は見分けることができます。

マスコミで医師であるにもかかわらずPCR検査をもっと多くの人々に行うべきと主張している人々はその判断ができないのでしょう。彼らは無症状の陽性者がウイルスを振りまいて歩くのを極端に恐れたのですが、ウイルスを取り込んでも症状が出ないのであれば問題はありません。たしかに自分がウイルスを持っているのに知らずにお年寄りと接して感染させるというリスクはありますが、そのリスクはインフルエンザも同様で、インフルエンザの場合は子供が罹患すると死亡する場合が多いの対して、新型コロナは若い人は重篤化しません。20代で亡くなったのは、長年糖尿病を患っていた力士一人です。

もし、自分がウイルスを持っているかどうかわからないからあらゆる人が検査を受けなければならないとすれば、私たちは頻繁にインフルエンザや結核などのPCR検査を受けなければならないことになります。

現場の経験を積んだ医師が最後に判断に迷うような場合にPCR検査が速やかに受けられるような態勢を準備する必要があるのです。

メディアの批判に耐えて、その態勢を少しずつ作ってきたため、この国では重篤化する人の数も著しく少なくて済んでいます。

そのような政策立案過程を経て政府の仕事がなされているはずで、それを担当する日本の官僚はそれだけ優秀なはずなので、イージスアショアの候補地選定でやった防衛省の計画の杜撰さが異様なのです。

これらを総合的に勘案すると、意図的に現在のような状態を狙って政策を立ててきたというよりは、この国が幸運だったと思うべきなのかもしれません。

極めて困難な課題が残された

現政権の政策はともかくとして、評価されるべきは日本の社会の対応であったと思っています。

強権の発動なしに自粛要請だけで乗り切り、暴動も起こさず、皆で励まし合った私たちの社会は世界に誇っていいかと思います。

しかし、マスメディアに関しては大きな課題があることが分かりました。

彼らが視聴率を上げるために行った歪曲やデマが作り出した「空気」の影響は極めて大きく、今後の危機管理上の事態が生じた際に、大きな障害になることが予想されます。

新聞は否定していますが、日本を戦争に引きずり込む「空気」を作ったのが新聞であったことがメディア論の専門家により相次いで指摘されています。そしてテレビは新聞よりも遥かに大きな桁の違う影響力を持つことがこの騒ぎで分りました。

今後、このテレビというメディアと如何に対峙すべきかということが危機管理上の大きな課題になっていくかと考えます。

もともとテレビ局というのは、コロナ禍で亡くなった女優さんのご自宅に押しかけて、御遺骨が帰ってきてご遺族が悲しみに暮れているところを興味本位で撮影するという社会常識のかけらも持ち合わさない連中ですので、彼らの作る番組がまともであることを期待する方がおかしいのかもしれません。

当面、私たち視聴者のメディアリテラシーとでもいうべき、メディアというものがどのような存在なのかという認識のもとにおける情報の理解の仕方というものが重要になってくるかと考えています。

今後、その研究が危機管理論の大きなテーマになることは間違いありません。

当コラムもこの難問に対し、ひるむことなく立ち向かうつもりです。